カストロが愛した女スパイ68~70 「アメリカ外交史(230)」

(お知らせ)ブログの更新をしばらくお休みさせていただきます。理由は(1)メンテナンスのため(2)他の惑星を視察するため(3)ただの秋休み――のうちのいずれかです。お好きなものをお選びください。再開は、この宇宙での時間が相対的なためはっきりしませんが、浦島現象が発生しなければ二週間ぐらいではないかと思われます。ご了承ください。

国分寺

なお、「カストロが愛した女スパイ」は3回分アップしておきます。長いですが、お暇なときにゆっくりとお読みください。71から再開します。


68偶然の傍観者3
 「次にオズィーを見たのはいつですか?」
 「私はフランクのところに戻りました。私はモーテルに泊まっていましたが、フランクは私と連絡を取り合っていたのです。彼はデービッド(ウォルターズ)に接触し、私に近付かないように言うと約束しました。しかし、その前に彼は旅行の用意をしなければならないと言いました。フランクに同行したその旅行で、再びオズィーに会ったのです」

 「それが次にオズィーことリー・ハーヴィー・オズワルドに会ったときですね?」
 「はい」

 「その旅行というのはいつでしたか?」
 「十一月二十二日の一週間ぐらい前です」

 「ほかにはだれがその旅に加わったのですか?」
 「ジェリー・パトリック・ヘミング、ペドロ・ディアス・ランツ、ノボ、オズィー、フランクもいました。それに私とオーランド」

 「ノボとはノボ兄弟のことですね?」
 「ノボ兄弟です」

 「過去を思い出しているうちに、ノボ兄弟の名前を思い出しましたか?」
「いいえ」

 「ニックネームも覚えていませんか?」
 「覚えていません。忘れました。その一年前に名前を聞いたと思うんですが、忘れました」

 「私の計算ではその旅行には全部で七人(編注:トリプレットの計算違いで実際は八人)いたのですね?」
「はい」

 「その旅行はどこからスタートしたのですか?」
 「マイアミです。私はベビーシッターに赤ん坊を預けました。私はベビーシッターを雇わなければならなかったのです。だけど私には週末も彼女に払えるほどのお金がなかったので、赤ん坊を彼女の家に連れていってもらったのです。私たちは車にはねられ、けがをしていましたし。彼女は赤ん坊を彼女の家に連れ帰ってくれました。私は彼女にはすぐに戻るとだけ伝えました」

 「それではあなた方七人は皆、マイアミに集まったのですね?」
 「はい」

 「どこか特別の家とか、場所とかで?」
 「オーランド・ボッシュの家の前です。私たちは車に乗り込みました」

 「一台以上の車があったのですか?」
 「二台です」

 「どんな車ですか?」
 「汚くて、古いやつです。メーカーは覚えていませんが、一台は後ろに翼のような、何て言うのかしら、フェンダーがついていました」

 「翼のあるフェンダーだと思いますが。私も分かりません」
「青、緑の、古くて、汚い車です」

 「フロリダのプレートナンバーを付けていましたか?」
 「それは覚えていません。というのもフランクは車の後ろにいくつかのプレートをいつも置いていましたから。彼は州境のパトロールから逃れるためプレートを換えるのが常でした。銃を運ぶときはいつも、いくつかのプレートのセットを持っていました」
(続く)

69暗殺旅行1
 「どういうルートを取ったのですか?」
 「ルート?」

 「そう。どの都市を通っていったのですか?」
 「タンパ、テキサスです」

 「フロリダのフライパンの柄を通っていったのですね?」
 「フライパンの柄って? 聞いたこともないわ。いいえ」

 「アラバマやミシシッピを通って行った?」
 「はい」

 「ニューオーリンズも通った?」
 「はい」

 「途中、どこかで止まりましたか?」
 「食事のために止まりました。フレンチフライを食べました。私たちは窓からトレイを出してくれるような場所で食べました」

 「ドライブインですね?」
 「ドライブイン。そうです」

 「途中、どこかで一泊しましたか?」
 「いいえ。ずっと運転していました」

 「どうやって? 運転を交替しながらですか?」
 「はい」

 「それぞれの車には、ずっと同じ人間が乗っていたのですか?」
 「はい」

 「あなたは交替しましたか?」
 「私はフランクと話せるよう、彼と同じ車に乗りたかったのです」

 「あなたはずっとフランクと同じ車に乗っていたのですか?」
 「はい」

 「あなたとフランクのほかにだれが乗っていたのですか?」
ロレンツはこのときうわの空で、当時のスタージスがロレンツに対して取った冷たい態度を思い出していた。スタージスはダラスで何か大仕事をやるのでロレンツのことをほとんど構ってくれなかったのだ。

ロレンツが答えないでいたため、部屋に沈黙が走り、委員らの視線がロレンツに向けられると初めて、ロレンツは我に返った。
 「すみません、もう一度言って下さい」とロレンツは聞いた。

 「ほかにだれが、あなたとフランクが乗った車にいたのですか?」
 「フランクとノボ兄弟と私が一台の車に乗り、残りはもう一台の車に乗りました。

 「それでは三人が一台の車に乗っていたのですか?」
 「いいえ、四人です」

 「あなたも運転をしたのですか?」
 「いいえ、私は疲れていてとても運転できませんでした。夜間運転だったのです。私は道もよく知りませんでした。彼らは大変よく道を知っているようでした」

 「その旅はどれだけ時間がかかったのですか?」
 「二日です。目的地には夜遅く着いたのを覚えています」

「どこに着いたのですか?」
 「ダラスです」

 「ダラスではどこかに泊まったのですか?」
 「モーテルに泊まりました」

 「モーテルの名前は何だったんですか?」
 「モーテルの名前は思い出せませんが、モーテルには砂利を敷いた車道が裏手にありました。ダラス郊外のモーテルです」
(続く)

70暗殺旅行2
 「車の話に戻りますが、あなたとフランク、そしてノボ兄弟が一台の車に乗りましたね。ではほかの車にはだれが乗っていたのですか?」
 「オーランド・ボッシュ、ジェリー・パトリック・ヘミング、ペドロ・ディアス・ランツ、それにオズィーです。私はオズィーとは一緒に乗りたくありませんでした。私は彼を好きではなかったのです」

 「どうして好きではなかったのですか?」
 「彼には、そういった態度がありました。彼は、何故私たちのグループと一緒にいるのか話しませんでした。私たちはグループ内で信頼し合っていました。だから私には彼は部外者のように思えたのです」

 「あなたは彼と何か話をしたことがありましたか?」
 「私は彼に、ライフルを持ち運べるほど強そうにみえない、と言ったことがあります」

 「もう一度、何と言ったんですか?」とドッドが質問に割り込んだ。
 「私は彼に、ライフルを持ち運べるほど強そうにみえない、と言ったんです。彼は私がそう言ったことで気分を害し、それ以来・・・。それは私が最初に彼に会ったときのことです。彼はそれ以来、私のことを気に入らず、私も彼のことが気に入らなかったのです。彼はそういう態度でした。彼は無愛想でした。ある瞬間、知ったかぶりをしたかと思うと、その次の瞬間には不機嫌になるのです」

 トリプレットが再び質問した。「彼はどんなことを言ったのですか?」
 「彼は世界中を飛び回ったとか何とか言っていました。私だってそうです。私はドイツ語をしゃべれます。彼もいくつかの外国語が話せると言っていました。とにかく私たちは馬が合わなかったんです」

 「何の外国語を彼は話せると言ったのですか?」
 「分かりませんが、スペイン語はあまりうまくありませんでした」

 「あなたは彼がスペイン語を話そうとしたのを聞いたことがあるのですか?」
 「はい」

 「それで、彼はあまりうまくなかった?」
 「うまくありませんでした」

 「スペイン語の理解力はどうでしたか?」
 「ええ。彼は話すときに訛りがありましたが、理解はしているようでした。時々、彼は無口を決め込んでいるのではないかと思うときもありました」

 「どんな訛りだったか説明できますか?」
 「ええ。彼がスペイン語を話すときは、スペイン語を母国語としない、米国人のような訛りでした。彼はいくつかのスペイン語の文章を聞き覚えたような感じでした」

 「ダラスのモーテルに行ったと言いましたね。砂利の車道もあったと。そのモーテルの特徴はほかに何だったか言えますか?」
 「郊外にありました。通りにダラスにようこそという看板が立っていました。“ザ・ブル”というレストランを通り過ぎました。そのとき、私の娘の好きそうなレストランだなと思いました。それから、フランクはモーテルでは隣続きの部屋を取ったのです」

 「何部屋取ったのですか?」
 「えっ、何ですか?」

 「何部屋取ったのですか?」
 「部屋ですか?二部屋です。二つの部屋の真ん中はドアで仕切られていて、それぞれの部屋にはダブルベッドが二つずつありました。モーテルに着くやいなや、私たちは新聞も電話も駄目だと言われました。外出もしませんでした。食事は部屋に運ばれてきました。ライフルも部屋の中に持ち込みました」

 「ちょっと待って下さい。だれが新聞も駄目だと言ったのですか?」
 「フランクです」

 「フランクが責任者だったのですか?」
 「彼が責任者でした」

 「ほかにだれか命令する人はいなかったのですか?」
 「いいえ」
(続く)
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カストロが愛した女スパイ67 「不思議な世界(409)」

偶然の傍観者2
 ロレンツがケネディ暗殺の直前に、フランク・スタージス、オズワルド、ランツら七人と、マイアミからダラスに出かけたとするロレンツの主張は、証言の最大のポイントだった。しかもロレンツは、ダラスで後にオズワルドを射殺したジャック・ルビーとCIA工作員ハワード・ハント(エドゥアルド)とも会っているというのだ。この信じ難いような話についてのトリプレットの質問が始まった。

 「さて、あなたは何回かオペレーション40のために働いたと言いましたね?」
 「はい」

 「あなたはオペレーション40の資金的後ろ盾が誰だか知っていますか?」
 「ええ、フランク(スタージス)が資金面の問題を引き受けていました。私たちは毎月もらう資金がなかったらやっていけませんでした」

 「その資金とは、エドゥアルドからもらったというお金の一部なのですね?」
 「はい」

 「エドゥアルドがだれを代表していたか知っていますか?」
 「知りません」

 「フランクは教えてくれなかったのですか?」
 「フランクが言うには、ワシントンの偉い人です」

 「だれのことか分かりませんか?」
 「ちっとも分かりません」

 「サントス・トラフィカントに会ったことがありますか?」
 「いいえ」
サントス・トラフィカントは、ロレンツとは別のCIAのカストロ暗殺計画に深くかかわったフロリダのマフィアだ。

 「米国でもキューバでもないですか?」
 「ありません」

 「あなたは麻薬取締局(DEA)の職員と会ったことはありますか?」
 「DEA。マイアミの取締官ですか?」

 「どこでもです」
 「いいえ。ニューヨーク市ではありますが、そんなに昔のことではありません。その時は会っていません」

 「一九六〇年代の話ですが?」
 「六〇年代はありません」

「あなたはマイアミにある米国関税局の代表者を知っていますか?」
 「はい、知っています」

 「その人の名前は?」
「スティーブ・ズカスです」

 「六〇年代、その地区での代表者はだれだか知っていますか?」
 「いいえ、知りません」

 「シーザー・ディアス・ディオスダードという名の男と会ったことはありますか?」
 「いいえ。シーザー・ディアス・ディオスダード? いいえ、覚えていません」

 「オーランド・ボッシュの家での会合の話に戻りますが、会合が終わった後、あなたはどこに行きましたか?」
 「私はフランクに一体全体何が起こっているのか聞きました。私は既にグループから脱退していましたから。すると彼は“非常に、非常に重要なことだ。お前が俺たちと一緒に来ることになるのか分からないが、俺たちは旅に出る”と言ったのです。
 これに対し私は“私はあなたに今の私の状況について話があるの。フランク、助けてちょうだい”と言いました」

 「あなたの状況というのは、当時のあなたの子供が置かれた状況ということですね?」
 「将軍との間にできた子供と、デービッド・ウォルターズに関する問題ということです」

 「先に述べた弁護士のことですね?」
 「はい」

 「フランクはそれについて助けてくれましたか?」
 「いいえ」
(続く)

不思議な世界 「不思議な世界(409)」

縄文夢通信、あるいは縄文光通信
現われた古代モヘンジョダロ」の続きです。

この不思議な出来事があってからというもの渡辺は、天井や壁などに屋外からの光(たとえば自動車のヘッドライトなど)が連続的に走ると、そこに影像が現われるといったことがしばしば起きるようになったという。光の点滅が、その人にとって重要な情報を伝える媒介となっている。もしかしたら、縄文人もこのようにして情報を得ていたのではないだろうか。

渡辺はこの出来事について、『縄文夢通信』(徳間書店)の中で次のように語っている。

この私の体験についてはさまざまな解釈が可能であるに違いない。しかし、私自身は次のように考えるのだ。深層に抱え込んでいる人類史の過去の記憶、つまり私たちの祖先がかつて山上から見たモヘンジョダロの町の記憶が、あの夜の私の夢の中に現われたのであると。そして、光の点滅は、人類の記憶を抱え込む深層の意識世界の扉を開く鍵の役割を果たすものに他ならないのだと。
私はこの個人的な体験を、内なる原型=古代以前の人びとの心に触れた体験だと考えたい。縄文期の人びとの夢告も、このような形で訪れたのではないかと考えたのである
。」

本の中では、「夢」と書いているが、あれは夢ではなかったと渡辺は言う。おそらく車のライトなど光を見たことにより、自分の中の何かが喚起され、ゆらゆらと揺れる光との交信、あるいは深層意識との交信が始まったのだ、と渡辺は考えた。そしてこれこそが、縄文人が実際にやっていた通信手段に違いないと直感したのであった。

この渡辺の不思議な体験は、飛騨の山奥に住んでいた白髪翁が山本建造に話したという古来の「日抱き御霊鎮めの神事」と、驚くほどよく似ている。山本は飛騨福来心理学研究所の創立者である。

山本の話によると、古代飛騨人は、水面に映った光を見つめることによりトランス状態となり、未来のことを知るという神事を行っていたという。飛騨・丹生川村では一五〇年前ごろまで、森の中で漏れ入る日の光を池の水面や、たらいに汲んだ水に映して、その光を凝視する「日抱きの御魂(みたま)鎮(しず)め」という神事が太古から続けられてきた。御魂鎮めをしていると、だれでも神通の妙境に入り、透視や予言ができるようになるのだそうだ。山本は『明らかにされた神武以前』(福来出版)の中で、白髪翁の言葉として日抱きの神事を次のように記している。

そういう心の中の光り輝く命を磨くために、近くの者がみな集まり、時々太陽の光や月の光を水面に浮かべて、それをじーっと見ることにより素晴らしい境地に入る修行をした。これは誰が始めたということもなく、自然に我らの先祖はすうっとやってきたことである。わしも五歳か六歳の頃だったと思うが、今の乗鞍神社の上の方で池を囲んで大人の人が心を鎮める行をする所へ、父親に連れて行ってもらった覚えがある。その後途絶えてしまったんじゃ。
太陽の光を水に浮かべて、それを抱くような気持ちでじーっと暫く眺め、それから目を閉じて心のどん底の光り輝く命を拝み、一切の災難を逃れて幸せを求めて生きてきた。我々人間はただ外の物を求めるだけでなく、心の中、体の中、内なるものを求め、求めて生きることが大事であると、私は父親からよく言って聞かされたんじゃ。
この御魂鎮めを行うことを日抱をするといってのう、日抱の御魂鎮めを毎日毎日していると、遠い未来が目を閉じていても目の当たりに見えてくるんじゃ
。」

水面でゆらゆら揺れる光は、渡辺が見た点滅する光に通じるものがある。それは、ユングの言う「集合無意識」から情報を得る一つの方法であるのかもしれない。飛騨地方でいにしえからやっていたのだとすると、縄文人もやはり同じような方法を使っていた可能性はある。

古代光通信――。おそらく東経一三七度一一分に存在する「羽根のライン」とも密接な関係があるとみられるが、その話はまた別の機会で展開していきたい。

カストロが愛した女スパイ66 「アメリカ外交史(230)」

偶然の傍観者1
 「彼らと何ができるかを話すために、たまたまそこに行ったということですか・・・」
 「私はフランクが私を助けてくれるのではないかと思ったのです。そのほかには、いかなる政治的利害もありませんでした」

 「分かりました。あなたから確認しておきたいことは、つまり、あなたは金銭的状況に関して助けが欲しかったから、フランクたちとの会合をアレンジした。事実は、あなたの証言からも分かるように、あなたが将軍側の人たち、つまり弁護士たちから指名手配を受け、追われていた、ということですね」

 ドッドは、ロレンツが当時置かれていた状況をまったく理解していなかった。特に「将軍側の人たちに追われていた」というのは、事実誤認も甚だしかった。ロレンツは言った。
 「いいえ、違います。将軍側の人たちではありません。デービッド・ウォルターズです」

 「その弁護士だけですか?」
 「そうです。それに彼の仲間たち」

 「それがボッシュの家にいた理由ですか?」
 「はい」

 「出席するために会合の場にいたのではないのですか?」
 「私がその場にいたのは、フランクに私の身を守ってくれるよう頼むためだったのです」

 「あなたはその時、スタージス氏と四年以上ものつき合いでしたね。そして、あなたの証言によると、彼はかなり注意深い工作員でもあったわけです。そういうことでよろしいかな、彼はどちらかというと秘密主義者であったと?」
 「はい」

 「そうすると彼は、ある事実や情報を知る必要のない人物と情報を分かち合うようなタイプの人間ではなかった、といってよろしいですかな?」
 「はい」

 「こう質問するのも、ロレンツさん、もしあなたがそこにいた主な理由が将軍の本国送還とあなたの財政状況について話をするということなら、なぜ彼らが、ダラスか何かに関する会合の席にあなたが入り込むことを許したのか、分からないというか、驚きだというわけですよ」
 「最初に、私はオペレーション40のメンバーであるということです。二つ目に、私はフランクに財政状況を説明にきたわけではありません。私は保護を必要としていたのです。私はデービッド(ウォルターズ)が私と娘に対して再び危害を与えることのないよう助けを求めに来たのです。それが理由です。当時、だれもが同じことをしたでしょう。ほかに助けを求めることができる人がいなかったんですから」

 「何が言いたいか分かりました。でも私のあなたに対する質問は、会合に出席したフランク・スタージスや他の仲間が、あなたはそこに援助や保護を求めているだけなのに、何故ダラスに関する会合にあなたを出席させたのかということなんです。というのも彼らは、だれが何を知っているかについて警戒するような、高度に専門的な工作員なわけですよね。そのためにグループ分けもしている。つまり、彼らは知る必要もない人間には情報を与えたりしないわけだ」
 「それは、フランク(スタージス)が私を信頼していたからです。私も彼のために働きましたし。彼はボッシュの家に着く前に、“お前は俺たちと一緒にいる十分な理由がある”と私に言いました。私はその時は、何のことだか分からなかったので、彼が私を訓練し、私は仕事をやっただけだ、とだけ答えました。これに対し、フランクは“会合があるので、今から一緒に来い”と私に告げたのです」

 「あなたは会合がどれだけ続いたか覚えていますか?」
 「一時間ほどです。私は本当に退屈しました。一時間か、それをちょっとオーバーするぐらい」

 「その会合が開かれている間に、あなたはそのダラス作戦に関連して何か役割を演じるよう頼まれたり、要求されたりしたことはありましたか?」
 「いいえ」

 「あなたはその会合では、ただの偶然の傍観者だったのですか?」
 「私は肘掛け椅子にすわったり、ボッシュの奥さんがコーヒーを出すのを手助けしたりしていました」

 「私はもうこれ以上質問はありません」
 ドッドはこう言うと、とりあえず質問を打ち切った。
(続く)

カストロが愛した女スパイ65 「アメリカ外交史(230)」

陳述書6
ページ15
 電話がかかってきた場合、フランクとボッシュだけが電話をとっていいことになりました。ちょうどその夜、フランクは“仲間”のルビー(編注:ジャック・ルビーのこと)を待っていました。フランクは外の駐車場でルビーと話をしていました。ルビーは私がいることに驚いたようでした。そしてフランクに私のことを質問していたと確信しています。
 私は後で、フランクに対して“あのマフィアのチンピラをどこで見つけたのよ?”とか“一体何が起きつつあるの?”とか“一体全体、私たちがここにいる目的は何なの?”などと矢継ぎ早に質問しました。フランクは私をじろじろ見た後、私を外に連れ出しました。そしてこう答えたのです。“お前は仲間を苛立たせている。俺が間違っていた。この仕事は大きすぎた。お前はマイアミに帰れ。赤ん坊を受け取って家に帰るんだ。”私はそれに同意しながら、フランクには、オズィーやルビーといった輩の人選は好きになれないと伝えました。何故なら彼らは新参者で、本当のメンバーではなかったからです。私がモーテルを立ち去ろうとしていると、“エドゥアルド(ハワード・ハント)”が車で乗り付けてきました。そしてマイアミの行きの空港へはだれが私を乗せていくかという議論になりました。フランクとボッシュが私を乗せていきました。エドゥアルドはモーテルで待っていました。私はマリア・ヒメネスという名前(それについてはほとんど確信しています)で

ページ16
飛行機に乗りました。私はマイアミに約一日だけ滞在しました。赤ん坊と一緒になれてとても幸せでした。私はフランクと彼の反カストログループとの関係を完全に断ち切ろうと決心しました。彼らとつき合っていても、ろくなことになりません。それにすべての状況に嫌気がさしていました。
 私は、フランクのグループがテキサスに行ったのは、だれか人を殺すためだと薄々感づいていました。すべてが隠密行動だったからです。私は決して、見聞きしたことを考え合わせて推測したことも、だれかから彼らが何をやろうとしていたかほのめかされたこともありません。私が知っていることは、私が書いた、そして書きつつあるすべては真実であるということです。神に誓って。
(編注:陳述書の文中、編注がついていない丸カッコはロレンツが付けた丸カッコ。)

 以上が陳述書の全文だった。
 ロレンツにとってこの陳述書は真実を残しておきたいという遺書のような意味もあった。

 「あなたは、オーランド・ボッシュの家での会合の席で、オズワルドが、あなたが会合に出ていることに懸念を表明したと陳述していますね」とドッドが陳述書を基にした質問を始めた。
 「はい」

 「だれかほかに、あなたがそこにいることに懸念を表明した人はいましたか?」
 「いいえ。というのも、彼らは当時、私がそこにいるのは当然な理由があると見なしていましたから。だって私が愛し、子供までつくった将軍が、ボビー・ケネディ(ロバート・ケネディ司法長官)のせいで本国送還になったのです。彼らはケネディ兄弟が大嫌いだったのです」
(続く)

不思議な世界 「不思議な世界(409)」

現われた古代モヘンジョダロ

それは不思議な体験だった。

建築家で京都造形芸術大学教授の渡辺豊和は、旅先の旅館で夜、友人と一緒に寝転がって天井を見ながら会話をしていた。自動車のライトが時折、窓から部屋の中に差し込むのがぼんやりと見えていた。すると突然、天井に断続的に細い一本の光線が走り出した。

「おいなんだ、あれは」と友人に言ったが、友人には見えない。一人でじっと見ていると、光の断続的な走り方が、どこかモールス信号のようにルールがあるように感じられてきた。しばらくすると不思議なことに、渡辺氏は光が“誰か”からの通信であると確信できた。さらには、光の点滅の意味が順次了解できてきている、という気分がやってきた。次の瞬間、渡辺の意識というか視点は、あっという間に空中高く舞い上がったようになったという。

 眼下には(もちろん見ているのは天井だが)、明らかに石造の古代城砦都市と思われる建築物が見える。それは初めて見る巨大な都市で、非常に鮮明に浮かび上がっていた。渡辺は狐につままれたような気持ちになった。その間にも友人と話を交わすが、友人には何のことかさっぱりわからない。意識ははっきりとしたまま、ときどき友人と会話しながら、渡辺はその都市を見つめ続けた。そこには建物から道路まで、都市の隅から隅までがくっきりと映し出されていた。

一体どこの都市だろう。渡辺のこれまでの知識からも、それはアジアの古代都市であることは明白だった。そのときだ。奇妙なことに気がついた。インドの都市かなと心の中で思うと、影像がより鮮明になる。別の国の都市を心の中で思うと、影像はぼやけてしまう。つまり、心に思ったことが正しければ影像はクリアになり、違う場合は影像が不鮮明になることがわかったのだ。

渡辺はこれを使って、影像と対話を試みた。これはいつごろの年代の都市かを知りたくなり、あてずっぽうに「5000年前か」とたずねた。すると影像はぼやけてしまう。「では4000年前か」とたずねると、今度は影像が鮮明になった。次に渡辺は「私は前世でそこにいたことがあるのか」とたずねた。影像は非常にクリアなままだった。

その映像との交信によると、渡辺が見ているのは、4000年前のインドの都市で、しかも渡辺は過去生で、そこにいたことがあるのだという。ただ、交信はあくまでもイエスかノーかしかわからないので、なぜこうした影像を見ているかについては皆目、見当もつかなかったという。

やがて、記憶が徐々に薄められるような感じとともに、眼下の光景も自分自身の存在もあいまいになってきた。そしてハッと気がついたときには、寝転がったまま天井を見つめていたのだという。

 渡辺はその間、約六時間も目を開けたまま天井を見つめ続けていた。渡辺にとっては「一時間ほどの短い時間に感じた」が、浦島太郎のように実際は6時間もたっていたわけだ。その間、友人との会話は断続的に続いていたが、友人がいくら呼んでも、体をゆすってもまったく渡辺に反応がなく、完全に別の世界へトリップしてしまっていた時間帯もあったという。

後日、ある雑誌に掲載されていた都市の建築物の写真を見て、渡辺はさらに驚いた。空中から見下ろしていた都市と瓜二つなのだ。それは、古代インドでつくられた城塞都市モヘンジョダロの遺跡だった。さらに詳しく調べたところ、側溝があり半階分も異様に盛り上がった道路など、文献に出てくる具体的な描写と渡辺が実際に影像として見た町並みは、紛れもなく同一のものだった。
(続く=文中敬称略)

(雑感)昨日、私が会員になっているイワクラ学会の会長で京都造形芸術大学の渡辺豊和教授とお会いしたので、今回、渡辺教授が体験したという不思議な話を紹介することにしました。非常に貴重な体験で、縄文人の特異な能力を知るヒントになるのではないかと思っています。渡辺教授は写真で見るとちょっと怖そうな感じでしたが、実際にお会いすると、非常に気さくで優しい方でした。能登に「マンガ大学」をつくる構想があるそうです。実にユニークで面白い。うまくいくといいですね。陰ながら応援させていただきます。明日か明後日、この話の続きとして縄文人がやっていたとみられる光通信(夢通信)の仮説を紹介します。

カストロが愛した女スパイ64 「アメリカ外交史(230)」

陳述書5
ページ12
 ここで話を、ボッシュの家での怪しげな雰囲気とテキサス州ダラスの街路地図をテーブルに広げた秘密の会合に戻します。私は別のことを考えていました。私は行方不明になっているアレックス・ロークを探す捜索隊を発足させることについてフランクと話をしたかったのです。
 (アレックスと二人のキューバ人、それにジェフリー・サリバンは、ニカラグアに向け飛行機でフロリダを発ったまま消息不明になっていたのです。
 ニューヨーク市のFBI事務所と緊密に連絡をとって仕事をしていたアレックスは、冒険軍人であると同時に素敵な人物でした。フランクとアレックスはライバル関係にありました。そしてウォーターゲート事件後の七五年に、フランクからアレックスはCIAに殺されたのだと知らされました。)
 ボッシュの家で、私はオズィーのことを“チヴァート”だとフランクに向かって言いました。するとオズィーが私に怒って挑みかかってきたので、私は彼に“どうしてその言葉の意味を知っているの?”と聞きました。(その言葉はフィデルのお気に入りで、“密告者とか、裏切り者”と言う意味です。)彼はキューバで聞いたのだと言っていました。
 フランクやほかの仲間が小声で話すので、この会合はいつもより秘密主義的に思えました。

ページ13
 六三年十一月のある日、私はまだフランク・フィオリーニとつながりがありました。そして途方に暮れ、新聞記者たちから隠れていました。そんなとき私はフランクに“もちろん行くわ”と告げたのです。こうして私は彼とその仲間たちと一緒に二台の車に分乗してダラスに行くことになったのです。
 私は、以前私たちがやったような“武器庫襲撃”に行くのだとばかり思っていました。そして、それがボッシュの家で“秘密の会合”が開かれた理由だと思っていたのです。
 私は娘を、親しい親友であり、ベビーシッターでもあるウィリー・メイ・テイラーに二,三日預けることにしました。彼女は私がマルコス・ペレス・ヒメネスと暮らしているときの私の女中でした。
 私たちは、中古のように見える二台の車に乗って、真夜中過ぎに出発しました。私たちは全部で八人か九人で、車のトランクにはフランクの“子供たち”、つまり高性能ライフル、望遠鏡、サイレンサー付きの銃が積まれていました。出発前、フランク、ボッシュ、それにペドロ・ディアス・ランツから指示がありました。それは、電話をかけるな、テキサスではスペイン語をしゃべるな、レストランでは何も残すな、命令には完全に服従しろ、でした。物資、食料、そして“道具一式”が車のトランクに投げ込まれました。私たちは黒っぽい外出着を着て車に乗り込みました。

ページ14
 私たちは夜を徹して、海岸線を走りました。だれも多くを話しませんでした。フランクが運転し、私は後ろの席に座り、眠りました。車の中は暑く、混み合っていました。隣にはキューバ人が座っていました。私たちはダラス市街を通り抜け、郊外にあるモーテルまで行きました。私は今でも、モーテルのそばの、広くてとても清潔な通りを覚えています。通りの真ん中にはよく手入れされた植物や花が植えられていました。大きなテキサス牛のレストランがあったことも覚えています。屋根には大きな牛の看板が見えました。“テキサス州で一番大きなステーキ”と書かれていました。
 “制限速度内で運転しろ”とか“記録に残る違反切符をもらわないようにしろ”とかの指示もありました。“(ダラス)市の境界線はここまで”という標識を見たことも覚えています。そこで車を引き返し、市の郊外にあるモーテルの砂利道の駐車場に車を停めたのです。
 フランクとペドロがチェックインを済ませ、私たちは二部屋とりました。大きな二つの部屋は扉でつながっていました。それぞれの部屋には、二つのダブルベッドがありました。オズィーは新聞を持ってきて、みんながそれを読みました。
 服を着替え、私はベッドの上に寝転がって眠りました。フランクがサンドイッチやソーダといった食料を持ってきました。
(続く)

カストロが愛した女スパイ63 「アメリカ外交史(230)」

陳述書4
 私は決して、ケネディ家に対する将軍の憎しみや怒りに同調することはありませんでした。実際のところ、私は本国送還手続きに数ヶ月の遅れを生じさせた“障害”について心苦しく思っていたのです。だからこそ、当時の司法長官ロバート・ケネディの命令を受け、国務省の役人二人が家にやって来て、訴訟を取り下げるよう求めたときも、それに応じたのです。そのためにディーン・ラスク国務長官とロバート・ケネディがその件を進めることができたのです(編注:ロレンツがここで主張していることは、自伝に書かれていることと明らかに矛盾している。自伝では「取引には応じなかった」と書かれている。命を狙われたので訴訟どころではなくなり、結果的に応じたことになったということかもしれないが、真相はわからない)。
 ワシントンから来たその二人の国務省の役人の名前は思い出せませんが、私は自分の置かれた状況をその二人に説明しました。(信頼できると思ったのです。)私はマルコス・ペレス・ヒメネスが個人的にケネディ兄弟の命を狙っていることも話しました。そうすれば、ワシントンにいる“お偉いさんに警告できる”と思ったのです。
 マルコスは、ロバート・ケネディが彼を逮捕・監禁するまで、J・F・Kの政治運動に一週間で一万ドルぐらい寄付していたのです。それなのに、マルコスは監獄に入れられ、そのまま出ることができなかったのです。

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 私はマルコスの信託基金と私が持っていたすべてを失いました。しかし、一度でもケネディ兄弟のことを非難したことはありません。私は十分に政府のことを尊重していましたし、正義は正義であると感じてもいました。ボビーの決定は正しかったのです。結局、私は、マルコスと暮らしてみて、彼が罪を犯していると知りました。私は沈黙を守りましたが、耳を傾けていろいろなことを聞きました。マルコス、フランク、ボッシュ、オズィー、それに反カストロキューバ人の地下組織の連中によるケネディ兄弟に対する脅しに、私は辟易するばかりでした。

 私は、あの二人の国務省の役人がワシントンにいる上司に警告してくれたことを願うばかりでした。私にはマルコスの脅しの方が、短気なキューバ人のそれよりも真実味を帯びていると思いました。キューバ人たちは皆、ピッグズ湾事件の後、J・F・Kの“裏切り行為”と“支援をしなかったこと”により、J・F・Kを殺したいと思っていました。

 私の個人的な復讐は当時、政府に向けられたことは決してなく、私の弁護士であるデー

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ビッド・ウォルターズに向けられていました。ウォルターズは、私の資金源を絶ち、マイアミの地方弁護士、リチャード・ガースタインとともに、チンピラやくざ(フランク・ロッソ)を雇い、私を車でひき殺そうとしました。私は腕に赤ん坊を抱え、モーテルの部屋の外を歩いていたときにその事件が起き、私と赤ん坊はけがをしました(編注:ここでも自伝と微妙に事実関係が異なっている。自伝では赤ん坊は乳母車に乗せられていた)。私たちはけがを負いましたが、私はちゃんとナンバープレートを見ていて警察に通報。その結果、そのプレートの持ち主はリチャード・ガースタインの従業員の車であることが分かったのです。
 それから訴訟している間と本国送還の前にも、ウォルターズは“私の信託基金を取り戻すためだ”とか言って私をだまして、何かの書類にサインさせようとしました。実際にはカーボン紙とその下の書類の間に、私の養育権を含むすべての権利を放棄するとした紙がはさんであったのです。それによると、私は十八ヶ月になる娘の養育をあきらめて、養子縁組のための孤児院に預けることになっていました。(というのも私にははっきりとした金銭的支援がなかったからです。)
 私はどんな書類にもサインしませんでした。その代わり、私はウォルターズの事務所で当たり散らしました。そして再び、フランクの元に逃げ戻ったのです。
 以上がマルコス・ペレス・ヒメネスとデービッド・ウォルターズの話です。

(編注:ここまでの陳述書の内容は、ロレンツの自伝の内容と微妙に異なることは指摘したが、その相違について、一面理解できる部分もある。自伝ではウォルターズのことはオブラートに包んで、ロレンツに対する暗殺未遂事件との関係付けるような記述は一切ない。ところが陳述書や委員会の証言では、ウォルターズがロレンツを殺そうとしたのだと、明言している。自伝でそのことを触れると、ウォルターズから訴訟を起こされる可能性があったため、あえて伏せたのだとみられる。自伝よりも陳述書のほうがかなり細かい部分まで言及している背景には、そうした民事裁判上の事情があるように思われる。)
(続く)

カストロが愛した女スパイ62 「アメリカ外交史(230)」

陳述書3
ページ6
 私はあまり興味がなく、退屈していました。それに疲れており、気分も悪く、もうキューバ人とのつき合いは“卒業”したような気分でした。私の考えていたことは、ベネズエラにいるマルコスや私の娘のこと、そして私(それに将軍)の弁護士であるデービッド・ウォルターズのことや、将軍の本国送還のことでした。
 そのとき、フランクがボッシュに言った“ケネディ”という言葉が聞こえたので、私は思わず“ケネディがどうしたの???”と聞き返しました。部屋の中にいたみんなの視線が私に注がれました。私のことを探っているようでした。すると、今度はオズィーが、私がここにいることについて、フランクとボッシュに対して口論を始めたのです。私はそのときフランクにこういってやりました。“こんな敵意のある不快なやつが何で必要なのよ???”
 フランクがみんなに対して私の弁護をしてくれたとき、私は立ち去りたい気持ちでした。 抑制し、かつ、静かにフランクは言いました。“いいか、よく聞け。彼女はボビー・ケネディに刃向かい、そのために本国送還の手続きという罠にはめられすべてを失ったんだ。彼女は残す!”
 (マルコス・ペレス・ヒメネスがデイド郡刑務所に九ヶ月間拘置されていたとき、彼は毎日電話をくれました。)将軍が千三百五十万ドルの窃盗と四件の殺人容疑で裁判にかけられるため、

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ベネズエラへ強制送還される最終段階になって、将軍は完全に私たちの弁護士を信じなくなり、かつ“ボビー・ケネディ”に対して激しくののしるようになりました。彼は復讐を誓い、そして私にするべきことを告げました。
 本国送還の手続きを遅らせるために将軍に対して婚外子扶養請求訴訟を起こすというのは、将軍の考えでした。デービッド・ウォルターズがお膳立てをし、私に何をすればよいか、どうやって別の弁護士を雇うかなどを指示しました。
 私は、将軍が私の娘と私のために設けてくれた二つの信託基金の女管財人でした。二つの基金は、それぞれ七万五千ドルありました。デービッド・ウォルターズは、マルコスの金を、株、国債、それに社債の形で持っている“保証人”でした。デービッド・ウォルターズはまた、マルコス・ペレス・ヒメネスに対する弁護士としての最大の権限を持っていました。
 私が本国送還の手続きを遅らせるためにマイアミで婚外子扶養請求訴訟を起こしたその日の午後、デービッド・ウォルターズから私に電話がありました。(私の訴訟のニュースはマイアミ・ヘラルドの一面トップやテレビのニュース番組を大々的に飾っていました。)

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 デービッド・ウォルターズの電話の後、私はフランク・フィオリーニに電話しました。 デービッドは私に“町から出ていけ。お前は信託基金設立の際に決められた条項に違反したから、お前の権利は消失した!”と告げたのです。私はその婚外子扶養請求訴訟を起こしたときに、だれが“発案者”であるか明らかにしていたにもかかわらずです。その日以降、私はお金も、マイアミの家(ベイパーク・タワーズ)も、車も、家具も、預金も、すべて失ったのです。自分の命も危うく失うところでした。

 私はデービッド・ウォルターズに利用され、だまされたのです。マルコスも気付いて、彼もデービッド・ウォルターズに利用され、だまされたと言っていました。ウォルターズはボビー・ケネディとベネズエラのロムロ・ベタンコートの仲介者として二股をかけていたのです。
 私は、当時信頼していたフランク・フィオリーニに私の身に起きたことをすべて話しました。私たちと私たちのグループは何度か会合を開き、マルコス・ペレス・ヒメネスをデイド郡刑務所から“脱獄”させようと企てました。特に、マルコスとフランクは個人的に親しくしていました。将軍はいつも私たちのキューバ活動の件に同情的で、キューバ人の

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難民に惜しみなく資金を提供してくれました。私たちのマルコスを脱獄させるという計画は失敗しました。そしてついにマルコスはベネズエラのカラカスに追放され、そこで刑務所に入れられたのです。
(続く)

国分寺と猫 「今日の出来事(965941)」

今日は歴史散策で東京・国分寺市にある武蔵国分寺へ。

国分寺

古代国分寺は741年、聖武天皇が発した「国分寺創建の詔」により、約20年をかけて当地に建立されたといわれています。
しかし、1333年の新田義貞と鎌倉幕府との合戦で焼失。2年後に新田義貞の寄進によって薬師堂が建立され、再建されたそうです。

国分寺

現在の国分寺薬師堂。

国分寺

現代の武蔵国分寺の境内には、万葉集に詠まれたオミナエシなど約160種の植物が植えられた万葉植物園があります。

国分寺

そして忘れてならないのは、この猫ちゃま。境内の奥のほうで、お休みになっておりました。

国分寺

頭が痒いよ~。

国分寺

そこでかいてあげると・・・

国分寺

この有様。ちょっとだらしないぞ~。でもかわいいですね。

国分寺

誰にでもなつくわけではないですよ。荒い波動は嫌いですね。だから、ギャーギャー騒いでいる子供が来たら、さっさと逃げてしまいました。

国分寺のそばの「お鷹の道」。

国分寺

武蔵野の湧き水がつくる透き通った小川に沿って続く小道で、尾張徳川家の御鷹場だったことから名づけられました。ホタルも生息しているそうです。

国分寺

真姿の池と真姿弁才天。病を患った玉造小町が、この池で身を清めたら病が癒え、元の美しい姿に戻ったので、真姿の池と呼ばれるようになったということです。

国分寺

国分寺駅南口には、殿ヶ谷戸庭園があります。庭園内の鹿おどし。

国分寺

立て札の上の赤トンボ。

国分寺

酔芙蓉(すいふよう)。朝のうちは白く、夕方になるにつれて、酔ったようにだんだん赤くなるという珍しい花。

国分寺

最後は、西国分寺にある伝鎌倉街道(でんかまくらかいどう)。

国分寺

鎌倉幕府と地方を結ぶ「古代の高速道路」。「いざ鎌倉」の際には、武士団がこの道を通って鎌倉へ向かったそうです。地方の物産を鎌倉へ搬送する道でもありました。鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞も、この道を通って鎌倉に攻め込んだといわれています。

国分寺とはまったく関係ありませんが、中野駅そばの公園にたたずむ黒猫ちゃんです。

中野の猫

カストロが愛した女スパイ61 「アメリカ外交史(230)」

陳述書2

前回までのあらすじ
反カストログループへの支援金を集めるため、ベネズエラの独裁者ヒメネス将軍に近づいたロレンツは、執拗なヒメネスの誘いに屈し、愛人になることを承諾する。やがてヒメネスの子を妊娠、女の子の赤ちゃんを産む。ところがヒメネスが本国へ強制送還されることが決まると、何者かに車で轢かれそうになるなどロレンツに魔の手が伸び始める。金蔓を失い、命まで狙われたロレンツは、スタージスが率いる暗殺集団に助けを求めた。その結果、暗殺集団の秘密の会合を目撃することになった。


(陳述書の続き)
私は、フランク・フィオリーニがCIAのメンバーで、私は“合衆国のために素晴らしい奉仕をするのだ”などと固く信じていました。アレックス・ロークも賛同してくれましたが、彼は同時に私の身の安全のことも心配してくれました。私が飛行機に乗り込むときに私にくれた彼の別れの言葉は、“自分の心にたずねなさい。そしてすべてを神に委ねるのです”というものでした。フランクの別れの言葉は、“あの野郎に近づけるのはお前だけだ。この国の将来はお前にかかっている。お前には二十四時間やろう。無線を聞きながら待っているぞ”でした。私にはやれないことは分かっていました。アレックスの言葉が耳から離れませんでしたし、それから“あなたの国があなたに何をしてくれるのかとたずねるのではなく、あなたがあなたの国に何ができるのかをたずねなさい”というケネディ大統領の言葉も思い出していました。

ページ4
 意図的に他人の命を奪うなんてことは私の性に合わないことでしたが、フィデルの場合でいえば、やろうと思えば、簡単にできたであろうと思います。私はフィデルには何も言いませんでした。そしてフィデルのそばにいて初めて、何て危険なグループに巻き込まれたのだろうということに気付きました。私は歴史を自然の経過に任せることに決めました。政治は私には退屈でした。ところが“失敗者”として米国に戻ると、今度は私が命を狙われたのです。フランク・フィオリーニは、フロリダ州マイアミの周辺に巨大な犯罪組織の仲間(ノーマン・ロスマンやサントス・トラフィカント)を持っていました。私はその後沈黙し、友好的に振る舞いもしましたが、彼らとは距離をとることに決めました。
 フランク・フィオリーニは私にマルコス・ペレス・ヒメネス将軍を紹介しました。そして私は、そのキューバを愛する将軍と暮らすようになったのです。彼の子供ももうけました。モニカ・ペレス・ヒメネス、六二年三月九日ニューヨーク生まれです。しかし、その生活も六三年八月の将軍の本国送還の日に終わりました。
 将軍はよく、ケネディ兄弟を殺してやりたいと私に個人的に言っていました。

ページ5
 六三年十一月二十二日の約一カ月前、私はフランク・フィオリーニ、オズィー(リー)、それにほかの人、キューバ人たちのグループに加わりました。そして二台の車に乗り込み、オーランド・ボッシュの家に向かったのです。フランク・フィオリーニがノーマン・キーとかマラソンといった地図を調べるのはいつものことでした。(過去にも私たちは水路、干満や潮の流れ、バハマ諸島の島々の地図を開いてよく研究しました。バハマ諸島へは盗んだ船を私が操縦して行きました。船に積み込んだ武器をある場所に持って行き、後にどこかへ運ばせるのです。)

 しかし、今回のボッシュの家での“極秘会合”は、テキサス州ダラスにある特定の街路についての話でした。私は私たちがまた“武器庫の襲撃”をやるのだという印象を持っていました。だからそのことはあまり気にせず、私はどちらかというと、私の赤ん坊とどうやって再び人生を切り開いていこうかということばかり考えていました。彼らはそのほかにも“非常に威力のあるライフル”の話や“距離”“建物”“タイミング”“接触”“沈黙”といった関係の話をしていました。
 外には四人乗りの別の車が待っていました。家の窓はきっちりと閉められ、扇風機が回っていました。ボッシュ夫人がキューバコーヒーを入れてくれました。子供は部屋から出ていくように言われました。
(続く)

空に浮かんでいるもの、ラグビーボール、テニスボール 「今日の出来事(965941)」

中秋の名月

UFO? ちょっと違いますね。中秋の名月です。私のデジカメではこれが精一杯。天体望遠鏡と組み合わせれば、もっと面白い写真が撮れそうですが、それは今後の課題です。みなさんの地域ではお月見ができましたか?

今日の東京地方は快晴。秩父宮でケンブリッジ大学と早稲田大学のラグビーの試合を観戦しました。清宮監督は「不完全燃焼」だと言ってましたね。もっと大差で勝てたはずだ、と。20年ぐらい前までは、オックスフォードやケンブリッジ大学のラグビーは日本代表に勝つぐらい強かったのですが、今は日本の大学と変わらないレベルですね。

ところでイギリスの大学は、日本のようにスポーツによる宣伝活動に力を入れていないような気がします。私はカンタベリーにあるケント大学テニスチームの選手として英国各地を転戦したことがあります。ただし大学からは、お金がほとんど出ません。スコットランドの近くにあるダラム大学との試合では、宿泊費を浮かせるため、試合前日に相手選手の自宅に泊めてもらったこともあります。面白い経験でした。試合は真剣勝負ですが、前日に和気あいあいとお茶を飲みながら話をすれば、すぐ仲良くなってしまいますね。勝ち負けにこだわるスポーツの試合というより、純粋に社交を楽しんでいるという感じがしました。

そのときのテニスチームのメンバーは、イングランド出身が2人、ウェールズ、アメリカ、ポーランド、日本各一名の混成チームでした。外国人枠などありません。たまたま在籍した学生の中でチームを作り、それがたまたまこういうチームになったというだけです。強い選手をスカウトするようなこともありませんでした。ダラム大学に勝った私たちのチームは、準々決勝でロンドン大学に破れ、結局ベスト8止まり。25年も前の話でした。

カストロが愛した女スパイ60 「アメリカ外交史(230)」

陳述書1
 それはロレンツが書いた陳述書に間違いなかった。60年代から70年代にかけて、ケネディ暗殺事件に関連する多くの目撃者や証言者が殺された。いつ命を落とすかもしれない危険の中にあって、自分の知る真実を記録にして残したいと思ったロレンツが七七年七月、手書きでA4のノートに記したのだ。そこにはケネディ暗殺やヒメネス将軍についてのロレンツの思いが忌憚無く書かれていた。

 陳述書は十六ページにわたっていた。

ページ1マイアミ、フロリダ
七月
 私が死んだり、(あるいはけがをしたり)、あるいは私の家族のだれかが死んだりした場合を想定して、私こと、イオナ・マリタ・ロレンツ、三九年八月十八日ドイツ・ブレーメン生まれ、はフロリダ州マイアミのスティーブ・ズカス氏にこの手紙を託し、しかるべき人物あるいは委員会に手渡していただきたいと願っている者です。

 私の娘の父親、マルコス・ペレス・ヒメネスが本国送還になった後、私は途方に暮れ、昔の仲間であるフランク・フィオリーニ(スタージス)とマイアミにいる彼の手下たちのグループ(国際反共産主義部隊)のところに戻りました。私はフィデル・カストロとの個人的で親しい関係があった後の五九年、キューバで、フランク・フィオリーニとニューヨークのアレックス・ロークに命を助けられたことがあります。私は五九年末までマイアミで活動し、国際反共産主義部隊のメンバーになり、血の誓いをたて、六〇年初めには、フランク・フィオリーニの秘密の殺人集団に加わりました。同時に私は、ニューヨークに本部があるアレックス・ロークの反共産主義国際グループの正式メンバーにもなりました。
 私はいつも、この偉大で自由な国を敬愛してきました。

ページ2
 私がこれまでに何をしてこようとも、それはアメリカ合衆国の最大の利益になると信じてやってきたことです。もし、忠実なアメリカ市民として過去に何か過ちを犯したとしても、それは私の無知と臆病・恐れからやったことです。私は、残される私の子供たち、モニカとマーク・エドワードのためにも、許しを乞う者です。
 マルコス・ペレス・ヒメネス将軍の本国送還の直後、私がディーン・ラスク(編注・国務長官)とボビー・(編注:司法長官)ケネディの決定に立腹していると思ったフランク・フィオリーニは、自分の極秘グループに再び私を組み入れたのです。
 キューバ侵攻に失敗したピッグズ湾事件以降、私はフランク・フィオリーニのグループに変化が起きたことに気付きました。つまり、事件前は“フィデル・カストロを打倒しろ”がグループの怒りを真摯に表わす合い言葉だったのに、事件後は“ケネディをやるべきだ”というスローガンに変わったのです。その数年前、フランク・フィオリーニは私の部隊長で、私を“訓練”し、一九六〇年には私に毒入りのカプセルを持たせ、キューバに送り込んだのです。(私はフィデル・カストロの五九年七月二十六日運動の“名誉”会員で、

ページ3
仕立てられた制服と会員カードを持っていました。)私はフィデルとの“個人的な関係”を利用して、ハバナ・ヒルトンホテルのスイート二四〇八号室に入り、フィデルが飲むであろう飲み物の中に二つのカプセル(ボツリヌス菌が入っていたと思います)を入れ、彼を確実に殺すことになっていたのです。
(続く)

ラグビーと秋の空 「★つ・ぶ・や・き★(1265709)」

秋空

今日は中野区立中央図書館経由で、上井草にラグビー観戦。タマリバ対早稲田Cの試合では、タマリバの桑江選手に注目しましたが、早稲田大学を卒業して約6ヶ月。かなり動きが悪くなってしまいましたね。社会人になって、運動不足になったようです。試合は接戦で面白かったですよ。Cが7点差で勝ちました。

早稲田B対法政Bの試合(スコア50対24)を観た後は、そのまま石神井公園へ。池には白サギや

白鷺

アヒルやカモが羽根を休めています。

アヒル

今日は雲がきれいな模様を作っていました。直線状ではなく、直角に折れたり、

2005-09-17 22:54:32

弧を描いたり。

雲

確かに龍が乱舞しているようにも見えなくはないですね。素晴らしい秋空でした。

カストロが愛した女スパイ59 「アメリカ外交史(230)」

陳述書の存在
 「六一年から六三年までの間、どうもフランク・スタージスやペドロ・ディアス・ランツといった人たちとのつき合いという意味では、空白の期間があるようですね。あなたはその二年間、そうした人たちとは接触しなかったのですか?」と、ドッドはロレンツにたずねた。
 「接触はありました。彼らは、私が静かに生活し、子供を育てている間も私に接触してきたのです」

 「いつ、どういうときに彼らはあなたに接触してきたのですか?」
 「彼らはただ、私に連絡を取ってきたのです。特にフランク(スタージス)とアレックス(ローク)は。アレックスは私に言いました。“新しい人生を生きろよ”って。逆にフランクは、私をグループに戻らせて働かせたかったのです」

 「その期間中、彼から手紙を受け取りましたか? フランク・スタージスから郵便物や電報、手紙といったものを受け取りましたか?」
 「アレックスからはあります」

 「アレックスから」
 「はい」

 「受け取ったのですか?」
 「はい」

 「彼らはあなたに何か専門的な仕事をやるよう求めてきましたか、ちょうどあなたが過去二年間にやってきたように?」
 「その三ヶ月間はありませんでした。私が彼らのグループに戻る可能性はありましたが、私は戻るつもりはありませんでした。私は“将軍の本国送還によって私の人生は完全に崩壊した。もう昔の自分ではない”と言いました」

 「議長。これが記録として採用されているのか、あるいは採用されるべきなのか分からないのですが・・・」と、ドッドは言いながら、自分のカバンからA4ノートを取り出した。それはロレンツが書いた一種の陳述書だった。ドッドはロレンツに向かって言った。「私はここに、あなた自身による手書きの陳述書を持っています。多分、あなた自身の手で書かれたと思うのですが。その中で、あなたは、様々な状況や一九五九年に始まり六三年に至る間のフィデル・カストロとの関係を説明しています」

 「フィデルとの?」
 ロレンツにはまだドッドが何のことを言っているのか分からなかった。

 ロレンツの弁護士、クリーガーが口を挟んだ。「議長。証人にその書類を見させていただけませんか。そうでないと彼女は、それが彼女の手書きなのか、ほかの人が書いたのか、見分けられません。ドッド議員が何のことを言っているのか分からないのです」

 議長はドッドらに向かって「あなたはそれについて突っ込んで聞くか、あるいは証拠として提出したいですか?」と聞いた。

 トリプレットが答えた。「私たちは、それを証拠として提出するつもりはありません、議長。しかしながら、もし議長がお望みであれば、そういたします」

 ドッドも発言した。「彼女に私が言及している文書を見せてあげては・・・」
 クリーガーが応じた。「議長。ドッド議員が言及している文書を証人に見せてあげて下さい」

 ドッドからロレンツに陳述書が手渡された。ロレンツは陳述書に目を通した。

ドッドはロレンツに聞いた。「それは、あなたが用意した陳述書だと思います。それで聞きたいのですが、それはあなたが用意した陳述書ですか?」
 「はい、私の手によるものです」
(続く)

赤焼けと地震と満月と 「★つ・ぶ・や・き★(1265709)」

赤焼け

ちょっと遅くなりましたが、9月13日(火)は関東地方各地で赤焼けが観測されました。あまりにもきれいだったので、つい撮影したのが上の写真です。

赤焼けは地震の前兆であるとの説もありますが、よくわかっていません。少なくとも3日経った今までに、大きな地震は観測されませんでしたね。満月や新月が地震のトリガー(引き金)となるとの説もあります。確かに、ダイビングをするときも、満月、新月の1~2日後に訪れる大潮を狙って潜ると大物に出会えるといいますから、月が地球や地球上の生物に与える影響は計り知れないものがあります。

9月18日(日)は旧暦の8月15日。曇っていなければ、中秋の名月を楽しむことができそうですね。

カストロが愛した女スパイ58 「アメリカ外交史(230)」

秘密の会合2
 「会合はどれだけ続いたのですか?」
 「一時間半ぐらいです」

 「会合の最後に、彼らは何と言ったのですか?」
 「“よし、それでいこう”と言って、フランク(スタージス)は地図をたたみ、ポケットに入れました」

 「究極的に計画が決まり“よし実行しよう”ということになったのですか?」
 「はい。“よし、それでいい。準備はできた”です」

 「次にいつ会うかといった取り決めは聞きましたか?」
 「それはいつもでした。彼らはもう一度会おうという趣旨で何か言うのが常でした」

トリプレットはここで一息付き「メンバーの方で何か質問はありませんか、議長?」とたずねた。

 代理出席しているフィシアンが聞いた。「一つだけ。あなたが今述べた会合の日にちが、よく分からなかったのですが」
 「正確な日にちは覚えていませんが、マルコス・ペレス・ヒメネス将軍が本国送還になった後、多分二週間後の六三年八月か、おそらく九月だったと思います。というのもその頃、私は途方に暮れていたからです。私はすべてを奪われ、反乱グループに戻ったのです。フランク(スタージス)が助けてくれると思ったのです。それにアレックス・ロークのことも探していました」

 フィシアンが続けた。「それでは、記憶にある限りでは、会合は六三年九月の何日かだったのですね?」
 「はい」

 「どこで、でしたか?」
 「マイアミにあるオーランド・ボッシュの家です」

 「ありがとう、議長」
 フィシアンの補足質問が終わった。

 次に委員のドッドが手を挙げた。ドッドはかなりロレンツを疑っていた。ロレンツが経験したようなことが本当にあり得るのか信じられないでいた。何度も命を狙われ、数々の修羅場をくぐり抜けてきた女スパイなどいるはずがないとさえ思っていたようだ。ドッドはまずヒメネス将軍とロレンツの関係からただすことにした。

 「六一年から六三年までの間に、あなたはヒメネス将軍との関係を発展させるか、新しい関係になったというわけですね?」
「はい」

 「どうやって、あなたの顧問弁護士、確かウォルターズ氏でしたか、彼を雇うようになったのですか?」
 「彼は将軍の顧問弁護士でした。将軍は私の娘のために三十万ドル(注:自伝では7万5000ドル)の信託基金をつくってくれたのです。私は娘が生まれるや、デービッド・ウォルターズの事務所に行きました」

 「だれがあなたをその弁護士に接触させたのですか? ヒメネス将軍ですか?」
「はい」
(続く)

カストロが愛した女スパイ57 「アメリカ外交史(230)」

秘密の会合1
 「会合には、ほかにはだれがいましたか?」
 「オーランド・ボッシュとその妻、子供たち、オズィー、それにキューバ人兄弟の一人か二人が外に。家の中で開かれていた会合には私はほとんど興味がなかったのです。というのも、デービッド(ウォルターズ)が私と私の赤ん坊を殺そうとするので、フランクの助けが必要だっただけですから」

 「オズィーというのは、確認ですが、リー・ハーヴィー・オズワルドのことですね?」
 「はい」

 「彼はオーランド・ボッシュの家での会合に出席していたのですか?」
 「はい」

 「それは六二年八月以降と、十一月下旬ですね」
 「はい」

 「会合の議題は何だったのですか?」
 「彼らはブラインドを降ろし、子供たちを部屋から閉め出しました。そして、これから出かける予定の旅行について話し合ったのです。彼らは地図を広げていました。私は兵器庫の襲撃だと思いました」

 「兵器庫の襲撃というのは、武器屋から武器を盗み出す襲撃のことですね?」
 「はい」

 「それで何と話し合ったのですか?」
 「テキサス州ダラスの市街地図が置いてありました」

 「実際にダラスだと分かる市街地図を見たのですか?」
 「私がそばを通ったとき、コーヒーテーブルに置かれていました。私は興味がなかったのです。ぼやっとしていましたから。でも地図は見ました」

 「地図にはダラスの名前が書かれていたのですか?」
 「はい」

 「あなたはダラスについての話し合いを聞きましたか?」
 「彼らはただ、丸を書いたり、地図を読んだりしていました」

 「だれが丸を書いていたのですか?」
 「フランク・フィオリーニ(スタージス)です」

 「ほかに丸を書いていた人はいますか?」
 「ペドロとオーランドです。彼らはソファに腰掛けていました」

 「これに対し、オズワルドは何をしていたのですか?」
 「彼は立って、聞いていました」

 「当時、彼は何か言いましたか?」
 「はい」

 「何と言ったのですか?」
 「特別なことは何も。相づちを打つように“分かった”とか“いいだろう”とか言っていました。特別なことは何も言っていません」
(続く)

カストロが愛した女スパイ56 「アメリカ外交史(230)」

強制送還2
ヒメネスを相手にしたロレンツの婚外子扶養請求訴訟は、新聞各紙の一面を大きく飾った。ほどなく、ロバート・ケネディ司法長官の私的な顧問が二人、ロレンツの家を訪ねてきた。婚外子扶養請求訴訟を全面的に取り下げるよう圧力をかけに来たのだ。

ロレンツは断った。
すると二人のうちの一人が言った。「いいか、ロレンツ。アメリカ政府は信託基金の分など埋め合わせてくれるさ。しかも無税で」

ロレンツがそれでも「取引はしない」と言い張ると、二人の男は「お前はデブの独裁者の隣の牢屋にぶち込まれるぞ」と捨て台詞を吐いて帰っていった。

その後に、その事件は起こった。ロレンツがベビーカーに娘のモニカを入れて歩いていると、赤い車がまっすぐロレンツに向かってきた。とっさにベビーカーを押しやり、跳ねてよけようとしたが、ロレンツは車にぶつかってしまった。ロレンツは地面に転がりながら、車のナンバープレートを確認した。しかし打撲がひどく、お腹にいた五ヶ月の息子を流産してしまったという(編注:自伝では誰の子とは書いていないが、ヒメネスの子とみられる)。

 「危害を加えようとしていた人たちとはだれですか?」
 「将軍と私の弁護士である、マイアミのデービッド・ウォルターズです。彼は、私の娘、モニカ・メルセデス・ペレス・ヒメネスのための信託基金の管財人でした」

 「それがオーランド・ボッシュの家の会合にあなたが出席した理由だったのですか?」
 「はい。私は彼から逃げていました」

ロレンツが確認した車のナンバーから、ウォルターズの周辺が浮上した。しかし、ひき逃げ事件の捜査は遅々として進まない。そうこうしているうちに、1963年8月13日、司法当局はヒメネスの国外退去に同意。同16日、ヒメネスはベネズエラに強制送還された。その日、空港に駆けつけたロレンツが見たものは、独裁者の面影もない、やせ衰えたヒメネスが手錠をかけられて飛行機のタラップを上っていく光景であった。

強制退去から一週間が経って、ロレンツに対する援助は打ち切られ、信託基金も、家も、車もすべて失った。ロレンツが拠り所にできたかもしれない書類も、ウォルターズの事務所の「火事」で燃えてしまった。誰かが信託基金をはじめとするヒメネスの米国内における財産を懐に入れようとしているとしか、ロレンツには思えなかった。ロレンツは破産し、ホームレスとなった。

ロレンツは、父親のいない娘モニカとともに身を隠す、あるいは身を寄せるところが必要だった。生き残るために仕方なく、かつての暗殺集団の仲間に連絡を取ったのだ。

 「ボッシュの家で開かれた会合の目的は何だったのですか?」
 「会合は・・・」と言ってロレンツは口をつぐんだ。ロレンツは当時を振り返った。ロレンツは会合に出席するためにボッシュの家に行ったわけではなかった。自分を守ってくれる助けが欲しかっただけだった。一瞬、間を置いてロレンツは続けた。「私が車にはねられたので、フランク(スタージス)に車で私を拾って欲しかったのです。彼は私を車に乗せて連れ出してくれました。私は彼に話をして、助けてもらいたかったのです」
(続く)

カストロが愛した女スパイ55 「アメリカ外交史(230)」

強制送還1
 トリプレットはいよいよ、ケネディ暗殺事件解決の決定的証言となりうる暗殺前のスタージスらの密会について質問することにした。

 「オーランド・ボッシュの家での会合に出席する機会がありましたか?」
 「はい」

 「その会合がいつあったか覚えていますか?」
 「六三年の八月以降、十一月よりも前と、十一月下旬です。何故なら、将軍は本国送還され、私は、私に危害を与えようとする人たちから逃げているときでしたから」

ヒメネスの本国送還と、何者かがロレンツに危害を加えようとした件については、説明が必要だ。

ロレンツとヒメネスとの愛人生活もそう長くは続かなかった。1962年12月12日、ヒメネスがデイド郡拘置所に連行されたのだ。ケネディ大統領の弟であるロバート・ケネディ司法長官、ディーン・ラスク国務長官、アーサー・ゴールドバーグ最高裁判所判事、それにベネズエラのロムロ・ベタンクール大統領の間で、ヒメネスをベネズエラに強制退去させるという合意ができていた。ベネズエラは、祖国を最後に出るときに1300万ドルを盗んで持ち出した罪でヒメネスを正式に起訴していた。

そもそもヒメネスが安穏と米国に滞在できたこと自体、不思議なことであった。もちろん、その「不思議」には理由があった。ヒメネスが巨額の金を法執行機関の職員や政治家にばら撒いていたからだ。

しかし、時代は変わった。ケネディが政権を取り、特に1962年10月にキューバ(ミサイル)危機を乗り越えた後は、ケネディ政権は反カストロ運動を積極的に取り締まるようになった。その一環で、反カストロ運動に資金を提供していたヒメネスが狙われたわけだ。12月にはほかにも、カストロが約5000万ドル相当の食糧、医薬品と引き換えに、ピッグズ湾事件の捕虜1179人を釈放するなど、ケネディ政権とカストロ政権の間で歩み寄りが見られた時期でもあった。

ヒメネスは、1963年8月にベネズエラに強制送還されることになった。ヒメネスの妻と三人の娘はペルーのリマに逃れ、長女は米フロリダ州キーウエストに男と駆け落ちした。

総額で40万ドルを上回るヒメネスの不動産は差し押さえられ、窓という窓には板が打ち付けられた。11台の車を含む私有財産は、すべて船でペルーへ送られた。残った財産はヒメネスの弁護士デービッド・ウォルターズが所属している事務所の所有となった。

強制退去を遅らせる法的戦術も使い尽くされ、唯一残された方法が、ロレンツがヒメネスに対して婚外子扶養請求訴訟を起こすことであった。だが、これには問題があった。ヒメネスが娘モニカのために設定した7万5000ドルの信託基金は、設定者の匿名が条件になっており、ヒメネスであることを受け取り側が明らかにした場合は、支払われなくなってしまうからだ。

「世間に知られれば、モニカの信託基金が台無しになってしまうわ」と、ロレンツはヒメネスに訴えた。ヒメネスは「心配するな」と請け負った。最後はロレンツが折れ、仕方なく婚外子扶養請求訴訟を起こした。
(続く)

カストロが愛した女スパイ54 「アメリカ外交史(230)」

ハワード・ハント登場
 場面は再び委員会に戻る。トリプレットの質問はエドゥアルドこと、ハワード・ハントの話に移った。言わずと知れたCIAの悪名高い情報部員だ。反カストロの亡命キューバ人とCIAを結ぶカギを握る人物で、ケネディ暗殺直前にロレンツが本当にハントとダラスで会っていたのかが、大きな焦点となっていた。

 「この時期(編注:ヒメネス将軍とつき合っていた時期)、あなたはエドゥアルドと会ったことがありますか?」
 「エドゥアルド。エドゥアルドとはその前に会いました」

 「いつ最初にエドゥアルドに会ったのですか?」
 「一九六〇年です」

 「エドゥアルドというのは、ハワード・ハントのことですね?」
 「そうです」

 「どこで最初にエドゥアルドに会ったのですか?
 「最初に会ったのは、マイアミのブリックル・ガーデンというアパートでした。フランク(スタージス)がそこに行き、何かを受け取らなければならない、と言ったのです。私たちは皆、車の中にいました。そこへ、エドゥアルドが出てきて、封筒に入ったものをフランクに渡したのです」

 「フランクは当時、エドゥアルドを知っていたという感じでしたか?」
 「はい」
ハワード・ハントは当時、対キューバ問題を担当するCIA情報部員で、フランク・スタージスは対キューバ工作員。ハントから定期的に工作資金などを受け取っていたとみられる。その後もウォーターゲート事件でスタージスが捕まるまで、あるいはそれ以降も、彼らの密接な関係は続くのである。

 「エドゥアルドがフランクに何を手渡したか、知っていますか?」
 「お金です」

 「いくら?」
 「正確にいくらだったかは分かりませんが、私たちがやっていけるに十分な金です」

 「次にエドゥアルドを見たのはいつでしたか?」
 「何度も見ました。というのも、彼は私たちがやっていけるよう、この種のお金をいつもくれたからです」

 「彼がお金を渡すとき、いつもフランク・スタージスに手渡したのですか?」
 「フランクが受け取ります。そうです」

 「ほかの人はどうですか? たとえば、ペドロ・ディアス・ランツが受け取ったことはありましたか?」
 「いいえ。ペドロは私たちと一緒でした」

 「ほかにいつもあなたと一緒にいた人がいるのですか?」
 「時々、オーランドが一緒だったり、ノボ兄弟が一緒だったりしました」

 「ノボ兄弟のファースト・ネームは覚えていますか?」
 「いいえ」

 「オーランドとは、オーランド・ボッシュのことですね?」
 「オーランド・ボッシュです」
ロレンツが訓練中に撃たれた怪我を治療した医者だ。

 「ハワード・ハントとフランク・スタージスが一緒のところを何回ぐらい見たと思いますか?」
 「三十とか、三十五回ぐらい」

 「それは六〇年に始まった?」
 「そうです」

 「最後に彼らが一緒だったのを見たのはいつですか?」
 「いつかはよく覚えていませんが、六一年に私が将軍と関係を持ったときと、六三年に将軍が本国送還になった後、彼らが一緒だったのを知っています」

 「将軍というのは、もう一度記録のためですが、姓名で述べてもらえますか?」
 「マルコス・ペレス・ヒメネス将軍です」
(続く)

おめでとうございます 「今日の出来事(965941)」

「人生いろいろ」などの暴言を吐きつづけた小泉「自由民主」党が歴史的な大勝利を収めました、おめでとうございます。これもひとえに、聡明で素晴らしい日本国民のおかげです。

この国の選挙民は複雑な思考には耐えられなくなったようです。ひたすら「わかりやすや」を求め、知的衰弱が顕著になってしまった。「敵か味方か」「改革か、改革でないか」という二分法に、(ブッシュを支持するアメリカ人並みに)知的水準を徹底的に落としてしまった。だから難しいことは考えるのはやめましょう。パフォーマンスがすべてです。面白ければそれでいいんです。人生いろいろ。まことにおめでとうございます。戦前の栄光がよみがえってきますよ。

小泉を選んだおかげで、日本は次のような素晴らしい国になります。ありがたいですね。

郵政民営化で再び外資に金儲けのチャンスが到来します。ハゲタカどもがてぐすねひいて待っていますよ。日本はいいカモですからね。強いものが勝って何が悪いんですか? 人生いろいろでしょう。子供がいようがいまいが、貧乏なサラリーマンからは徹底的に徴税できるようになります。悔しかったら金持ちになってみろ、ですね。自衛隊のイラク派兵が延長され、アメリカの負担が少しだけ和らぎます。やがて憲法第9条も改正されるでしょうから、アメリカのために北朝鮮を先制攻撃することも可能になるかもしれません。戦争がやりやすくなりますね。ブッシュは喜んでいますよ。本当におめでとうございます。

そもそも小泉が政権についてから、国債と借入金の残高は約540兆円(2001年三月末)から約780兆円(2005年三月末)にまで大きく膨張したんですよ。ほとんどのメディアがあまり報じませんね。これが小泉の進めた「改革」の正体です。郵政民営化しても何の足しにもなりません。小泉は公務員を減らせるといいますが、そもそも税金を使っていない郵便局員を減らしても、財政はよくなりません。つまり巨額財政赤字のような本当の危機を先送りするために、あるいは目をそらさせるために郵政改革でごまかしているという図式があります。もちろんだまされる有権者が悪いんですよ。つくづくおめでたい!

小泉が一年後に終わっても、これから安倍や石原、中川という戦争主義者たちが跋扈することになりそうですね。これもおめでたいことです。右傾化する世論サマサマです。憎き朝鮮人や中国人に目に物見せてやれそうです。もう内政干渉はさせません。日本中の学校に、「つくる会」の教科書をばら撒きます。洗脳は若いうちにするのが一番。戦争を美化する靖国神社へは毎日でも公人として通うことができるようになります。

憲法第9条を変えさえすれば、日本も戦争やりたい放題。フリーターには兵隊という定職を用意しましょう。死ぬまで雇ってくれますよ。一石二鳥。アメリカのように戦争を輸出して、大もうけることさえ可能です。21世紀には、大きなビジネスチャンスが開けていますよ。地球温暖化なんかも、「糞食らえ」ですね。国益を追求して何が悪いんですか。人生いろいろ。国家もいろいろ。利国主義万歳! アメリカ万歳! ブッシュ万歳! 小泉万歳!

本当に、本当に、おめでとうございます。

カストロが愛した女スパイ53 「アメリカ外交史(230)」

愛人生活3
妊娠を知ったヒメネスは有頂天になった。ただヒメネスは、ロレンツといる間は誠実でいると約束したにもかかわらず、女遊びを止めなかった。そこで、あるときロレンツは、ヒメネスが自分の島からキューバ女たちとヨットで戻ってくるところを待ち伏せした。ドックに戻ってきたヒメネスに向かって三八口径の銃を突きつけ、一発発射した。ヨットは波で揺れていたので、弾はヒメネスの膝に命中した。それ以来、ヒメネスはすっかり真人間になったとロレンツは自伝に書いている。

妊娠9ヶ月目になって2週間が過ぎるとロレンツは、当時ニュージャージー州フォート・リーに住んでいた母の家に電話をかけた。兄のジョーが電話口に出た。ロレンツは「あと二週間で子供が生まれるの」と言いながら、その子の父親となる人物の名前を告げた。電話の向こう側からは「何だって、また独裁者じゃないだろうな。まさかあの残忍で冷酷な独裁者マルコス・ペレス・ヒメネス将軍なのか?」という叫び声が聞こえた。ロレンツは「そうよ。ママに伝えておいてちょうだい。明日、そちらへ行くわ」と兄に伝えた。

マルコスの護衛がニュージャージーまで付いてきた。それが母親の家で出産するヒメネスの条件でもあった。護衛四人と、1万ドルの現金、それにヒメネスから母親へのプレゼントであるゴールドとダイヤモンドのピンを携えて、ロレンツは母親と再会した。母親も兄もロレンツが再び「独裁者」の子供を産むと知って、がっかりしていた。

それでも母親は、ロレンツを温かく迎え入れた。子供部屋も用意してくれた。ヒメネスからは毎日電話がかかってきたが、母親が出るとヒメネスと何時間も話をして、情け容赦なく文句を言い続けた。

出産予定日から一週間以上過ぎた1962年3月8日、ロレンツの陣痛が始まった。すさまじい吹雪の日だったが、勇敢な新人警官が運転するパトカーで対岸のニューヨークの病院に運び込まれ、翌9日午前6時、ロレンツはかわいい赤ん坊を産んだ。欲しかった女の子だった。電話口のヒメネスは、男の子でなかったのでがっかりしていた。

ロレンツは幸せだった。ロレンツが初めて抱く自分の赤ん坊であった。ヒメネスは自分の母親の名前を取ってアデラ・マリアと名づけたがったが、ロレンツはモニカ・メルセデス・ペレス・ヒメネスと名づけた。2週間後、ロレンツは赤ん坊を連れてマイアミに戻った。
(続く)

今日は投票日。くれぐれも小泉にだまされないように!

カストロが愛した女スパイ52 「アメリカ外交史(230)」

愛人生活2
ヒメネスの正式な妻はペルーのリマに住んでいた。ヒメネスはパイン・ツリー・ドライブの自宅にロレンツを住まわせることも考えたようだが、時々正式な妻が訪ねてくるので、そういうわけにもいかなかった。

ヒメネスは大半の時間をロレンツと過ごした。愛し合うときはロレンツのアパートを使った。ロレンツは後で知ったのだが、ヒメネスがロレンツを愛したのは、カストロが愛していた女とセックスをすることにより、カストロに屈辱を与えるという考えもあったようだ。時々、カストロよりセックスがうまいかどうかロレンツに尋ねるので、ロレンツはよく激怒した。おそらくは政治的な信条の違いから、ヒメネスはカストロを憎んでいた。

ある日の夕食の席で、ヒメネスはロレンツにこう尋ねた。
「私はお前の次のターゲットなのか、それともお前は私のものなのか?」
ロレンツはそのようなことはまったく考えていなかったので驚いて、ヒメネスに真意をただした。ヒメネスによると、亡命キューバ人の一部とCIA工作員たちは、ヒメネスかロレンツのどちらか、あるいは両方に死んでもらいたがっているということだった。ヒメネスは、ロレンツが訓練中に撃たれたのは事故ではないと思っていた。

「お前は愛人のカストロを殺し損ねたのだ。だから、やつらはお前を殺したがっている」とヒメネスは言った。だが彼らに殺させはしない、とロレンツに約束した。おそらくヒメネスには、CIA工作員や亡命キューバ人の一部をおとなしくさせるには十分なぐらいの財産があったのだろう。武装した護衛も大勢いた。少なくともヒメネスと一緒の間は、命を狙われることはなかった。

正式な愛人になったことを祝う披露宴も開かれた。50人ほどの男たちがロレンツの家に集まり、ヒメネスとロレンツを祝福した。ヒメネスは皆の前で、彼がかつて陸軍士官学校を卒業したときにもらった指輪を自分の指からはずしてロレンツの指にはめた。それは彼の妻よりもロレンツを大事に扱えという、部下に対する暗黙の宣言でもあった。

普通の平和な生活が始まろうとしていた。ただしヒメネスは、ロレンツがパンナムで働くことに反対した。6ヶ月の訓練が終わりいよいよ客室乗務員として飛び回ろうとしているときに、会社に手を回してロレンツを首にしてしまった。

ロレンツは異議を唱えたが、そうこうするうちに、ヒメネスの子供を妊娠していることが判明した。当時、客室乗務員は独身女性ばかりで、妊婦はお呼びではないという風潮が会社にあった。ヒメネスがわざわざ手を回さなくても、ロレンツは会社を辞めるはめになったかもしれなかった。

ロレンツにとって妊娠は、まったく思いがけないことだった。CIAの工作員たちに、もう子供は産めない体になったと吹き込まれていたからだ。それは、カストロに対する憎悪を募らせるためのウソであったわけだ。ロレンツはまったく健康な体だった。洗脳された脳の、一枚一枚の皮が剥がれていくようだった。
(続く)

カストロが愛した女スパイ51 「アメリカ外交史(230)」

(前回までのあらすじ)
カストロへの思いから、カストロを暗殺できなかったロレンツは、アメリカに帰ってから亡命キューバ人やCIA工作員から罵声を浴びる。「暗殺失敗の罪」をあがなうため、キューバ侵攻作戦の訓練に参加させられるが、訓練中に何者かに撃たれ重傷を負う。この怪我のおかげで、ピッグズ湾事件として知られる侵攻作戦に加わらずにすんだものの、ロレンツにはベネズエラの独裁者からカストロ打倒のための支援資金を取ってくるという新たな任務が待っていた。


愛人生活1
 「あなたはマルコス・ペレス・ヒメネスから情報を集めたのですか」
 「フランク(スタージス)は知りたかったのです。私は当時、その人がベネズエラの元大統領だなんて知らなかった。私はパーティーに行きました。フランクは、将軍がおコメとか、物資とか、現金などの形でどれだけの金額を亡命キューバ人に提供してくれるのか、間接的に知りたかったのです。私はパーティーの後、フランクにそうした情報を教えました。その後、将軍は私とデートをしたがったのです」

 「そのパーティーはいつ、どこであったのですか?」
 「六一年にマイアミのパイン・ツリー・ドライブ四六〇九番地で。そこは将軍の住宅でした」

 「そのパーティーにはほかにだれがいましたか?」
 「いろいろな人が大勢いました。数百人規模です。元大将とか、将軍と一緒に亡命して来た人とか、フランクやアレックスもいました」

 「そしてあなたは、実際にいくら資金や物資が提供されるかという情報を手に入れたのですね?」
 「はい。それに、いつでも彼に話ができるという保証も手に入れました」
実際は、ロレンツの自伝に書かれているように、最初にあったときにいきなり資金を渡された。

 「フランクは何故こうした情報が欲しいのか説明しましたか?」
 「いいえ」

 「フランクが何故こうした情報を欲しがるのか聞きましたか?」
 「いいえ。フランクはただ、将軍が亡命キューバ人の運動にどれだけかかわり、どれだけ資金を提供してくれるか知りたかっただけなのだと思います。要するに、フランクはもっと金が欲しかったのです」

 「フランクは将軍から資金を得ようとしたことがあるのですか?」
 「分かりません」

ヒメネスは極悪人の独裁者であった。しかし、女性の扱いに関しては紳士的で、女心をよく心得ているようだった。なによりも信じられないくらいの金持ちであった。ロレンツはヒメネスからの誘いをまんざらでもないように思うようになった。

 ロレンツは、このヒメネスがベネズエラの独裁者で、権力の座にとどまるためなら、拷問、殺人など手段を選ばなかった冷血漢であることをずっと後になってから知ったと、自伝で述べている。当時のロレンツは、反カストロ運動に富の一部を提供しているベネズエラの前指導者に口説かれているぐらいにしか思っていなかったという。

ロレンツはそのころ、パン・アメリカン航空に就職が決まった。自立して隠れ家から脱出したかったのだ。ヒメネスは自分が所有しているアパートメントを貸そうと申し出た。ヒメネスの巨額の財産から見れば、たいした投資ではなかっただろうが、パンナムの給料ではとても住めそうにない二階建ての高級家具付アパートメントであった。

 これが意味することは明らかだった。ヒメネスの愛人になるということだ。そのころロレンツは、ヒメネスの過去をよく知らなかったこともあり、マイアミで豪華に暮らすヒメネスを好きになっていた。訓練に戻っても、また命を狙われる可能性もあった。それよりもヒメネスの愛人になったほうが少なくとも安全だ。ロレンツはヒメネスの申し出を受け入れた。必要から生まれたビジネス上の合意であると考えるようにした。
(続く)

カストロが愛した女スパイ50 「アメリカ外交史(230)」

独裁者ヒメネス2
「ディアス将軍」からの熱烈なデートの誘いは、その後も執拗に続いた。ロレンツはそのしつこさに負けて、一時間以内に戻ってくることを条件にデートに応じることに同意した。

高級レストランでのディアスとの初デートは、ロレンツにとって楽しいものではなかった。武装したディアスの護衛がレストランのあちこちに立っており、目を光らせていた。そのデートでディアスは初めて、ディアスが本名ではなく、1958年に祖国を追われたベネズエラ大統領マルコス・ペレス・ヒメネスであるとロレンツに明かした。

ヒメネスはどのような人物だったのか。彼は当時、ベネズエラ政府から指名手配されていたおたずね者であった。ヒメネス自身はもちろん、ロレンツに詳細は語ることはなかったが、彼の悪行の数々は、ベネズエラの近代史に深く刻まれている。

近代のベネズエラも、他の多くの中南米諸国と同様に、独裁国家としての歴史を歩んできた。長い間、軍部の独裁が続いた後、軍部と文民の混合団体が1945年10月、クーデターを起こして、当時の軍事政権を倒した。新政権では首班の文民政治家ペタンクールが穏健な民主主義路線を進め、新しい民主的な憲法と普通選挙制が施行された。これにより1947年には総選挙によって著名な作家ロムロ・ガリェゴスが大統領に就任した。

ところが1948年11月24日、軍部が再び文民政権を倒し、ペタンクールやガリュゴスら文民政治家は亡命を余儀なくされる。代わって3人の軍人が実験を握った。その3人のうちの一人がヒメネスであった。ヒメネスはやがて独裁者となり、彼を支えるごく一握りの富裕層に有利な近代化を推進、自国に誘致したアメリカ企業から歩合を受け取る仕組みを作るなど驚くほどの私腹を肥やした。逆に政府は巨額の負債をかかえ、農業生産は著しく減少、農民はますます貧困にあえいだ。

忠実な秘密警察庁長官ペドロ・エストラーダを使って、政敵を次々と粛清することにも躊躇しなかった。敵と思しき人物は投獄され、多くは拷問を受け、自白しない場合は殺された。ヒメネスは自分が権力の座にとどまるためには、手段を選ばなかった。

しかしヒメネス政権も、膨張する大衆の怒りを力ですべて押さえ込むことはできなかった。大衆に押された陸海空軍によって転覆されると、ヒメネスは1300万ドルの詰まったスーツケースを持って亡命を企てた。ところが亡命途中のアメリカで発見され、フロリダで足止めを食っていたのだ。

ロレンツによると、ヒメネスは少なくとも7億5000万ドルの金を祖国から計画的に略奪していたという。それらのカネは世界中の銀行、不動産、会社などに隠匿されていた。だから、滞留先のフロリダでも武装した護衛に守られながら、贅沢な日々を送れたわけだ。ただし、フロリダ州デイド郡から出ることは許されておらず、月に一度、移民帰化局で手続きをしなければならなかった。
(続く)

カストロが愛した女スパイ49 「アメリカ外交史(230)」

独裁者ヒメネス1
 ディアス将軍とは何者だろう。ロレンツはスタージスからマイアミビーチの住所をもらった。そこで将軍がパーティーを開くのだという。ロレンツは身ぎれいにして、化粧をし、いかにも女っぽいフリル付きの白いブラウスを着て、出かけた。

ディアス将軍の家は、マイアミビーチではおなじみの大邸宅であった。電流が通じている高さ4メートル近いゲート。邸宅の裏庭を流れる川には、遠洋航海用のヨットが係留されていた。

7人もいる警備員の一人が、ロレンツを一人の男のところへ連れて行った。その男は、はげで背が低く、おまけに太っていた。そしていかにも女好きのスケベな顔立ちだった。それが「ディアス将軍」との最初の出会いであった。

ディアス将軍はにっこり笑いながら、灰色の目を細めてロレンツをしげしげと眺めた。そしてロレンツを、応接間らしい上品な部屋にロレンツを案内した。壁にはベネズエラの地図が貼ってあり、高価な家具が部屋を飾っていた。ディアスはロレンツにその部屋で待つように言って、いったん部屋から出て行くと、高級ワインと3000ドルほどの現金が入ったスポーツバッグを持って戻ってきた。

ワインはロレンツへのプレゼントで、金は「大儀のためのほんのはした金」だとディアス将軍は言った。ロレンツがお礼を言うと、将軍はこう言い返した。「なあに、たいしたことはない。君の元ボーイフレンドを始末するためのささやかな支援金さ」

ロレンツはこの言葉に切れた。現金の入ったバッグを床に下ろすと、「なんてことを言うの。こんなものいらないわ」と言い放し、帰ろうとした。ディアス将軍は慌てて、声をかけながら追いかけてきた。「いや、行かないでくれ。悪かった。お願いだ。怒らせるつもりはなかったんだ」

ディアスはロレンツの素性を、おそらくスタージスから事前に聞いていたのだろう。ディアスはお詫びを兼ねてロレンツを食事に誘った。ロレンツは少しもうれしくなかった。

ディアスはその後も、執拗にロレンツをデートに誘った。ディアスはロレンツの日程を知っているようで、ロレンツが非番で隠れ家にいるときに訪ねてきた。運転手が「将軍がお話をしたいそうです」と言ってきたが、ロレンツは「戦争が終われば考えてもいいわ、多分ね」と答えて、追い払った。

その4日後、ディアスの肖像をかたどったコインが付いた18金のブレスレットが送られてきた。金のブレスレットはずっしりと重かった。コインに自分の肖像が彫られているということは、かなり重要な人物であることは明白だった。このディアスこそ、ベネズエラの悪名高い独裁者マルコス・ペレス・ヒメネス将軍であったことが後にわかるのであった。
(続く)

カストロが愛した女スパイ48 「アメリカ外交史(230)」

三番目の任務
 トリプレットの質問がロレンツを目の前の現実に引き戻した。「私の質問は、訓練を受けていたリー・ハーヴィー・オズワルドをあなたが三、四回見たというのは、いつの期間かということです。最初に見たのは、六一年の初めごろだと言いましたね?」
 「六〇年の終わりごろか、六一年の初めだと思います。というのも私が三番目の任務を与えられたときだからです」

 「では、最後にあなたが、オズワルドが訓練を受けているのを見たのは、いつですか?六〇年の終わりごろから六一年の初めの期間ということですか?」
 「はい」と、ロレンツはぼんやりと答えた。

 ロレンツがこのとき答えた時期は、実は非常に意味があることにロレンツ本人は気付いていなかった。ロレンツの記憶では確か、オズワルドを見たのはピッグズ湾事件の前だったのだ。しかし、後に分かるが、その時期、オズワルドはソ連におり、米国にはいなかったはずである。ロレンツは六三年夏に再びこのオペレーション40と呼ばれるグループに戻り、そこでオズワルドに会っているとも、自伝などで語っている。既に約十五年が経過しており、ロレンツの記憶がゴチャゴチャになっていた可能性は強い。このことは、委員会でも後で問題となる。

 「あなたの三番目の任務とは何だったのですか?」
 「三番目の任務は・・・。フランク(スタージス)は、私がフィデル暗殺でヘマをやったので、辞めさせるわけにはいかないんだ、と言うんです。私はパン・アメリカン航空の国際線に就職しました。スチュワーデスになりたかったんです。フランクは私を訪ね、ベネズエラの元大統領、マルコス・ペレス・ヒメネス将軍から情報を集めるよう命じました。私はそれをやったんです」

訓練中にロレンツが怪我を負ったからといって、スタージスはロレンツを“無罪放免”にはしなかった。スタージスらにとって、カストロ暗殺を失敗した「罪」は、それほど大きかったのだろう。

ロレンツの次の任務は、少なくとも暴力を伴わないものであった。当時マイアミには、ラテンアメリカ諸国から何らかの理由で逃れてきた金持ち連中がたくさん住みついていた。多くは暗い過去をもっていた。汚職で一財産築いた政府高官のほか、政争に敗れた者、追放された独裁者、負けた軍の指導者もいた。彼らは祖国を逃れるとき、それまでの不正でもうけた巨額の富をもってきていたので、マイアミでは何不自由なく、快適に暮していた。その中で、カストロに恨みをもつ者や亡命キューバ人の運動に賛同してくれる者から寄付金や情報を集めるのが、ロレンツの新しい任務であった。

それは1961年6月のことだったと、ロレンツは自伝に書いている。ピッグズ湾事件から二ヶ月ほど経ったころだ。ある日、スタージスがロレンツのところへやってきて、ディアス将軍という人物に会って来いと命令した。
(続く)

不思議な世界 「不思議な世界(409)」

不思議な島スラウェシ(下)

アリオンによると、「スパスシフィカは二つの十字回転によって起こるもの」だという。しかも、「大なる十字は空に、小なる十字は海に」ある。二つの大小の十字は、お互いに反対方向に回転するのだそうだ。ただし回転は始めたが、まだ浮上はしていないようでもある。

スパスシフィカとは、目に見えない何か観念的な存在なのだろうか。ところがアリオンは、もっと具象的なものであることを示唆する。紀元前2,3世紀ごろ、パミール高原にいたアマ族がインドネシアを通って日本に行く途中で、この島に何かを託したのだという。

それが現代において、再び活動を始めたようだ。「スパスシフィカより熱磁気送信」が開始され、「『しらぬい』の火が点火された」というメッセージもある。このことから、古代文明が遺した超科学的な性能を持つ装置が再び動き出したのではないかと北川さんらのグループは考えているようだが、アリオンはこれ以上のことを明らかにしていないので、わからないままだ。

さて、もう一人、このスラウェシ島に超古代文明の遺産が隠されているのではないかとみる人がいる。イワクラ(磐座)学会会長で建築家でもある京都造形芸術大学の渡辺豊和教授だ。

渡辺教授は、ギリシャの哲学者プラトンが書き残した謎の古代大陸アトランティスに関する三つの図形を地球・世界図とみなして、直感を使って凝視した。すると、スフィンクスで有名なエジプトの三大ピラミッドからの位置関係で解いてみると、インドネシアのスラウェシ島がアトランティスであることがわかったというのである。

多分に直感的な部分が多いので、どうやって渡辺教授が、スラウェシ島がアトランティスであると判断したのかは、同教授の著書『発光するアトランティス』を読んでもよくわからない。ただ、渡辺教授が1989年にスラウェシ島を実際に取材したところ、プラトンが記述したアトランティスと、島の大きさや言い伝えなどかなり酷似する部分があったという。

渡辺教授の説によると、アトランティスが1万年前に海に沈んだとき、アトランティスの一部の人々はエジプトに逃れた。その後、今から5000年前ごろに再びエジプトからスラウェシに戻ってきたのだという。そのため、スラウェシ島のトラジャ族の言葉の多くが古代エジプト語と似ているのだという。

実際にスラウェシがアトランティスと関係があるのかどうかは、私にはわからない。しかしスラウェシには、人々を魅了してやまない超古代の神秘が、いまだベールに覆われたまま静かに、出番を待っているのかもしれない。

カストロが愛した女スパイ47 「アメリカ外交史(230)」

ピッグズ湾事件2
1961年1月、大統領に就任したケネディに対して、CIA幹部たちはキューバのカストロ政権がアメリカの安全保障にとっていかに危険であるかということを説き続けた。CIAは、すでに亡命キューバ人のグループが戦闘態勢を整えているとケネディに説明。カストロ政権打倒軍がキューバに上陸さえすれば、「独裁者カストロ」の「圧政」に苦しめられている国民が蜂起し、容易にカストロ政権を駆逐できると主張した。

当初、作戦は2月に予定されていたが、ケネディは国際世論の動向を懸念して侵攻を認めようとしない。しかし、CIAが絶対にうまくいくと請け負ったことなどから、ケネディはとうとうゴーサインを出す。

4月16日、偽装のためニカラグアを飛び立った米軍のB-26爆撃機がキューバの空軍を爆撃。翌17日には、一五〇〇人のカストロ政権打倒軍がピッグズ湾からキューバ上陸を開始した。ところがケネディ大統領は、空爆が米軍によるものであることがわかると国際的な非難にさらされるのではないかと恐れて、予定していた二度目の空爆を中止。このためピッグズ湾に上陸した亡命キューバ人の部隊は孤立無援となった。怪我をしなかったら、この中にロレンツがいたかもしれないわけだ。孤立した反カストロ分子の多くはカストロの部隊に殺されたり、捕らえられたりし、計画は大失敗に終わった。

この二度目の空爆中止をめぐっては、ケネディ政権内部でかなり激しい意見対立があったことが知られている。ケネディの側近には、キューバ侵攻への米国の支援が明らかになればソ連の介入を誘発し第三次世界大戦へと発展しかねないと、空爆に反対する者も多かった。一方、アレン・ダレス長官らCIA幹部は、国際世論など無視して徹底的にカストロ軍を空爆でたたくべきだと強硬に主張した。

大統領選に勝っていれば当然この作戦を指揮することになっていたリチャード・ニクソンの自伝には、ケネディは政権内部の空爆反対派とCIAの空爆強硬派の間をとって3回爆撃する計画でいったんは了承した。しかし、国際世論の批判を恐れて3回のうち2回をキャンセルしたのだと記されている。

米ジャーナリスト、クリストファー・マシューズの著作『ケネディとニクソン』によると、CIAのキューバ侵攻計画担当の情報部員ハワード・ハントらは、キューバ侵攻計画に参加する反カストロ部隊から、どうやったらキューバに上陸する少数の部隊がカストロの20万人もの大軍に対して戦えるのかと聞かれて、空からの米軍による援護爆撃で、あらゆるキューバ軍の戦闘車両や戦闘機を戦闘不能にするから大丈夫だと保証していたという。その保証は、ニクソンが大統領になった場合の保証であったのだろう。少なくともケネディ政権首脳から来ているものではない、ただの空手形であった。

ケネディが空爆を一回しか認めなかったことは、CIAとカストロ政権打倒軍にとっては大誤算であった。ケネディが二回目の空爆を躊躇しているとき、ハントらはCIAの戦争会議室で、早く空爆するよう激しくケネディらをののしっていたという。

ニクソンの自伝によると、ピッグズ湾事件の失敗でケネディはもちろんのこと、CIA幹部も大いに落胆した。うなだれて肩を落としたダレスCIA長官は思わずニクソンに漏らしたという。「ああ、彼(ケネディ大統領)には失敗は絶対許されないと言っておくんだった。もうちょっとで説得できたんだが、できなかった。私の人生で最大の失敗だ」

大統領就任早々評判を落としたケネディは、この事件の責任を取らせて、ダレスらCIA首脳陣を更迭した。ピッグズ湾事件は、CIA強硬派のケネディに対する遺恨となっただけでなく、ケネディは反カストロの亡命キューバ人からも空爆を認めなかった「裏切り者」として記憶にとどめられることになったのである。
(続く)

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