新聞記者の日常と憂鬱 「メディアって何だ!?(185)」

▼はじめに
新聞記者の日常は、非日常で満ちている。普通の暮らしをしている人なら、まず生涯出くわすことのないような、殺人や誘拐、大事故などの現場に顔を出すのが記者の仕事だからだ。路上に引かれるチョークの白線は、新聞記者には日常の風景。記者が「マグロ」と呼ぶ轢断死の肉片も、最初は吐き気を覚えても、やがて日常のありきたりの風景になってしまう。

かく言う私も、御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機事故の取材では、体液が染み出た白木の棺おけが何十と並ぶ遺体安置場の体育館の片隅で、平気でお弁当をばくばくと食べている自分に気づき愕然としたことがある。非日常がいつの間にか、日常になってしまうことの怖さ。その怖さに怯えつつも、非日常の世界を現実のものとして冷静に書き続けるのが新聞記者の使命である。

そのような新聞記者の日常と憂鬱を、できるかぎりこのブログで紹介していこうと思う。ニュースの裏がわかれば、ニュースの本質が見えてくるはずだから。
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カストロが愛した女スパイ番外 「アメリカ外交史(230)」

▼ロレンツ証言に関する筆者の考察3
 ケネディ暗殺事件に関してCIA関与説を採る研究家は多いが、同じCIA関与説でも、マリタ・ロレンツとロバート・マローの証言は、自分の体験に基づいているだけに別格である。ここではマローの証言について深くは説明しないが、二人ともCIAのスパイ、そして工作員として間接的ではあるが、ケネディ暗殺に関与した計画・実行犯グループの一員といえるからだ。

 二人はおそらく面識はないとみられるが、二人の証言は驚くほど一致するばかりか、実に完璧に補完し合っている。一致する部分では、二人ともCIAが暗殺の背後にいることを認識した上で、亡命キューバ人とマフィアが関与していたと断言。CIA情報部員、ハワード・ハントが暗殺にかかわったとするロレンツに対して、マローもハントの関与を臭わせている。二人とも、一九六〇年ごろからCIAの支援を受けていた「オペレーション40」などの亡命キューバ人非合法活動グループがカストロ暗殺を企て、かつその反カストロの流れの中でケネディ暗殺をも実行したとロレンツは確信、マローも疑いを持っている。

 補完し合う部分では、マローはケネディ暗殺に使われたイタリア製ライフル四丁を調達。ロレンツは、ライフル三、四丁をマイアミからダラスに運び、おそらくは暗殺を実行したであろうグループと行動を共にしていた。

ロレンツは、ハント直属の部下であるフランク・スタージスと親しく、オペレーション40の仲間であるが故に、実行犯グループと極めて近いところにいた。だが、ハントの上司がだれであるかなど、CIA上層部がどのように暗殺計画にかかわっていたかは知らない。

一方マローは、ハントが実行犯グループと関係あることを薄々感じながらも、だれが実際にケネディを撃ったのかは知らない。しかし、ハントの上司であるトレイシー・バーンズやチャールズ・キャベルといったCIA上層部が暗殺計画に関与していた可能性に気付いている。つまり、実行犯と接点を持つハントの風上をマローが、風下をロレンツが見事に証言で描いて見せてくれるのだ。

 もちろん、二人の証言の中にも矛盾がないわけではない。特にロレンツが証言したオズワルドとの出会いの時期は、オズワルドが旧ソ連にいたとされる時期と重なっており、結局これが大きな矛盾点となり、ロレンツの証言は暗殺に関する下院特別委員会で事実上の証拠不十分とされる最大要因となったのだ。

しかし、部分的にそうした矛盾はあるものの、二人の証言は全体的にみれば実に具体的で説得力がある。また、矛盾点もロレンツの記憶違いやCIAによる手の込んだ工作などで説明することができることはすでに述べた。それから考えると、彼らの証言は真実であり、唯一最大の矛盾点があるとすれば、それは彼らが殺されずに、よくここまで真実を伝えることができたということだろう。

 彼らの証言や著作を読んでいくと、彼らが殺されそうになりながら幾多の危険をくぐり抜けてきたことが分かる。彼らは慎重で、何をしたらCIAが彼らを抹殺しにかかるかも心得ていた。二人とも少なくとも十年は沈黙を守り、時期を待っていたに違いない。ロレンツは自著「マリタ」の巻頭で、両親や家族だけでなく、暗殺を遂行しないでくれた殺し屋にも献呈の辞を述べている。多分に幸運、もしくは奇跡の要素がないと証言は明るみに出なかったのかもしれない。
(了)

(編注)ロバート・マロー:反カストロ右派のマリオ・ガルシア・コーリーによる非合法活動の一部を請け負ったCIA工作員。もともとは電気技師で、ケネディ政権時代にアメリカ国内でキューバペソの偽造計画にかかわったため、コーリーとともに捕まった。服役後、1972年には共和党候補として議会に立候補した。しかし、ニクソン陣営から資金援助を受けられなかったこともあり落選。七六年には『裏切り』という本を出版。その中で60年にニクソン副大統領とコーリーの間で密約があったことを暴露したうえで、暗殺の責任はCIAとコーリーの反カストロ非合法活動部隊にあると結論付け、下院暗殺調査特別委員会が発足するきっかけをつくった。
筆者は元下院議員のトマス・ダウニングを通じて、マローとのインタビューを試みたが、結局接触できなかった。マローは自分自身が命を狙われている恐れがあるため、非常に用心深く、どこに行くときでもピストルを背広の下の脇のところに携帯、しばしそのことを吹聴することにより自分の身を守っている、という。

今日で本当に終わりです。長期間にわたるご愛読ありがとうございました。
次は・・・?

カストロが愛した女スパイ番外 「アメリカ外交史(230)」

▼ロレンツ証言に関する筆者の考察2
 第3番目の仮説は、ロレンツの勘違いだ。ロレンツ自身が後に、オズワルドに会ったことを証明する写真が撮られたのが六〇年ではなく、六三年八月か九月であると訂正したように、オズワルドに会ったのはピッグズ湾事件の前ではなく、六三年であったという可能性もある。証言の後十年以上経った九三年に出版された彼女の自伝『マリタ』にも、六三年にオズワルドに会った記述しか出てこない。記憶があいまいになって、混乱したとも解釈できる。

 第4番目の仮説は、すでに紹介したが、ソ連にいたはずのオズワルドが実はフロリダで訓練を受けていたというもの。オズワルドが何度かソ連から帰国していたにもかかわらず、偽のパスポートを使うことなどによりCIAがオズワルドの渡航記録を都合のいいようにでっち上げていたかもしれない。オズワルドと名乗る替え玉をソ連に送り込むことによって、あたかもオズワルドがソ連に滞在したかのように工作することも十分に可能だ。

4つの仮説の中で私は、2番目の仮説と4番目の仮説が真実に近いのではないかと思っている。オズワルドの替え玉がいたことは、マローの証言からもほぼ間違いないだろう。CIAは綿密に、極秘作戦に必要なオズワルドという人物をつくり上げていった。オズワルドと名乗る人物をソ連に送り込んだのも、CIAの作戦の一貫であろう。共産主義に染まった狂信者をつくり上げ、何かの工作事件の際には犯人にでっち上げる。

ケネディ暗殺事件ではまさに、オズワルドが犯人にでっち上げられた。オズワルド本人はまさか自分がケネディ暗殺犯に仕立て上げられるとは思っていなかっただろう。オズワルドが逮捕後に漏らしたように「おとり」、もしくは「かも」にされたのだ。

 いずれにしても、ロレンツが持っていたとするオズワルドの写真が見つかれば、ロレンツ証言の信ぴょう性が飛躍的に増す。しかし、ロレンツからFBI捜査官に渡されたとされる写真が見つかったという報告はなく、ピノに渡したもう一枚もピノとともに消滅した。推測するに、ロレンツはほかのだれよりも、その写真の危険性を認識していたのだ。
(続く)

カストロが愛した女スパイ番外 「アメリカ外交史(230)」

▼ロレンツ証言に関する筆者の考察
ロレンツは歴史の生き証人だ。カストロのキューバ革命、ピッグズ湾事件、ケネディ大統領暗殺、弟のロバート・ケネディ暗殺、ウォーターゲート事件、下院のケネディ暗殺調査特別委員会、キューバ難民問題――。波乱の60年代、70年代に次々と起きた歴史上の事件、出来事に少なからぬ関係があった。ロレンツの生涯は、あの歴史とともにあったのだ。

 しかし、ロレンツの証言についての評価は、意見が分かれている。事実、下院暗殺調査特別委員会でのロレンツ、最後には委員らにより執拗に揚げ足を取られたことは紹介したとおりだ。この後、実際にロレンツの証言を補強する決定的な物証、特に写真が提出されたという記録はなく、最終的に委員会はロレンツの主張を裏付ける証拠は見つからなかったという結論に達っしたようだ。

 確かに、オズワルドを目撃したという日時以外でも、ロレンツの発言には矛盾やはっきりしていない点が目立つ。ロレンツは、ノートに記した陳述書ではダラスでハワード・ハントがモーテルに来たと明言しているが、委員会の証言ではハントのことをはっきり見ていないと言葉を濁す。だが、その後のハントの民事訴訟での証言、それに九三年に出版された自伝を見ると、ダラスのモーテルでケネディが暗殺される前日の二十一日にハントを四十五分から一時間も見かけたと断言しているのだ。さらに、ダラスに向けマイアミを出たのは、陳述書では真夜中過ぎであると主張しているのに、証言では昼間出発したとしている。暗殺前、ロレンツがダラスに何日までいたかについても、証言では十九日前後、その後のハントの裁判や自伝では暗殺前日の二十一日までいたことになっている。

 それでは、ロレンツの証言は、委員会の結論のように、信じるに足るものではなかったということなのか。彼女はウソをついたのか。筆者はそうは思わない。ロレンツ自身が言っているようにウソをついて得することは彼女には何もない。偽証をしてまで証言する必要など全くないはずだ。多くの矛盾点はあるものの、大筋では話の内容は一貫しており、むしろ、その大筋こそ、研究家は注目すべきではないだろうか。

 委員会で一番問題となったロレンツのオズワルドをめぐる発言に関しては、いくつかの仮説が成り立つ。一つ目は、ロレンツがオズワルドと似た別の人物をかってに彼だと思い込んでしまった、という仮説。しかし、これだと、名前まで一致するはずがない。

 二番目の仮説は、オズワルドの影武者、つまり何らかの極秘作戦を遂行するためCIAが"オズワルド"の替え玉を複数用意していた、というものだ。

 オズワルド複数説を採る研究家は多い。というのも、六〇年一月三日付けのFBIの捜査記録には、オズワルドの出生証明を使った詐欺事件の可能性があるとの記述が出てくる。次にオズワルドがソ連にいたとされる六一年一月二十日には、オズワルドと名乗る男ががっちりした体格のラテン系の男と車の販売店に現れ、「民主キューバの友」という団体のためのトラックを探していた。六三年十一月一日、ウォーレン委員会がオズワルドはダラスで働いていた証拠があるとした日には、オズワルドとみられる男が、フォートワースの銃器店に来て武器を購入している。極めつけは、ケネディ暗殺の約二カ月前、オズワルドと名乗る男がメキシコのキューバ領事館とソ連大使館を訪れたことだ。ところがCIAがメキシコに現れたオズワルドだとした写真は、オズワルドとは似ても似つかない体格の男だった。

 こうしたオズワルド替え玉説主張者の中に、元CIA工作員、ロバート・マローもいる。マローによると、オズワルドの替え玉には少なくとも、外見の替え玉であるセイモアと、声の替え玉であるエチェヴェイラの二人がいた。メキシコでオズワルドを名乗った男は、エチェヴェイラであったため、出回った写真がオズワルドと似ていなかったのだ。

 オズワルド複数説をロレンツの証言に当てはめると、一九六〇年と六一年に見たのはマローの主張するセイモアであった可能性が出てくる。場合によっては、ダラスに同行したオズワルドもセイモアであったかもしれない。ロレンツが出会ったオズワルドが無口であったことも説明がつく。おそらくセイモアは声が本物のオズワルドに似ていなかったのだろう。

 しかし、ロレンツは写真を見た上で自分の会ったオズワルドと同一人物だと断言しているわけで、双子でもない限り(オズワルドにはロバートという兄か弟がいるが、双子ではない)、ロレンツがセイモアとオズワルドを間違える可能性は低いように思える。
(続く)

カストロが愛した女スパイ180 「アメリカ外交史(230)」

▼エピローグのエピローグ(今度こそ最終回、たぶん)
数奇な半生を送ったロレンツの物語も、幕を閉じるときが来たようだ。ロレンツの自伝は、この3人の団欒の場面で終わっている。そのため、その後ロレンツたちの間でどのような会話が交わされ、また別れがあったかなどの詳細はわからない。おそらくは、息子とカストロに最後の別れを告げて、そのまま後ろ髪をひかれるようにして、二人の子供が待つアメリカへ戻ったのだろう。

その後のロレンツの足取りについては、点と点をつなげるような断続的な情報しかない。しかし、その中でも特筆すべきは、スタージスの上司である元CIA情報部員ハワード・ハントの民事裁判で果たしたロレンツ証言の役割であろう。

きっかけは、右翼雑誌『スポットライト』が報じたケネディ暗殺事件に関する記事であった。ハントがケネディ暗殺事件にかかわっていたと報じたのだ。これが闇の勢力によるトカゲの尻尾きり作戦の一貫であったのか、あるいは独自取材による本当のスクープであったのかはわからない。

怒ったのは、ケネディ暗殺犯呼ばわりされたハントであった。ハントは早速、発行責任者である右翼団体「リバティ・ロビー」を相手取り、名誉毀損の民事裁判を起こした。ハントがケネディ暗殺事件に関与していたかどうかを審議する前代未聞の裁判である。

メディアが注目する中、1985年2月6日に判決が下された。その判決は、意外であると同時に衝撃的であった。陪審員は被告のリバティ・ロビーの勝訴とし、ハントの訴えを退けたのだ。その際、陪審長のレスリー・アームストロングは被告側が提示した証拠により、CIAがケネディを殺し、ハントがその中心的役割を果たしたと確信したとの意見を述べている。そして、その決定的な証拠の一つが、ハントが反カストロ暗殺団とともにケネディ暗殺直前にダラスにいたとするロレンツ証言であったのだ。

その8年後の1993年、ロレンツはカストロからケネディに至るスパイ活動と愛の遍歴を描いた自叙伝『マリタ』を出版、話題となった。日本でも1997年に訳本『諜報員マリータ』が出版された。

しかし、ロレンツのその後のことはよくわからない。筆者も手を尽くして、ロレンツとコンタクトを取ろうとしたが、今どこで何をしているのか皆目わからない。1997年ごろまで、メリーランド州ボルチモアで、姉のヴァレリー・ロレンツが経営するギャンブル依存症患者の矯正施設で働いていたことが知られている。

その後ロレンツは、森の中の庭付きのコテージで暮すことを夢見て、ニューヨーク州北部か、ヴァーモント州に移り住んだとも聞く。

1939年8月18日生まれのロレンツは、現在も生きているとしたら66歳になる。

ロレンツが若いころからあこがれていた「平凡な暮らし」を、ようやく手に入れることができたのであろうか。
(了)

カストロが愛した女スパイ179 「アメリカ外交史(230)」

▼エピローグ11(最終回?)
アンドレはおそらく休んでいたのだろう。慌てふためいた様子で部屋に入ってきた。ロレンツにとって赤ん坊の泣き声の記憶しかない息子は、成人した長身の若者になっていた。白い肌に黒のカーリーヘア。カストロそっくりの鼻に、ロレンツに似た目と口。一目で自分の子だとわかるアンドレが、ズボンのジッパーを上げながら、そしてベルトをズボンに通しながら母親の目の前に現われたのだ。ちょっと滑稽な出会いであった。

「紹介したい人がいるんだ」と、カストロが息子に言った。
ロレンツは再びアンドレをまじまじと見つめた。カストロの面影。22年前の記憶。涙が止まらなくなった。

カストロはドアを閉めると、再びアンドレに向かって「この人だよ」とでも言うようにジェスチャーでロレンツを示した。

アンドレは姿勢を正し、礼儀正しくロレンツの手を取り挨拶した。
「はじめまして」
ロレンツは相変わらず、さめざめと泣いていた。すかさずアンドレが言った。
「ああ、セニョーラ、どうか泣かないで下さい」

ロレンツはアンドレをただ抱きしめた。アンドレは戸惑っていた。「この女性は頭がおかしいのか? なぜこんなにも泣きながら、私を抱きしめるのだろう」といぶかしがっているようだった。

カストロは一度、二人から遠ざかり、再び戻ってきてアンドレに告げた。
「お前の本当のお母さんだよ」

アンドレは明らかに驚いた様子だった。実の母親との初めての出会い。父親から話では聞いていた母親が急に目の前に現われたのだ。一瞬アンドレは凍りついたようになった。

やがて、アンドレは口を開いた。
「お母さんと呼んでもいいですか?」

ロレンツにとって、それは願ってもない申し出であった。
「もちろんよ。あなたに会いたかった。あなたのお父さんが会わせてくれたのよ。あなたの人生を邪魔するつもりはないわ。ただ一目会いたかったの」

「パパが以前、話してくれました。会えてうれしいです」
「私はあなたに会ったことがないのよ。オムツを替えたこともなければ、おっぱいをあげたこともない。私は薬を飲まされて、連れ去られたの。私はあなたが死んだものだと思ったわ。私にはほかに二人子供がいるの。男の子と、とてもきれいな女の子よ」
「えっ! 本当ですか?」

ロレンツはアンドレの顔を両手で包み込み、見つめた。
「こんなに立派に育ってくれて、うれしいわ。それ以上、言葉が見つからないわ」
アンドレが答えた。
「大丈夫です! 何も言わなくても。あなたに会えて本当にうれしいんですから。パパから聞いています。でも僕には別の両親もいるんです。階下にいる老人は大学教授です。私は軍人ではなく、医者になりました。命を救いたいんです。僕もパパも、その仕事を誇りにしています」

ロレンツはベッドに座って、アンドレに言った。
「あなたにあげたいものがあるの。母親らしいことは何もして上げられなかったから、その埋め合わせをしたいの。何かあげなくっちゃね」
「そんなことはいいです。何でも持っていますから」

ロレンツは息子に会えるかもしれないと思って、テープレコーダー、ポラロイドカメラ、ジーンズ、スニーカーをスーツケースに入れて、持ってきていた。目ざとくポラロイドカメラを見つけたカストロが、ロレンツとアンドレに割り込んできて言った。
「いいだろう。アンドレにはテープレコーダー、そして私にはカメラだ」
奇跡のような笑顔が3人を包み込んでいた。
(終わり=かと思いましたが、まだ少し続きます)

カストロが愛した女スパイ178 「アメリカ外交史(230)」

▼エピローグ10
「ちょっとだけでも会うことはできない? それとも国際的な事件がお望み? 私は明日銃殺にされても構わないわ。ただ、彼が元気で生きているか知りたいのよ」とロレンツは言った。
「もちろん! 彼は元気で生きているよ」

「わかったわ。私の望みは彼に会いたいだけ。彼に会いたいわ、フィデル。それは母親の権利よ」
「お前にはほかに二人の子供がいるだろう。この子は必要ないはずだ」

カストロは腹立たしげにドアの方に歩いていった。ロレンツは出て行こうとするカストロの腰にすがりついた。
「フィデル、お願い。教えてくれるだけでいいの」
ロレンツは泣き出していた。

「マリタ、あの子を国外に連れ出させるわけにはいかないんだ」
「フィデル、アメリカに連れて帰るつもりはさらさらないわ。会うだけでいいの。せめて一目その子に会わせて。そうしたら帰るわ」

カストロは答えずに、バルコニーに出て葉巻をふかした。ロレンツもカストロの後からバルコニーに出た。「私は女よ。母親でもあるわ。あなたの命を救ったこともある。取引をしたいだけ。息子に会わせて。そうしたら二度と迷惑はかけないわ。私たちのことがアメリカのマスコミに書かれてしまったことは謝るわ。アメリカのマスコミはいつもこうなのよ」

カストロはずっと黙ったまま、考え込んでいるようだった。カストロとロレンツはしばらく、CIAのことや、ロレンツの娘のことについて言葉を交わした。やがてカストロはロレンツの腰に腕を回し、ロレンツはカストロの肩に頭をあずけた。だんだん心が打ち解けて来るようであった。

カストロが口を開いた。「マリタ、階下にいた老人が息子のことを話してくれるよ」
「私たちの息子よ」

「彼は元気だよ。だが私の息子だ」
「わかったわ。一目会いたいだけなの。それ以上は求めないし、今後連絡を取ることもしないわ。だから彼に会わせて」

カストロはロレンツの肩に手をかけ、ロレンツを抱きしめて言った。
「一度だけ、彼に会わせよう。彼はいい子だ。彼は医者だ。お前も誇りに思うだろう」
「医者ですって?」と、ロレンツは思わぬ言葉を聞いて、涙があふれてきた。「何の医者なの?」

「小児科の医者さ」
「私がなりたいといつも思っていた職業よ」

「彼はいい子だ。階下にいた老人が育ての親だ。ちょっと待ってくれ」
カストロはそう言うと、ドアを開け放したまま部屋から出て行き、隣の部屋に向かって「アンドレ!」と叫んだ。
「アンドレですって?」
ああ、それが息子の名前なのだ、とロレンツは思った。
(続く)

カストロが愛した女スパイ177 「アメリカ外交史(230)」

▼エピローグ9
感情があふれ出し、ロレンツは一気にまくし立てた。
「自殺した難民のいったい何人が、最期にあなたの名前を呼んで死んでいったかわかる? 肌の色が違うという理由で殺された難民がいるのを知っている? 私はあなたを糾弾するために来たのよ。私はあなたに、私が感じたように苦しんで欲しいの。あなたの名前を呼びながら私の腕の中で息を引き取った子供の苦しみを感じて欲しいの。“フィデルに愛しているって伝えて”と、自殺した16歳の男の子が血で書いたシーツをあなたに渡したいの。あなた宛よ。あなたが見捨てた子供の一人からよ。あなたを殴ってやりたかったわ。この二年間、私が流した涙をあなたの目からも流させたいわ。悪いキューバ人もいれば、いいキューバ人もいたわ。でもみんな、キューバの血が流れていたのよ。600人の孤児、それに独身男性や家族たち。彼らはあなたのキューバ人だったのよ。フィデル! あんなに多くの人々を追放するなんて、キューバはいったいどうなってしまったの?」

隣に座ってじっと聞いていたカストロは、ロレンツの話が終わると立ち上がって、言った。
「彼らは国を出たがったので、行かせてやったのだ」
「あなたが間違ったことをやったのかどうかはわからない。私はただ、私が覚えている多くの、多くの子供たちの言葉を伝えたいの。撃ち殺された小さな男の子たちのことを伝えたいのよ。彼らに対する虐待のこともね。私が言わなければ、あなたは一生気づかないままだわ」

「私の閣僚評議会と話をするかい?」
「やめてよ。あなたがキューバでしょ!」

カストロもようやく、事態の深刻さを理解したようであった。少なくとも、ロレンツの言葉に突き動かされたことは確かだ。カストロは無言のままロレンツの顔を見つめ、手をつかんだ。

「お前の子供たちをキューバに連れておいで。家はある。すべてを揃えておこう」
「今となっては、子供たちも付いて来ないでしょうね。もう大きくなったし、観光でなら来るかもしれないけど。それよりフィデル、私にはもう一人、私の手で育てられなかった男の子がいるはずよ。あなたのもとにね。その子のことについて教えてちょうだい。知りたいのよ、フィデル。私の心にはポッカリと大きな穴が開いているわ。あなたが私の母との手紙のやりとりで、私とあなたに似た男の子の写真を送ってきたのを知っているわ。その子は今どうしているの?」

カストロは部屋の中を歩き回りはじめた。明らかに動揺しているようであった。ロレンツはたたみかけた。「教えて。私たちの男の子のことを。あなたと私の血が流れている子供のことを」
「キューバで生まれた子はみな、父親のものだ」
「答えになっていないわ。それはあなたが作った革命法の話でしょ。どの子供にも母親がいるわ」

カストロはこぶしを握り締めた。ロレンツが子供のことを持ち出したことで機嫌が悪くなったようであった。ロレンツはこれ以上怒らせてはまずいと思い、言葉を補った。
「子供に会いたいの。生きているの? お願いよ、フィデル!?」
「あの子はお前のものではない。キューバの子だ」
(続く)

カストロが愛した女スパイ176 「アメリカ外交史(230)」

▼エピローグ8
「カーター大統領が渡航制限を緩和しなければ、私はここに来ることができなかった・・・」
「彼はいい男で、好感がもてる。私はケネディのことも好きだった。カーターも好きだな」
そういい終わるとカストロは、部屋の中を歩きはじめた。

ロレンツはずっと、カストロに言わなければならない言葉を探していた。だが、なかなかきっかけがなく言い出せない。そこでとりあえず、葉巻の話をすることにした。
「まだ大きな葉巻を吸っているのね。ニューヨークの新聞には、禁煙をしていると書いてあったわ」
「アメリカの報道などそんなものだろう」

こうしたたわいないやりとりが続いた後、カストロがロレンツに言った。
「お前は相変わらず、とてもきれいだ」
「そう、あなたが愛する殺し屋が戻ってきたのよ。殺したければ殺してもいいわ」

「やめてくれ! そんなことはしない。なぜ戻ってきたんだ?」
「あなたを殺すためかもしれないわよ。300万ドルであなたを殺しにね。あんたの部下たちは私のバッグの中身を調べもしなかったわよ」

「お前にはできないよ。するつもりもないだろう」
「変わってないわね、フィデル。今も自信満々ね! あなたがキューバのために成し遂げたことは素晴らしいと思っているわ」
そう言うとロレンツは、ベッドに腰をおろして気を落ち着け、いよいよ意を決し、本題に入った。
「どうしてここに来たかわかる、フィデル? この二年間というもの、あなたのことをずっと考えていたわ。私はその間、軍の施設でキューバ難民の世話をしていたのよ。そこで死んだ人たちのことを思うと、涙が止まらないわ」

「何があったんだ?」とカストロは聞いた。
「どうしてあんなに多くの難民をアメリカに送り込むの?」
「食料が不足しているし、刑務所も定員オーバーだ。みなの面倒をみることはできない」

「フィデル、600人の子供が・・・」
「反乱分子の子供、必要とされていない子供、私が養うことができない子供だ」

「いいわ。そうだとしても、彼らがアメリカでどんな目に遭ったかわかる?」
自分が見放した子供たちが、アメリカでもっと悲惨な境遇にいる――そう聞いて、カストロは一瞬、言葉を失った。ロレンツの隣に腰掛け、目を大きく見開いて「どうなったんだ?」と聞いた。
(続く)

カストロが愛した女スパイ175 「アメリカ外交史(230)」

▼エピローグ7
「あなたのせいで、私の評判は台無しになったわ」と、ロレンツは話を続けた。赤ん坊を奪われたロレンツは、「独裁者の哀れな愛人」として反カストロのプロパガンダに利用され、暗殺失敗の落伍者としてキューバ侵攻作戦の駒にされかかった。

カストロはすぐには答えずに、ロレンツの肩に手を回した。そして、おもむろに言い返した。
「お前はどうなんだ? お前は? お前はペレス・ヒメネスのもとに走り、やつと関係を持った。あいつは、ハゲでデブの醜男だ。なのにお前は、あいつの子供まで産んだ」

ロレンツは不意を突かれた。、ヒメネスの話を持ち出されるとは思わなかったのだ。
「ペレス・ヒメネスのことは言わないで」と、自分の狼狽を取り繕うように言った。

カストロは顔をそむけ、ロレンツに背を向けた。カストロが憎み蔑んでいたベネズエラの独裁者の愛人になったことに対する無言の抗議であった。
ロレンツは半ば開き直って言った。
「そうよ! 確かに私は彼の子供を産んだわ! でも、私はあなたの子供も産んだはずよ。あの子はどこにいるの? 私がここに来たのは、お互いのロマンスの話をするためではないわ」

カストロは窓辺に歩み寄り、やがて厳かに言った。
「ペレス・ヒメネスと関係をもったこと以外は、不問に付そう」

これに対しロレンツは畳み掛けるように言った。
「フィデル、愛していたのよ。多分今でも、私はあなたを愛しているわ。でも、私がどんなに苦しんだか想像できる? さんざんなぶられた挙句、アメリカ政府の捨て駒になって。そのような中で、二人の子供を育て上げたのよ。それが簡単な人生だったと思う?」
「二人の子供だって!」

「そうよ、二人よ。一人はヒメネスの子、もう一人は、あなたが知る必要もない人の子で、男の子よ。ここに来たのは、お互いの私生活について話すためではないわ。別の理由で来たのよ。第一に、あなたはとても元気そうで、私は離婚している。ここに戻ってきて暮らしてもいいと思っているわ」
「ここでずっと暮らすつもりか?」
カストロには、ロレンツがキューバに戻ってきた理由がわからなかった。永住する目的で来たのか、あるいは誰かに頼まれて来たのか。

「フィデル、私にはアメリカに二人子供がいるわ。私は誰かの代理でここに来たわけでもなければ、どの情報機関に頼まれてきたわけでもない。私は私よ」
「そう願いたいものだな」

「私は帰ったら、多分殺されるわ。CIAは私がここに来たことを知っているもの」
「帰る必要はないさ。ここにいればいい!」
(続く)

荒ぶる吹雪 「ラグビー情報投稿してください。(4550)」

今日は東京地方、朝から雪が舞いました。

雪

上の写真は阿佐ヶ谷駅の南口です。寒そうな景色ですね。まさに荒ぶる吹雪が逆巻いていましたよ。

この日は、杉並区役所で(恒例の)早稲田大学ラグビー部優勝報告会がありました。1月8日の大学選手権で優勝した佐々木組のレギュラーが、怪我で入院中の五郎丸選手を除き勢ぞろい。

早稲田

ここでも、日本一になったときだけに歌う「荒ぶる」を披露しました。

早稲田

これが主将の佐々木選手。

早稲田

次の写真は副将の青木選手ですね。

早稲田

青木選手は卒業後、サントリーでプレイすることが決まっています。サントリーには、関東学院の有賀選手や慶応の竹本選手など各校の主将が集まりますね。佐々木選手の就職先は未定だそうですが、同じく未定だと言っていたプロップの前田選手はサントリーに行く可能性が強いそうです。

その後、上井草駅前の商店街でパレード。そして早稲田の体育館で商店街主催で優勝報告会がありました。ここはまさに、早稲田ファンのために開いてくれたような報告会でした。樽酒やちょっとした軽食が振舞われ、選手と直に話ができます。私もほぼレギュラー全員と言葉を交わしました。

フジテレビに入ることが決まっている内橋選手は、もう本格的にラグビーをやることはないそうです。曾我部選手は見かけ通りひょうきんでしたが、後輩からは優しい人だといわれていました。矢富選手と豊田選手はヤンチャ。菅野選手も真面目で優しい感じがします。

次の主将は、首藤選手か東条選手という説が有力でした。
下の写真が首藤選手です。

早稲田

さて、あごの骨折で入院している五郎丸選手は、怪我をした翌日か翌々日には手術をして、現在流動食しか食べられない状態だそうですが、近日中に退院予定。2月12日の日本選手権トップリーグ上位チームとの対戦(予定)に間にあうよう奇跡の復活を目指します。その間、五郎丸選手の替わりにフルバックを務めるのは、高橋銀太郎選手ですね。佐々木選手は「よくキックの練習をさせておきます」と冗談交じりに話していました。

今季限りで辞める清宮監督は迷ったようですが、現段階ではサントリーに戻ることを考えているようです。

清宮監督

早稲田ラグビーファン向けのブログでした。

カストロが愛した女スパイ174 「アメリカ外交史(230)」

▼エピローグ6
ロレンツはドアの正面にあるベッドの端に、背筋を伸ばして座っていた。足音がドアの前で止まった。カストロがドアを開ける前から、懐かしい葉巻の匂いが部屋に漂ってきた。

部下を引き連れたカストロが部屋に入ってきた瞬間、ロレンツは思わずベッドから立ち上がった。カストロは立ち止まり、ロレンツを見つめ、ロレンツも凍りついたように動かずにカストロを見つめた。カストロが衛兵たちに向かって命令した。「もういいぞ」

ロレンツは再び、ベッドの端に腰をおろした。これまでのいろいろな思いが交錯して、何と言ったらいいかわからなかった。とにかくロレンツは、カストロをかつて殺そうとした危険極まりない女スパイなのだ。正直、カストロがまさか自分に会ってくれるなどとは思っていなかった。

衛兵たちが部屋の外へ出て行くと、カストロは自分でドアを閉め、ロレンツを再び見つめた。緩やかな沈黙。時間が静かに回りだす。カストロとロレンツの間には、21年間の空白が横たわっていた。カストロの髪は少し白くなり、お腹の周りには贅肉がついていた。しかしそれ以外は、あのときのままであった。

ロレンツが沈黙を破った。
「久しぶりね。何年も会えなくて寂しかったわ」

カストロは部屋を少し歩き回った後、ロレンツに手を差し伸べ、ロレンツの手を握り締めた。
「お帰り、私のかわいい暗殺者君」

ロレンツは微笑み、カストロは口を開けて笑った。徐々にではあるが、59年当時の二人の記憶や感触がよみがえってきた。二人とも何も言わず、ただ声を上げて笑った。そして無言でただ抱き合った。懐かしい、あのときの抱擁そのままであった。心の中で、涙があふれそうになった。

「時間がたちすぎたわね、フィデル」
「君はまだ生きているじゃないか」
「あなたもね。私に感謝しなさいよ」
「ああ、わかっているよ」

ロレンツは難民キャンプでの悲惨な子供たちの話を切り出そうとした。しかし、カストロに再会したことによって湧きあがる圧倒的な感情のほうが勝ってしまう。

「フィデル、あなたは私に借りがあるわ」
「え、何て言ったんだい?」と、カストロは聞き返しながら、ロレンツを抱きしめた。

「もう昔の話よ、フィデル」
「ああ、お互い、とても若かったな」
(続く)

カストロが愛した女スパイ173 「アメリカ外交史(230)」

▼エピローグ5
案の定、キューバのホセ・マルティ空港で、ロレンツは足止めを食った。お尋ね者の女スパイが、性懲りもなく21年ぶりにキューバの地に戻ってきたのだ。

士官6人とカストロの顧問団が、代わる代わるロレンツを尋問した。尋問されながら、ロレンツは心の中で叫んでいた。「殺したければ殺しなさい。どうせアメリカに帰ったらCIAに殺されるんだから」

ロレンツにとっては決死の覚悟であった。なんとしても、キューバの子供たちの窮状をカストロに直接訴えたかった。カストロの厳しい法執行が、アメリカでの悲劇を生んでいる。ロレンツは尋問者に対して何度も繰り返して言った。「フィデルと二人だけで話をさせて」「伝言して欲しくてキューバまで来たわけではないわ」「いいえ、私は誰かに言われて来たのではありません」

尋問者たちは、ロレンツの処遇を決めかねていた。ロレンツはベンチで6時間も待たされた。水が欲しいと言うと、衛兵はマシンガンを床に置いて、グラス一杯の水をもってきてくれた。その衛兵の雰囲気から、ことがうまく運びそうな気がしてきた。

さらに30分が過ぎた。突然ドアが開き、軍服を着た保安・検閲担当の士官2人が入ってきて告げた。「ロレンツさんですね? われわれと一緒に来てください」

ロレンツたちは車に乗って、ハバナの街を抜けた。街中には「チェ、万歳!」「カミロ、万歳!」などと書かれたポスターが貼られていた。22年前に初めて嗅いだ、異国のジャスミンの香りも漂っていた。懐かしい街並み。やがて車は、見事に手入れされた並木道を通って、屋根に衛星受信アンテナが立っている一軒の家の前で停まった。

二人の衛兵がロレンツのスーツケースを持って、その家の中へ入っていった。ロレンツも二人に続いて中に入った。扇風機がブンブンと、うなりをあげて回っていた。見知らぬ老人が近づいてきて、ロレンツの手を取って、その手にキスをした。それから彼は、ロレンツの両手を深く握り締めて言った。「セニョーラ、ようこそキューバへ。お帰りなさい」

衛兵はロレンツを、階上にある「移民の館」という綺麗な部屋へと案内した。衛兵がロレンツのスーツケースを下へ置いた。ダブルベッド、ナイトテーブル、バスルームのある部屋だった。兵士の一人が、カストロがこちらに向かっているところだとロレンツに告げた。

灰皿には半分ほど吸い掛けた葉巻が置いてあった。誰が吸っていた葉巻だろうか。カストロはアメリカのメディアのインタビューで、健康に悪いから禁煙したと話していた。

ロレンツは、兵士に向かって訊いた。「彼はまだ吸っているの?」
兵士は答えた。「ええ、でも小さな葉巻を吸っています。大きな葉巻の数は減らしています」

やがて遠くから足音が聞こえてきた。緊張が走り、部屋にいた兵士たちはたちまち気をつけの姿勢をとった。
(続く)

カストロが愛した女スパイ172 「アメリカ外交史(230)」

▼エピローグ4
ロレンツが働く難民キャンプでは、キューバ難民の人口が12万5000人に達し、もはや収容能力を大幅に超えてしまった。そこでロレンツが働くようになって8ヵ月後、難民を全員、アーカンソー州のフォート・チェイフィ基地に移すことになった。

フォート・チェイフィ基地は、前のキャンプ地よりも気候は穏やかで、敷地も広大だった。軍関係者や国際救助委員会、赤十字などが応援に駆けつけ、難民の整理や苦情・要望の相談に当たった。

難民の受け入れ態勢は前のキャンプ地よりも整っていた。だが難民にとっては、リクリエーション施設や教育施設もない、鉄条網で囲まれて混みあった収容所であることに変わりなかった。いつ外に出られるかもわからない、精神を追い詰める牢獄のようでもあった。

やがて、退屈と不安と絶望に耐え切れなくなる難民も出てきた。ロレンツのようにスペイン語を話せる衛兵も少なかったことから、難民と衛兵の間で小競り合いがしばしば発生した。キューバの出身地別にグループを作って抗争を繰り広げたり、宗教的儀式に没頭するようになったり、キャンプ地から脱走したりする者も跡を絶たなくなった。

しかし収容施設から脱出できたとしても、キャンプの周囲の町やコミュニティが歓迎してくれるわけでもなかった。最初は好意的だった周囲の人たちも、保証人に引きとられて外に出てきたキューバ難民が殺人や強盗を犯したことがマスコミに大々的に取り上げられるようになると、態度を一変させた。キューバ人は厄介者だという先入観が生まれ、犯罪に走るキューバ人が実はごく少数であったにもかかわらず、キューバ人はすべてコミュニティの敵であるとみなす風潮が出てきた。

アーカンソーが、白人至上主義者の集まりである、悪名高いクー・クラックス・クラン(KKK)のお膝元であることが事態を悪化させた。KKKはキューバ人を憎み、すきあらばキューバ人を退治しようと考えていた。基地から脱走したキューバ人は、その対象となった。

彼らは“射撃大会”を開き、脱走キューバ人を闇に葬り去ることもあった。一般のキューバ人5点、性病にかかっているキューバ人10点、重罪犯のキューバ人15点、スパイのキューバ人25点などと得点を設定して、文字通りキューバ人狩りを楽しんだ。

KKKの共鳴者は、キャンプの警備員や衛兵の中にもおり、殺されたキューバ人に関する書類が“紛失”することもあった。被害者の記録がなければ、犯罪として捜査することもできなかった。

キャンプ地内の悲惨な生活は続いていた。被害者は多くの場合、子供や女性といった弱者であった。彼らはしばしば、性欲と暴力の対象とされた。騒ぎ立てる者はみな、棍棒で叩かれたり、強力な鎮静剤であるソラジンを注射されたりした。

自殺や虐待や病気で、いったい何人の子供たちが犠牲となったのだろうか。ロレンツの目の前で、何人ものキューバの子供たちが息を引き取っていった。ロレンツはそのたびに、行き場のない怒りでいっぱいになった。

キャンプ場で1年半ほど働いた後、ロレンツはニューヨークへ戻った。しかしキャンプ地でみた惨状は、目に焼きついていた。義憤に似た感情がフツフツと湧きあがり、居ても立ってもいられなくなった。

折しも、民主党のカーター政権誕生でキューバへの渡航制限が緩和された時期でもあった。ロレンツは1981年9月、カストロに会うためにキューバへと向かった。
(続く)

カストロが愛した女スパイ171 「アメリカ外交史(230)」

▼エピローグ3
キューバからの難民たちは、広大な予備軍基地の倉庫や兵舎に収容されていた。ロレンツの仕事は、アメリカに着いたばかりのキューバ人たちのために通訳をしたり、身元を調査したりするものだった。それは軍情報部の任務でもあった。

軍情報部は、そこにいるすべてのキューバ人が純粋な難民であるとは考えていなかった。スパイや過激派分子も混ざっていると疑っていたのだ。ロレンツは、パスポートを持っているキューバ人を探し出し、パスポートを回収したりもした。パスポートがなければ、キューバに簡単に戻ることもできなくなるからだ。

誰がドイツ語やロシア語、フランス語など外国語を話すかを調べるのも、ロレンツの仕事であった。それによって、東ドイツなど共産圏に行ったことがあるキューバ人や、アンゴラに派兵された疑いのあるキューバ人の目星をつけるのだった。軍情報部は、誰がスパイで、誰がテロリストになりそうかを注意深く、かつ入念に調べていた。そして、アメリカのためにスパイになってくれそうな人材も探していた。

こうした難民が発生した背景には、カストロが秩序の乱れを嫌い、法律や規則の適用を厳しくしたことがあった。キューバでは、反政府活動や公序良俗を乱す行為は厳しく取り締まられた。ちょっとした反政府的な落書きをした少年や、ゲイの人たちが、風紀を乱したということで刑務所送りとなった。

このためキューバの刑務所はどこも満杯となり、これ以上収容できない状態になった。そこで政治犯的な受刑者をキューバから追放したのだ。経済制裁による食糧難で、刑務所で大勢の受刑者を収容しておくわけにはいかないという事情もあった。

そうした難民は次から次へとアメリカに漂着し、マイアミからバスに乗せられて、ロレンツが働くキャンプに送られてきた。兵舎はすぐに満杯状態となり、収容者の間で軋轢を生み、緊張が高まっていった。

難民キャンプにおいても秩序を保つ努力が必要だった。難民たちは、早くアメリカ社会に出たいと思っていた。しかし軍当局は、彼らを自由に国内に放つことはできなかった。まず危険人物でないかどうか見極め、精査しなければならなかった。調査が終わっても、彼らに保証人が現われないかぎり、実質的に難民キャンプの塀の外へ出て行くことはできなかった。

難民たちの苦悩と悲劇は、保証人が見つかった後も続いた。すべての保証人が善意の人ではなかったからだ。保証人に引き取られていったキューバ人の中には、男も女も性の奴隷にされたり、不当に安い賃金で働かせられたり、都合よくメイドにさせられたりするなど、変態性欲と搾取のおもちゃにされた者も多くいた。まさに奴隷市場の様相を呈していた。

難民キャンプのスタッフは保証人をふるいにかける作業に追われたが、保証人について外に出て行くキューバ人たちのその後を、チェックする仕組みなど存在しなかった。
(続く)

カストロが愛した女スパイ170 「アメリカ外交史(230)」

▼エピローグ2
命からがらニューヨークに逃げてきたロレンツを待っていたのは、すっかり荒れ果てたアパートであった。かつての住み家は物色され、火炎瓶による襲撃を受けていた。電気も止められていた。ロレンツたちはその後6週間、その暗くて寒い、廃墟のようなアパートの一室で身を潜めるようにして暮らした。

すでに“逃走資金”は底を突いていたので、所持品を路上で売って、何とか食いつないだ。やがてその住み家からも立ち退きを言い渡され、寝場所を転々と渡り歩いた。キューバへの亡命も考えた。しかし、子供たちを連れてキューバ大使館へ向かうたびに、CIAの情報部員から殺すと脅された。

1980年3月、ロレンツは彼らのマンハッタンにある事務所に呼び出され、「最後通牒」を突きつけられた。

CIAにとって、知りすぎた女であるロレンツが邪魔物であることに変わりはなかった。しかし、すでにマスコミに名前が知れ渡っているロレンツをあからさまに消すことも難しい状況であった。そこで彼らは、ロレンツに選択を迫った。CIAの下でキューバから逃れてきた難民の世話をするか、自殺するかであった。

情報部員はロレンツに銃を渡して言った。「今から隣の部屋に行って頭をぶち抜くのもよし、あるいは、お前の忌々しいボーイフレンドがアメリカの沿岸に投げ捨てるマリエリト(キューバのボートピープル)の面倒をみるもよし。どちらかを選べ」

もちろんロレンツには、自殺するつもりなど毛頭なかった。白紙のCIAの書類にサインして、ペンシルヴァニア州にある、キューバ人難民キャンプに向かった。
(続く)

カストロが愛した女スパイ169 「アメリカ外交史(230)」

▼エピローグ1
筆者は一九九九年4月、下院暗殺調査特別委員会初代委員長のトマス・ダウニングを訪ねた。ワシントンDCから車で3時間走らせたところにあるヴァージニア州の法律事務所でダウニングは、遠く離れた東洋からはるばるケネディ暗殺事件について調べに来た私の取材に快く応じてくれた。ダウニングは今でも、ケネディ暗殺はオズワルドの単独犯行ではなく、CIAに支援されていた亡命キューバ人のグループによる陰謀であったと確信していた。

「下院特別委員会設置当初は、委員のほとんどがケネディ暗殺は陰謀であったと信じていた。委員会はきっとその陰謀を解明することができると思っていた」と、ダウニングは当時を振り返る。

しかし、委員会にも限界があった。委員長であったダウニングも、議員としての任期が途中で終わってしまい、委員長職を他の議員に譲らなければならなくなった。委員の入れ替えも何度かあった。

委員会の長期にわたる調査活動に比べて、議員の任期が短すぎたのかもしれない。その中で、CIAの息のかかった議員が委員会に忍び込む透き間が生じたのかもしれないし、あるいはウォーレン委員会のときと同様に巧妙な誘導がなされ、意図的な報告書が作成されたのかもしれない。ロレンツ証言から約8ヶ月経った79年1月に出された下院特別調査委員会の報告書は、致命傷を与えたのはオズワルドだが、オズワルド以外に狙撃手がいた疑いもあるという、陰謀の可能性をにおわせる程度の内容で終わってしまった。

「(報告書は)今ひとつ踏み込みが足らず、失望した。はぐらかされた感じだった」と、顔をゆっくりと横に何度も振りながらダウニングは言った。そこには、及ばなかった自分の力を悔やむ姿がかすんで見えた。

委員会で発言したロレンツはその後、どのような人生を歩んだのであろうか。
自伝を読むと、その後もしばらくは波乱の人生が続いたようだ。CIAからたびたび嫌がらせを受けた。命を狙われたこともあったという。

1979年10月にカストロが国連で演説するためにアメリカを訪問したとき、その危機が訪れた。シークレット・サービスの男たちが、ロレンツにアメリカから出て行くよう告げた。カストロが訪米する数日前には、当時住んでいたコネティカット州のロレンツの家に銃弾が撃ちこまれ、馬や豚やヤギなど飼っていた動物が殺された。

ロレンツは子供とカナダのモントリオールまで車で逃れ、当地のキューバ大使館に保護を求めた。保護を受けていた二日間、キューバ大使館の外では、武装した情報部員がロレンツを監視していた。

ロレンツは隙を見つけて大使館を出て、今度はかつて住んでいたニューヨークのアパートに向けて車を走らせた。情報部員たちはすぐにロレンツを追った。道中は、ハリウッド映画さながらのカーチェイスであった。彼らは、幅寄せしてロレンツの車を道路から突き落とそうとしたり、ロレンツの車に向かって発砲してきたりした。ロレンツも負けじと、撃ち返した。
(続く)

カストロが愛した女スパイ168 「アメリカ外交史(230)」

▼闇と光
 約七時間半もの長時間にわたるロレンツの証言が終わった。外はもう、日が暮れかかっていた。夕日がエジプトのオベリスクをかたどったワシントン記念塔の向こう、ポトマックリバーの川辺に建つリンカーン記念堂のはるか先の方へと姿を消そうとしていた。

 これでよかったのだろうかー。ロレンツは今日の証言を振り返った。この証言を受けて下院特別委員会は真相究明に向かって突き進んでくれるのか。それともうやむやに終わってしまうのか。ただひとつだけ言えることは、真実を語るというアメリカ国民としての義務をロレンツが果たしたということだ。

やれるだけのことはやったのだ。証言できることはすべて委員の前で話した。ロレンツは自分に言い聞かせた。未来永劫隠しおおせる真実などないのだ。少なくともロレンツの証言は、国家的な陰謀という巨大な暗闇の中で真実を探り出すための第一歩を踏み出したことにほかならない。

 太陽が西の彼方に完全に隠れると、闇がワシントンDCを包み込むように降りてきた。夜露を含んだ風が心なし肌に冷たく当たった。闇の中には沈黙がたたずみ、長く停滞する気配があった。しかし、長い目でみれば、それもつかの間のことだ。ロレンツはそう思ったにちがいない。やがて朝が来れば、沈黙の闇の向こう、東の空から、キャピタル・ヒルの頭上に再び光が差し込んで来ることを疑う余地はなかった。
(続く)

カストロが愛した女スパイ167 「アメリカ外交史(230)」

▼委員会終了
 マクドナルドが言った。「ロレンツさん。あなたの弁護士があなたに質問していたとき、確かフィデル・カストロがジョン・F・ケネディ暗殺に関与したと思うかと聞かれましたね。そのとき何と答えたか覚えていますか?」
 「はい」

 「何と答えましたか?」
 「彼が関与しているとは思わないと言いました。フィデルはそれとは全く関係ないと思います」
 カストロがケネディ暗殺に絡んでいたと今でも信じている人がいることを、ロレンツは信じることができなかった。カストロ陰謀説は、スタージスが言ったように、反カストログループのプロパガンダにすぎないのだ。

 マクドナルドが聞いた。「それからあなたの弁護士は、どうしてそう思うのかとたずねましたね?」
 「私は、フィデルのことをよく知っているからだと答えました。私はフィデルのことを知っていると思っています」

 「私はあなたの答えから、あなたがフィデルと話したことがあると思ったのです」
 「暗殺の後、彼と話したかということですか?」

 「いいえ、暗殺の前にです」
 マクドナルドの質問には、ロレンツがカストロの命令でケネディ暗殺に関与したかどうかをチェックする狙いがあった。
 ロレンツが答えた。「暗殺の前? フィデルの命を狙ったすべての企みについて、彼は個人的にだれかを脅すことはありませんでした。だけど、私が殺された場合には、その責任を負うものに対し仕返しをすると言っていたそうです」

 ロレンツの答えが意図した内容と違ったので、マクドナルドが再び聞いた。「あなたの弁護士が、何故フィデルがケネディ暗殺に関与していなかったと思うかと聞いた質問に対し、あなたは、私が覚えているところでは、あなたがフィデルと個人的に話をしていたからだと答えたと理解しているんですが」
 「いいえ、そんなことはありません」

 やりとりを聞いていたクリーガーが、マクドナルドの質問にクレームをつけた。「もう一度速記者に読み上げてもらったらいいではありませんか。そうすれば彼女の答えが何だったか判明しますよ」

 マクドナルドが議長に聞いた。「見つけるのに時間がかかりますか?」
 議長が言った。「速記録を遡って、それを読む上げるより、質問が適切に理解できたか聞けばいいでしょう」とロレンツにちゃんと答えるよう促した。

 ロレンツが口を開いた。「ケネディ暗殺の後のことですか?」
 マクドナルドが時間の無駄だと思い発言した。「議長。これ以上質問しても効果があがると思えないので、質問はこれで打ち切ります。私は議長の決定に従います」

 これを受けて議長が総括に入った。
「証人に対する質問はもうないと思います。
 私から言いたいことがあります。証人は何度も、証言を補強するテープや、証人が少なくとも一時期所有していた写真について言及しました。さらに、フランク・スタージスがポルトガルなどヨーロッパから電話を掛けてきた事実や、証人がFBIの仕事をしていたという事実についても言及しました。もし、証人がこうした事実を補強する書類を見つけたら、当委員会にとって非常に役立つでしょう。電話の記録やFBIから受け取った証明書の類、さらには、あなたの証言を補強する写真やテープなど、もしこれらがあれば、委員会としてはいつでも受け入れる用意があります。
 あなたの証言は非常にドラマティックなものでした。それだけに信頼性の問題も非常に重要なのです。委員会はその真相を究明したいと思っています。だからあなたが証言したことを補強するいかなるテープや写真、証拠書類が見つかったら、委員会としては是非ともそれらをもらい受けたい。
 我々の規則では、証言の最後に五分間、証人なり、証人の弁護士なりが意見を述べることができるようになっています。残りの時間はこの五分間ルールを適用しようと思います。証人並びに証人の弁護士はこの際、何か意見を述べられたいのであれば、それを認めます」

 クリーガーがロレンツと一言相談した後に答えた。「議長。証人も私も満足しております。これ以上意見を述べるつもりはありません」

 とにかくロレンツとクリーガーにとっては、証言することに重要な意味があったのだ。真実をロレンツが語ればそれでよかった。後は議会なり、司法当局なりが判断すればいいことだった。ロレンツは義務を果たしたのだ。その安堵感がロレンツと弁護士にあった。

 議長が言った。「ありがとう、クリーガーさん。証人はこの後も召喚状が出されたままの状態にあります。今日、証人が証言されたことをさらに明確にするのに役立つであろう証拠書類、写真、それにテープの類について、我々はいつでも受領する用意があることをもう一度強調しておきます。
 今日、あなたが証言に来てくれたことを感謝します。委員会はこれで休会する」

 クリーガーがこれに答えた。「ありがとう、議長」
 同委員会は午後四時五十分をもって終了した。
(続く)

カストロが愛した女スパイ166 「アメリカ外交史(230)」

▼嘘つき呼ばわり
 埒が明かなかったのでドッドが別の質問をした。
「フィシアン氏は日付のことを持ち出しました。記録のために申し上げますが、ロレンツさん、公的な記録にのこっているのです。リー・ハーヴィー・オズワルドは五九年十月十六日にモスクワに着き、六二年六月十三日の水曜日にニューヨークに戻ってきたのです」
 「そのことについては、私は知りません」
 ロレンツにはこう答えるしか答えようがなかった。

 ドッドが続けた。「私はただ、五九年十月の後半から六二年六月という期間の重要性を認めていただきたいだけなのです。そこには二年半、いや二年半以上の年月があるということです。そして残念なことに、その期間はあなたがフロリダ州エバーグレーズの訓練場でリー・ハーヴィー・オズワルドに会ったと、この委員会に対して証言した期間と重なるのです」
 「十月ですか?」

 「五九年十月です」
 ロレンツは依然として混乱していたので、気が抜けたようにこう言った。「私はまだキューバにいました」

 「それは知っています。五九年十月にリー・ハーヴィー・オズワルドはモスクワにいて、六二年六月十三日まで米国に戻ってこなかったのです」
 「それについては知りません。それが私と何の関係があるって言うの?」

 「でもあなたは、リー・ハーヴィー・オズワルドを見たと証言しましたね」
 ロレンツは段々腹が立ってきた。「いいですか、私は好きでここにいるんじゃありません。自発的に来てあげているんです」

 ドッドがロレンツの突然の反応に驚いて聞いた。「何ですって?」
 ロレンツははっきりと言った。「見たものは見たんです。そうでしょ。あなたがどんな情報を持っていようと私は知りません。私には全く関係ありません」

 ロレンツの予想外の剣幕にドッドは「ありがとう」とだけ言って引き下がった。ここでこれ以上議論してもしょうがないと思ったからだ。

 ロレンツは興奮が冷めずにさらに言った。「チェストン氏が持っている写真を探しなさい。そうすれば私は、ピノ(ファジアンのこととみられる)が持っているであろうもう一枚の写真を見つけ出してあげるわ」

 冷ややかで鋭利な空気が流れていた。議長が雰囲気を和やかにする口調で、他の委員に対して聞いた。「これで質問は終わりですね」

 マクドナルドが議長に聞いた。「議会での投票はまだあるのですか?」
 「いいえ」

 マクドナルドがそれではとばかりに発言した。「ロレンツさん。私はもう一つだけ質問があります。第一に、あなたの弁護士は知っていると思いますが、あなたは二度、ここにいる必要がないと言いましたが、あなたには証人としての召喚令状が出ているのです」
 ロレンツは意地になっていた。「私はずっと国外にいたってよかったんです」

 ロレンツは召喚令状が出る前は自分と自分の子供たちの命を守る目的も兼ねてバハマの首都ナッソーに隠れていた。

 マクドナルドはそれでも追及した。「でもあなたは召喚令状によってここにいるんです」
 ロレンツが答えた。「私がここにいるのは手助けになると思ったからです。反対尋問されたり、嘘つき呼ばわりされたりするためではありせん」
(続く)

カストロが愛した女スパイ165 「アメリカ外交史(230)」

▼ウソの記録
 フィシアンとロレンツの論争はおそらく、委員会のメンバーの印象としてフィシアンの圧勝に終わった。彼らにとってロレンツの証言に矛盾があるのは、疑う余地がなかった。ソ連にいた人間をマイアミで見ることはできない。委員会室には奇妙な沈黙が支配していた。ロレンツ証言の衝撃度と、一体どこまでロレンツを信じていいか分からない戸惑いのような感覚が微妙に混じり合い、静かな緊張感を作り出していた。

しかし、いわゆる「文書による記録」がいかにウソで満ちていることは、この後に紹介するエピソードからもわかる。ロレンツが1959年の強制出産により子供を産めない体になっていたとする医者の診断記録が、参考資料として委員会のメンバーに配られていたのである。これはウソの診断記録であった。CIAが望めば、医者の診断書だろうと出入国記録であろうと、偽造することは難しいことではない。オズワルドがどれだけの期間ソ連に滞在したかも、必要とあらば簡単に記録を改竄することができたであろう。オズワルドの出入国記録の“変更”など多くのアリバイ工作の一つでしか過ぎないのではないだろうか。

 朝から始まったロレンツの長時間にわたる証言も後、わずかで終わろうとしていた。その一瞬の静けさを破ってドッドが発言した。「議長」
 議長がドッドに質問を許可した。

 ドッドがロレンツに聞いた。「あなたの子供たちの誕生日はいつですか?」
 それは今までの緊張をほぐすようなたわい無い質問だった。
 ロレンツは気を取り直して静かに答えた。「娘のモニカは六二年三月九日、ニューヨーク生まれです。息子は・・・」

 「モニカはだれの娘・・・」 
 「将軍、マルコス・ペレス・ヒメネス将軍です」

 「もう一度誕生日は?」とドッドが聞いた。
 「六二年三月九日。息子のマーク・エドワードは六九年十二月十三日ニューヨーク生まれです」

 「オーケー。ニューヨークのドクターズ病院の患者になったことはありますか?」
 「なったことがあるって・・・」
 ロレンツはドッドが変な質問をしたので思わず聞き返した。

 ドッドが質問の一部を繰り返した。「ドクターズ病院です」
 「ドクターズ病院の患者ですか?」

 「五九年に」
 「いいえ」

 「ないのですか?」
 「何のために?」
 ロレンツには何の質問なのか少しも検討がつかなかった。

 ドッドが続けた。「ただ五九年にドクターズ病院の患者だったかどうかだけ知りたいのです」

 ドッドの質問には訳があった。ロレンツ証言に先立って事前に配られたロレンツの経歴の中で、ロレンツが五九年にドクターズ病院で左の卵巣の摘出手術を受け、さらに翌年にはルーズベルト病院で右の卵巣を摘出、子供が産めない体になったと書いてあったからだ。それらはFBI情報源で信頼できるはずだった。しかし、ロレンツはその後二人も子供を生んでいる。ドッドはこの情報が正しいかどうか知りたかった。

 ロレンツは質問の意図が分からないまま答えた。「いいえ、ありません」

 「六〇年の初めにルーズベルト病院の患者だったことはありますか?」
 「はい。五九年か六〇年のころにあります」

 「その病院に入院した理由は何ですか?」
 「私はパラテンディニティス(敗血症のことだと思われる)にかかっていました。だけどそれがこの委員会と何の関係があるっていうんです?」

 「ただ質問をしているだけです」
 「私はへたくそな中絶手術、キューバでの中絶手術の結果、パラテンディニティスを患っていたんです」

 「そこで手術を受けたのですか?」
 「はい」

 「手術の結果はどうでしたか? その手術の目的は何だったのです?」
 「私の命を救うことです」

 「つまり何だったのです?」
 ロレンツは答えをただ繰り返した。「私の命を救うことです」

 「彼らは何かを取り除きましたか?」
 「肥大したところとか、掻爬術とか」
 依然としてロレンツには質問の意味がピンとこなかった

 ドッドはさらに聞いた。「ドクターズ病院の患者ではなかったという証言ですね?」
 「患者ではありませんでした」
ロレンツにとってドッドの質問は全く意味をなさなかったが、当時、カストロのせいでロレンツが手術を受け子供が産めない体になったと騒いだタブロイド紙があったことをぼんやりと思い出していた。
(続く)

カストロが愛した女スパイ164 「アメリカ外交史(230)」

▼確信と疑念
フィシアンが追い打ちをかけた。「ではあなたが、日付について何故こんなデタラメな情報をこの委員会でしゃべったか説明してもらいましょうか?」
 「私はデタラメな情報なんて話してないわ」とロレンツは怒って言った。

 「ロレンツさん。私はちょっと前にあなたの証言について慎重に吟味しました。そしてあなたは、ピッグズ湾事件の前にリー・ハーヴィー・オズワルドに確かに会ったと我々に証言したのですよ」
 「そう証言しました」

 「二度も証言しましたよ」
 「はい」

 「リー・ハーヴィー・オズワルドはその期間ずっとソ連にいたのです」
 「そんなことは知りません。知らなかったんです。私が会ったリー・ハーヴィー・オズワルドは写真の男とも隠れ家にいた男ともフランクが知っている男とも同じ人物です。彼があなたの情報によるとどこにいたか何て私は知りません。知りません。彼について言われている、そうした仮説など読んだこともないんですから」

 「それは仮説などではありませんよ」
 ロレンツは感情を抑えきれずに、早口で話した。「私は自分が真実を語っていると知っています。もしあなたが真実はいらないというのなら、お気の毒様としか言いようがないわ。私は無償でここに来ているのよ。何も得るものはないのよ。何も。あなたは殺人事件の捜査をやっているわけでしょう。私にけんかを売ったり、私を裁判にかけたりするようなことは止めてちょうだい」

フィシアンはさらに皮肉を込めて、ロレンツを突き放した。「我々も完全で誠実な証言さえ得られればね」
 ロレンツは訴えるように言った。「ちゃんと証言したじゃないですか。私はあなたたちに完全で誠実な証言をしたんです。私はほかの人のことは知りません。私には失うものはないし、隠し立てすることもありません。何もありません」

 フィシアンは言った。「あなたは、隠れ家やエバーグレーズの訓練場で出会った人物がダラスで会った人物と同一であると確信していると証言しましたね?」
 「実際、そうです」

 「モーテルで会った人物と」
 「そうです」

 「同じ時期に二人のリー・ハーヴィー・オズワルドが存在するのをどう説明するのですか?」
 「説明できません。だけど私は、自分が会った男のことを知っています。彼は嫌なやつで、私は彼が嫌いでした。私はここにいる必要なんて全くないんですよ。何も得るものがないんですから」

 ロレンツ証言の信ぴょう性が崩れ落ちるのを見て取ったフィシアンは勝利の味をかみしめながら言った。「ありがとう。これで終わります」
(続く)

カストロが愛した女スパイ163 「アメリカ外交史(230)」

▼証言の矛盾
 フィシアンはここまでのロレンツの証言を聞いて、ロレンツとロレンツの弁護士に翻弄されたと感じていた。フィシアンは機会が到来すれば逆襲を始めようと考えていた。その機は熟したように思えた。フィシアンにとって、オズワルドを見たとするロレンツの証言が、自分が知っている事実と異なることは明白だったからだ。その事実をロレンツに突きつけ、たじたじにさせ、さも鬼の首を獲ったかのようにフィシアンは勝ち誇りたかった。

 しかし、フィシアンが本当に真相を知りたかったのなら、証人を自分の罠にはめるよりも、ロレンツがピッグズ湾事件の前にオズワルドに会ったと証言した時点で、オズワルドがその時期、米国にいたはずがないことを指摘すべきだったのではないか。ロレンツはこの委員会での証言の後、写真に関して訂正を申し入れていることを考えるとなおさらだ。

記憶の根拠になっていた写真が撮られた日付は一九六〇年ではなく、六三年の八月十八日から同年九月二十日にかけてフロリダで撮られたと訂正したのだ。写真にはフランク・フィオリーニ、リー・ハーヴィー・オズワルド、ジェリー・パトリック・ヘミング、マリタ・ロレンツらが写っていたとロレンツは主張している。

 フィシアンがあえて時期の矛盾点を最初に指摘せず、反撃の機会をうかがっていたのは、おそらくロレンツを最初から信じる気になれなかったからではないか。

 フィシアンが口を開いた。「ロレンツさん。あなたの弁護士は、議会の委員会の前で偽証するとどういうことになるか説明しましたか?」
「ええ、しました」

 「それを理解しているのですね?」
 「はい」

 「それらの日付について証言を変えたいとは思いませんか?」
 「いいえ、思いません」

 「それらの日付について証言を変えたいとは思わないのですか?」とフィシアンはしつこく聞いた。
 ロレンツの答えは同じだった。「いいえ、思いません」

 「リー・ハーヴィー・オズワルドは一九六二年の六月までソ連から戻ってきたことはないという厳然たる文書による証拠があるのですよ」
 フィシアンは得意になった。これでロレンツがうそつきであることが立証できると確信したからだ。
 ロレンツは困惑しながら答えた。「私はそんなことは知りません」

 フィシアンは言い放った。「それ故に、六〇年にあなたが隠れ家で彼に会っているはずがない。六〇年においても六一年においても、エバーグレーズで彼に会えるはずがない。加えて、それらの場所で写真を撮れるはずもなければ、その時期に撮った写真も持っているはずがないんだ」
 「本当に?」

 ロレンツは慌てふためくと同時に混乱した。そんなロレンツを見て、フィシアンがとどめを刺すように断言した。「不可能です」
 ロレンツはなおも反論した。「そんなこと知りません」
 ロレンツは本当にオズワルドが六〇年に会ったと信じていた。まさか、その年にはソ連にいたなんてロレンツには初耳だった。
(続く)

カストロが愛した女スパイ162 「アメリカ外交史(230)」

▼オズワルドの謎2
 フィシアンは聞いた。「ということは、八月に隠れ家で(オズワルドに)会ったのですか?」
 「いいえ。八月には将軍の本国送還があったのです」

 「それでは、あなたはそのときはオズワルドに会わなかった。ならば、将軍の本国送還とボッシュの家で彼を見たときまでの間に、オズワルドを見かけたことはありますか?」
 「隠れ家で」
 ロレンツは隠れ家でオズワルドに会ったことをはっきりと覚えていた。しかし、それがいつのことだったのか。ピッグズ湾事件、ヒメネスの本国送還、ケネディ暗殺。あまりにも多くのことがロレンツの周りで起きすぎていた。ロレンツはめまいがした。

 フィシアンが言った。「そうですか。それでは、将軍の本国送還があった八月の後で、かつボッシュの家における会合の前に、あなたは彼に隠れ家で会ったのですね?」
 「はい」と、ロレンツは細かい日時などどうでもいいと思って答えた。

 「ということは、九月とか十月といった話をしているわけですね?」
 「はい、大体その辺です」

 「隠れ家で彼に会った前では、最後にオズワルドを見たのはいつですか?」
 「おそらく訓練場か、ボッシュの家です。ボッシュの家の方かもしれません」

 「エバーグレーズの訓練場で彼に会ったのは何年だと言っていましたか?」
「一九六〇年か六一年です」

 「六〇年から六一年にかけて」と、フィシアンはもう一度念を押した。
 「はい」

 「それはピッグズ湾事件の前ですね?」
 「はい」

 「本当ですか?」
 「ピッグズ湾事件は一九六一年四月です」

 「あなたは六一年四月の前に彼を見たと確信しているのですか?」
 「はい。何故ならアレックスが写真を撮っていますから」
 ロレンツはフィシアンの質問にうんざりしていた。ロレンツは何故、フィシアンがこんなにもオズワルドに会った日にちにこだわるのか分からないでいたからだ。

 フィシアンはロレンツの発言が正確かどうか知ろうとして質問した。
「その訓練の目的は、ピッグズ湾事件に参加もしくは手助けをすることだった?」
 「はい」

 「だからピッグズ湾事件の前に違いないということですね?」
 「はい」

 「あなたは、一九六一年四月に先立つ六一年初めから六三年の隠れ家で彼に会うまでの二年間に、オズワルドを見たことはありますか?」
 「いいえ。だけどフランクとは接触がありました。アレックスとも接触がありました」

 「今はオズワルドだけの話をしているのです」
 「覚えている範囲ではありません」
 
「いいでしょう」
 「その期間は私が将軍と一緒だった時期です」

 「最初にオズワルドに会ったのはエバーグレーズの訓練場だったと証言しましたね?」
 「はい、最初はそうです」

 「まさに一番最初」
 「一番最初ではありません。一番最初は隠れ家で、その次に訓練場で彼を見たのです」

 「それでは別の機会にも隠れ家で会っているのですね?」
 「はい」

 「いいでしょう。そしてそれも六〇年か六一年だった?」
 「そうです。その早い時期です」

 「六一年の早い時期ですか?」
 「六〇年の早い時期です。六一年にはピッグズ湾事件があり、私は将軍と関係を持って
いました。だから六〇年だと思います」

 「ピッグズ湾事件の前、さらに訓練場で彼に会う前、あなたは隠れ家で彼に会っていた
というのがあなたの証言ですね?」
 「はい」

 「それで最初に彼に隠れ家で会ったのは、ピッグズ湾事件の一年ぐらい前だった?」
 「六〇年だと思います」

 「六〇年のいつかということですね?」
 「六〇年の終わりのころです」

 「そうですか。では、あなたが言う日付が正確だかどうか再確認します。最初にリー・ハーヴィー・オズワルドに会ったのは六〇年にマイアミの隠れ家だったと言いましたね」
 「はい」

 「次に彼を見たのは、六〇年初めから六一年にかけてエバーグレーズのキャンプ場やいろいろな場所で訓練を受けているときだったのですね?」
「はい」

 「そしてその後、再び隠れ家で彼に会った?」
 「はい」

 「それからダラス行きの二,三週間前の十一月の初めにボッシュの家で彼を見かけた」
 「はい」

 「その通りですか?」
 「はい」
 ロレンツはただ、うなずくだけだった。

 「そしてダラスに行くときに彼に会い、ダラスでの短い滞在中にも彼は一緒だった?」
 「はい」

 「ほかの機会にリー・ハーヴィー・オズワルドに会ったことはありますか?」
 「覚えている限りありません」

 「彼に会ったというのはこれですべてですね?」
 「はい」

 「今言った日付についても確信している?」と、フィシアンは執拗に聞いた。
 「はい。覚えている限り、ほかに会っていません」

 「日付について確信できるのは何故ですか? 隠れ家で最初に会ったときからエバーグーズの訓練場で見かけたときまでの一年間で、何か記憶を確かにするものがあったのですか?」
 「写真がありました。それから周りで起きた事件も」
 ロレンツにとって一年前に再び見つけた写真と自分の周りで起きた事件の記憶だけが頼りだった。

 「もう一度言って下さい」とフィシアンが聞いた。
 「アレックスが撮った写真です。どこへ行くときでもアレックスは写真を撮っていました」

 「そう」
 「その写真を見たときに何もかも思い出しました。それで、それを渡したのです」
(続く)

ラグビー雑感 「ラグビー情報投稿してください。(4550)」

次の写真が何の写真であるか説明しなくてもわかった人は、かなりの早稲田ラグビーファンです。

ラグビー

ラグビー

ラグビー

rugby

rugby

rugby

今日(1月8日)は全国大学ラグビー選手権決勝でした。結果は早稲田大学が41対5で関東学院大学を破り、31年ぶりに連覇を成し遂げました。とにかく早稲田のディフェンスは、大学レベルではまさに鉄壁。関東のキャプテン有賀選手も活躍させてもらえなかったですね。

写真の説明は、上から順番に、
1、試合前日に相手チーム(関東学院大学)のジャージを着せたタックルダミーに向かってタックルをするときの写真で、中央が早稲田のキャプテン佐々木選手です(上井草のグランド)。
2、そのタックル風景。清宮監督が写っていますね。
3、決勝前日の練習後に全部員が大きな円陣をつくって、出場選手が翌日の試合の決意表明をする儀式です。
4、試合終了後、清宮監督がインタビューしている場面が、国立競技場のスクリーンに映し出されています。鬼の目にも泪? 次の監督はだれになるのでしょう。
5、早稲田の部員たちが、日本一になったときだけ歌う「荒ぶる」を歌っているところですね。
6、大隈講堂前の祝勝会。

清宮監督はトップリーグ上位チームの一角を崩すと豪語していますので、お手並み拝見ですね。
日本選手権は2月4日に始まります。

カストロが愛した女スパイ161 「アメリカ外交史(230)」

▼オズワルドの謎1
(前回までのあらすじ)ロレンツの委員会での証言も終盤に差しかかった。決定的な証拠写真の存在やロレンツの諜報活動について質疑応答が進むが、委員会のメンバーとロレンツとの間に大きな認識ギャップがあるため、なかなかかみ合わない。しかしロレンツの発言の端々からは、ケネディ暗殺を請け負った、CIA工作員スタージスと、その背後にある国家的な陰謀が浮かび上がってくるのであった


さて、ここでフィシアンの最終質問が始まるのだが、フィシアンもマクドナルド同様、ロレンツの驚愕すべき体験について半信半疑であった。とくにケネディが殺された直後、なぜ暗殺集団とともにダラスに行ったことを警察に話さなかったのか、などとフィシアンは疑問を呈する。賢明な読者ならば、すでにその答えはご存知だろう。

読者にとってはすでに当たり前となったテーマに関する質疑応答部分は、巻末に「フィシアンの最終質問」としてまとめておく。細部のやりとりは、研究者にとっては興味深いはずだ。

それでは、フィシアンがオズワルドとオペレーション40のメンバーによるダラス行きについて質問する場面から、この物語を再開させよう。

「証人に日付の件で確認したいのです。(1963年)十一月十七日の夜、リー・ハーヴィー・オズワルドとダラスのモーテルにいたということになっていますが」
 依然として、ダラス行きの日にちが問題になっていた。ロレンツが思い出すように言った。
 「私は十八日に発ったので・・・」
 ロレンツも日にちについて混乱していた。

 フィシアンが聞いた。「あなたたちは十六日にマイアミを出発した」
 「はい」

 「二日かかりましたね。つまり、あなたは十六日の朝、マイアミを発ち、ダラスに向かった。そして二日かかった。ということは、一日目の夜は運転し続け、次の夜か、次の夜のいつかの時点であなたたちはそのモーテルに泊まった。ということは十一月十八日になるでしょう」
 「十一月十八日です」

 「十六日の朝発ったのなら、二日かかって運転・・・」
 「私は昼間出発したのです」

 「そうですか。私に確認させて下さい」
 「私はダラスに向け、昼間発ちました」

 「あなたはマイアミを午前中に出発したのですか?」
 「いいえ、午後です」

 「午後。オーケー、ならば分かります。それではあなたたちは十六日の夜と十七日の昼間はずっと運転し、十七日の夜のいつかの時点でダラスに着いた」
 「はい」

 「あなたは十七日ダラスで泊まり、翌日飛行機でダラスを発った。そうですね?」
 「いいえ。十九日か二十日です。正確な日にちは覚えていません」
 十五年も前のことなのでロレンツの記憶はあいまいになっていた。

 「では、こういう風に聞かせて下さい。ダラスのモーテルでその七人の男たちと何泊一緒に泊まったのですか?」
 「二泊です。多分。それよりは長くないと思います」

 「いいでしょう。それでは一九六三年十一月十六日から十九日までの間ですね?」
 「はい」

 「それ以前では、リー・ハーヴィー・オズワルドを最後に見たのはいつですか?」
 「それ以前?」

 「そう。今度は少し過去の話に戻りつつあります。それ以前で最後にオズワルドを見たときです」
「家の中です。十六日の前では、彼をボッシュの家で見ました」

 「いいでしょう」
 「二週間前かもしれません」

 「というと、大体十一月の初めごろですね」
 「はい」

 「つまり、あなたは一九六三年十一月一日ごろ彼を見かけた」
 「はい」

 「そこからもう少し過去に遡りましょう。ボッシュの家で彼を見かける前に最後に彼を見たのはいつですか?」
 「おそらく隠れ家か、訓練場です」

 「隠れ家で? あなたがビラを折っていたとかいうあの隠れ家ですか?」
 「はい」

 「それはいつだと言いましたっけ?」
ロレンツは少し苛立った。自分の記憶がおぼろげであることに加えて、フィシアンがあまりに細かく日時を聞き出そうとしたからだ。「正確には分かりません。でも何だって言うんです? 八月から十一月まで三カ月もあるんですよ」
(続く)

カストロが愛した女スパイ160 「アメリカ外交史(230)」

▼議長による最終質問
クリーガーによる質問の後、今度は議長が最終質問をするため発言した。
「もしほかの委員に質問がなければ、私が質問したいのですが・・・。
(ロレンツに向かって)あなたはこの五年間、フィデル・カストロと間接もしくは、直接的に接触したことがありますか?」
 「いいえ」

 「最後に彼に接触したのはいつですか?」
 「フィデルにですか?」

 「はい」
 「そういうことはありません」と、ロレンツはずっと会っていないという意味で答えた。
 
クリーガーが議長の質問をかみ砕いた。「議長は何年前に会ったかを聞いているのですよ」
 ロレンツが答えた。「最後に彼と会ったのは、一九六〇年初めに彼を殺せと命令されたときでした」

 議長が質問を続けた。「あなたはジャック・ルビーにキューバのリヴィエラホテルで見かけたと言いましたね? それが一体いつだったか分かりますか?」
 「七月二十六日運動の名誉会員としてフィデルと一緒にいた最初のころだったに違いありません。フィデルはカジノを閉鎖しようとしていました。彼は給仕たちと会合を持っていました。そのときロビーで、ジャック・ルビーを見ました。確信は持てませんが、そのときだと思います。彼はフィデルの部下に抗議していました。フィデルの部下たちは、ギャンブル台をひっくり返したり、スロットマシーンをたたき壊したりしていましたから。このことから私は、ジャック・ルビーが賭博場の用心棒か何かで、マフィアのために仕事をしているのだと思ったのです。フィデルはキューバではマフィアのような暴力組織の存在を許しませんでしたから」

 「その場にジャック・ルビーはいたのですね?」
 「彼は止めようとしていました」

 「賭博場の所有者の代理として、ギャンブル場破壊に抵抗していたのですか?」
 「はい、フランク(スタージス)も同様でした」
 
「それが最初のころなのですね?」
 「一九五九年八月。七月か八月です」

 「ウォルターズ氏はCIAとつながりがあったと言っていましたね?」
 「いいえ。フランクがCIAとつながりがあったのです」
ロレンツにとってウォルターズは単なる悪徳弁護士だった。

 「私が誤解していました。私は、ウォルターズがスタージス、すなわちフィオリーニとつながりがあると、あなたが言ったと思っていました」
 「フランクは銃を買っていました。彼はまた、マルコス・ペレス・ヒメネス将軍から援助金を得ていました。そうした資金は、ウォルターズを通して合法的な金にされ、フランクに渡されたのだと思います。だから彼らはお互いに知っていたのです」

 ウォルターズはいわばマネーロンダリングをやっていたわけだ。実際、金の面でスタージスとウォルターズはいいコンビだった。

 「ヒメネス将軍からの資金?」
 「その通りです」

 「スタージスへ」
 「はい」

 「この際、他のメンバーに質問があれば、質問をして下さい」
 議長の最終質問が終わった。ここでフィシアンが質問をしたいと申し出て、認められた。
(続く)

カストロが愛した女スパイ159 「アメリカ外交史(230)」

▼JFK暗殺の真相
この後、ロレンツの弁護士であるクリーガーは、依頼人のロレンツに対する補足質問を始める。だがかなり長くなるので、ここでは物語を先に進めるために割愛させていただく。ただし、この質疑応答自体は、研究者にとっては非常に重要な内容を含んでいるため、巻末に全文(「弁護人クリーガーによる質問」)を掲載する。

クリーガーによる質問で個人的に最も興味を引かれた部分は、スタージスがジャック・アンダーソン(ピューリッツアー賞を受賞した敏腕ジャーナリスト)のことを「ワシントンのPR担当者」と呼んでいたとロレンツが述べるくだりだ。アンダーソンは、ケネディ暗殺にはカストロが関与していたと信じて、報道を続けていた。

実は、ケネディ暗殺とカストロを結びつけることこそが、スタージスら反カストロ暗殺グループが意図したことであった可能性が強い。ケネディ暗殺をカストロのせいにして、キューバ侵攻を正当化しようと考えたのだ。アンダーソンのカストロ陰謀説は、スタージスらにとってはまさに「PR」であった。

ところが、暗殺グループの思惑は大きく外れはじめる。リンドン・ジョンソン大統領はCIAがもたらした「カストロ陰謀説」をまんまと信じたものの、皮肉なことに、それを信じたがゆえにカストロ陰謀説を握りつぶす。前年のキューバ危機を何とか乗り越えたばかりのアメリカがキューバに侵攻すれば、米ソ両大国の激突は避けられなくなることを恐れたからだ。そのためジョンソンは、カストロとケネディ暗殺を結びつけるような証拠はすべて隠蔽、ウォーレン委員会にはオズワルドの単独犯行と結論付けさせた。

CIA内部の暗殺グループには大誤算であった。ケネディを殺したものの、真の目的である、キューバを共産主義者カストロの手から取り戻すという「大義名分」が達せられなかったからだ。

スタージスは事件から約14年経過した1977年11月4日の記者会見で、ジョンソンがケネディ暗殺事件の“真相”を隠蔽したことや、ジョンソンが共産主義者の団体から支援を受けていたと吹聴する。スタージスにとって、ケネディ暗殺後キューバに侵攻しなかったジョンソンは、共産主義国家の肩をもった裏切り者に映ったのであろう。

実際には、ジョンソンは共産主義国家の肩をもったわけではなく、米ソ間の戦争、すなわち第三次世界大戦に発展することを恐れたのだ。

スタージスによる一連の発言の意味を理解するには、彼を含むCIAの暗殺グループがカストロを犯人に仕立て上げようとしたという仮説がいちばん説得力をもつわけである(詳しくは、拙著『ジョン・F・ケネディ暗殺の動機』(近代文芸社刊)、あるいは左フリーページの「誰がケネディを殺したか」を参照してください)。
(続く)

カストロが愛した女スパイ158 「アメリカ外交史(230)」

▼確執
 マクドナルドが議長に言った。「議長。事務局員に手渡したコピーは、書き込まれたメモの部分が消されています。このコピーは休憩中にクリーガー氏に見てもらっており、今お手元にあるのは、メモが書き込まれているコピーです。我々はメモを消しており、それが今事務局員の持っているコピーです」

 これを受けて議長が発言した。
「いいでしょう。我々はずっとメモについて議論してきましたから、メモに関するすべての意見は、そのメモの説明とともに記録に残しておくべきでしょう。委員会の方から最後に質問はありませんか?
 クリーガー氏は、さらに説明が必要だと思われる分野に関して、いくつかの質問をした
いと主張しておられます。(クリーガーに向かって)この際、議論を展開させるための質問がありますか?」

 「はい、議長。たくさんあります。まず私は、司法省、FBI備え付けの手紙を証拠として提示したい。それらは一九七一年十月二十九日に証人に送られて来たもので、担当者であるジョン・F・マローンのサインがしてあります。マクドナルドさん。ご覧になりますか?」

 マクドナルドはクリーガーのやり方にあまり賛同できずにいた。「議長。それを証拠とすることに何ら異議はありませんが、その手紙が何を意味するのか弁護人の説明を求めます。それは非常に一般的な手紙です」

 反抗的なマクドナルドの態度にクリーガーが反論した。「マクドナルドさん。手紙はそれ自体、意味があるものです。証人のFBIでの働きを高く評価している手紙なのです。だからそれ自体非常に意味があるのです。だれからも説明の必要のないものです」

 マクドナルドはなおも執拗に意見を述べた。「議長。私も有益な証拠だとは思います。FBIに協力したという証拠にはなるでしょう。だけれども、その手紙が証人のもとに送られた理由を知るのに役立つかどうかは別問題です」

 マクドナルドは依然としてロレンツに不信感を持っているのは明らかだった。
 クリーガーが言った。「ならば、ご自由に彼女に質問して下さい。あなたは質問の形で証人に聞きたいのですか?」
 「ええ」

 「質問したければ、聞きなさい。私はその手紙を出すだけで十分ですから。質問したいのならどうぞご勝手に。そうすれば関係ないことが分かってくるだけですから」
 「私の理解では、議長、五分かそこらの質問時間がありましたが、それを保留します」

 議長が言った。「その手紙を証拠として認めます。証拠物件として番号が付いていますか?」
 事務員のウィルズが答えた。「JFK証拠物件124号です」
 JFK証拠物件124号が登録された。
 これを受け議長が宣言した。「証拠として認められました」
(続)

カストロが愛した女スパイ157 「アメリカ外交史(230)」

▼書き込まれたメモ
 マクドナルドが議長に対して言った。「議長、私の質問はこれで終わります。それから、我々は証人が提出した彼女自身による陳述書について質問をしてきました。そこで、今日の証人喚問中ずっと話題になったところの彼女の陳述書を、JFK証拠物件123番として記録に残したいと思います」

 このとき弁護士のクリーガーが陳述書に何者かによって書き加えられた事実についてただした。
「議長。いま提案された証拠物件の12,14,15ページに証人のものによらない書き込みや下線があることに注意していただきたい。だれが書き加えたかについて我々は関知しません。また、どうやってマクドナルド氏や貴委員会がこの陳述書を手に入れられたかも、我々の関知しないところです。

 12ページの書き込みに関してですが、8行目の"アレックス"の後の言葉の上と下に証人によらないところの手書きの言葉が書いてあります。だれの手書きであるかは、我々の関知しないところであります。

 14ページには、二段落目のページの左側に証人の手によらないところの書き込みが一行あります。だれの手によるものなのか不明です。

 15ページには、右上のところに手書きで"ブレーメン、ドイツ"と書かれています。これも証人の書き込みではありません。最初の段落の今度は左側に、証人が書いたのではない書き込みがあります。

 そのページの下には、4行ほど下線が引かれていますが、これは証人によるものではありません。加えて、その次の行から最後の行にかけて、"フランク"という言葉が下線とともに丸で囲んであり、"我々だけに言った"とか何とか書かれています。ゼロックスが悪いため残りは何と書かれているか分かりませんが。このことは、この陳述書がいつの時点か何者かによりフランク・フィオリーニに見せられたことを推測させます。

 これらの書き込みは、記録の一部として取り扱われるべきです。同時に、だれの書き込みで、何故証人が極秘裏に第三者に提出した陳述書に書き込みがされたのかを解明することは貴委員会調査員の義務ではないかと考えます。

 この指摘が認められれば、その物件を証拠として供せられることになんら異論はありません」

 議長がたずねた。「クリーガー氏が言及した陳述書への書き込みについて意見のある委員はいますか?」

 マクドナルドが発言した。「陳述書に書き込まれたメモに関するクリーガー氏の意見は正しく、我々としても、彼が指摘した箇所に従って、書き込まれたメモを削除するなど彼女の陳述書を訂正すべきではないでしょうか。私には、だれがそれらを書き込んだのか分かりませんが、証拠物件として、そうしたメモは削除しておくべきでしょう」
 クリーガーが意見を述べた。「私は削除してほしいと言っているのではありません。それらも証拠の一部なのです。議長、私は削除すべきだと思いません。私はそれらを残しておきたい。強くそう希望します。削除すべではないのです」

 議長が聞いた。「つまり、その陳述書に書き込まれたメモは、だれが書いたか分からないということですね」

マクドナルドも意見を述べた。「明らかにメモの書き込みがしてあります。私はどうやって当委員会がこの陳述書を手に入れたかも、委員会の委員と調査員の一体どちらが手に入れたかも定かではありません。メモが書き加えられたかどうかも、我々の知らないところであります。彼女の手によって書かれた部分のみが我々の興味の対象です」

 議長が意見をとりまとめた。「それでは、その陳述書は委員によって提案された制限を条件とすることで証拠として認めることにします」
 こうしてロレンツの陳述書は、JFK証拠物件123号として正式に認められた。
(続く)

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