ハーバード経済日誌(その31) 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

授業あれこれ2

私が取ったジム・ハインズのミクロ経済のコースは、API101というコース番号が付いている。101というのは入門コースに付けられる番号だ。かつてジョン・F・ケネディ大統領は、新聞記者から「なぜ減税をするのか」と質問され、こう答えた。「経済を刺激するためだ。君たちは経済101を覚えてないのか(To stimulate the economy. Don’t you remember your Economics 101?)」

101は必修科目である場合が多く、ケネディ・スクールでもミッドキャリアの学生かそれに準ずる学生以外は必修科目になっていた。大勢の学生が取ることになるので、AからEまで5クラスに分けられた。Aは微分を使うクラス、Eは主に都市計画やデザインを将来専攻する学生のためのクラス、そのほかは微分を使わないクラスで、それぞれ別々の教授が教える。

私はミッドキャリアなので、101を取る必要はなかったが、何しろ経済学を大学レベルで履修したことがなかった(教養課程では一度だけ取った)ので、好奇心も手伝って取ることにした。しかも半ば無謀にも、微分を使うAコースを選んだ。そして何を隠そう、私が取った5コースのうちいちばん苦戦したのが、このミクロ経済だった。経済部の記者なら、マクロ経済のことは経験的にわかるが、ミクロ経済となるとほとんど遭遇することもない(つまりあまり現実的でない)事象だからだ。微分などの細かい計算方法や法則も、私はすっかり忘れていた。

授業は月曜と水曜の八時半から一〇時までの週二回。金曜日には経済の博士課程を取っている助手の学生によるレビュー(復習)のクラスがあった。このレビューのクラスは大変役に立ち、その週でやった難しいところを解説してくれる。なるべく「落ちこぼれ」が出ないように救済するシステムともいえる。さすがに授業料を二万ドルも払っただけあって、学生に対するケアが行き届いているな、と思ったりもした。

この救済システムは統計やマクロ経済、国際金融のコースにもあり、金曜日はレビューのクラスが目白押しとなっていた。私も大いに「救済」されたことは言うまでもない。
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ハーバード経済日誌(その30) 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

授業あれこれ

ショッピングの末に私が取った学科は、ジム・ハインズの「経済分析(ミクロ経済)」、スザンヌ・クーパーの「応用マクロ経済」、リチャード・ライトの「マネージャーのための統計分析」、マービン・カルブとトマス・ピーターソンの「メディアと政治」、キャサリン・ドミンゲスの「国際金融市場」の5単位。

前にも書いたように私は、学部ではフランス文学(卒論は不条理演劇で知られるサミュエル・ベケット)を専攻していたため、大学では経済をまったく勉強していない。ただ経済記者を8年間やっていたため、経済や金融分野の「土地勘」はあった(大学で経済を専攻していなくとも経済記者になれる。科学部の記者も同じ)。今回、経済の科目を多く取ったのも、記者として経験的に知っている経済とは異なる理論上の経済をしっかり勉強しておきたかったからだ。本当は、「なんだ、経済の専門家はこんな現実とは異なることを勉強していたのか」と、つぶやけるようになりたかった。

さて、私が選択した五教科の特徴は、いずれの教授も学生による総合評価で4・0以上の高い評価(最高は5)を得ていたことだ。ハインズ准教授はエール大卒業後、ハーバード大学で経済博士号を取得した。専門は税制でとくに多国籍企業の税制について詳しい。米商務省などで働いた後、プリンストンやコロンビアで教えていた。

このハインズ准教授の奥さんは、私が取った「国際金融市場」のドミンゲス准教授で、やはりエール大学で経済学の博士号を取得した才媛だ。中央銀行による為替介入の効果を分析した本も書いている。二人とも准教授で「テニュアー(終身教授の地位)」にはなっていなかった。学生からの人気では、二人とも超トップクラスだ。総合評価でハインズは4・87、ドミンゲスも4・46の評価を受けていた。3点台の評価を受ける教授が多く、中には2点台の教授がいることを考えると、二人の評価は驚異的に高い。

しかし、彼らも翌年にはハーバードを去らなければならなくなる。この辺が厳しいところで、いくら学生から人気があっても、自分の研究分野で論文をどんどん発表しないと、テニュアーが取れないのだ。推測するに、ドミンゲスに比べこれといった論文を書いていないハインズが、大学側から半ば追い出されたのではないだろうか(あるいはテニュアーが取れないとわかって、他大学へ移ることにした)。夫がハーバードを去るので、ドミンゲスもハーバードを去ったような気がする。

二人がハーバードを去る直前に、構内のカフェテリアで二人に会って話をする機会があった。「あなた方のように学生から人気のある教授が去ってしまうのは残念だ。これからはどこで教えるのですか」と私が問いかけると、ハインズが「ハーバードもよかったけど、今度シカゴへ行くことになったよ」と、少し寂しそうな顔をして答えたのを覚えている。さらに「シカゴは寒いと聞きましたが」と私が聞くと、二人そろってこう答えた。「それは大丈夫。ボストンで慣れているから」

日本人の起源に迫る 「日本人起源論(1)」

八切止夫の『天の日本古代史研究』(作品社)に描かれた日本の歴史は、非常に
面白い。多分に感覚的に書かれているので、八切説を証明するのは難しいが、お
そらく八切の主張するように、われわれのご先祖様は、黒潮に乗って東南アジア
方面からやって来た「天の王朝」の人々だったのだろう。彼らは八幡(ヤバン)
と呼ばれた。象徴する言霊は「八」だ。やがて大陸からやって来た崇神と共存共
栄を図り、おそらく白山、飛騨、近江、大和にかけて崇神王朝を形成するが、ヤ
マトタケルノミコトが中国系の武内宿禰に暗殺されたのを契機に、衰退する。武
内宿禰は彼らの歴史を奪い、日本を植民地にすることに成功した。追われた天の
王朝の人々は神奈川を中心に蘇我王朝、加賀を根拠地とする白山王朝の二つに分
かれて、失地回復を狙った。古代海人族の富士王朝もあり、日本はいくつもの民
族が別々に独立して存在していたようだ。やがて吉備、中国地方を支配していた
中国勢力が、兵庫県をコロニーにしていた韓国勢力とのちに桓武を出す河内王朝
と連合軍を組み、中国からの大量の鉄製武器を用いて天の王朝の人々を滅ぼし
(桃太郎の鬼退治)、彼らを奴隷とした。これが学校では教えない真実に近い歴
史ではないかと思う。

ハーバード経済日誌(その29) 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

追加のお知らせ:フリーページに「カリブ海のダイビング」をアップしましたので、ダイビングお好きな方は読んでみてください。近々、「魅惑のガラパゴス」も公開します。

ショッピングの日

ハーバードに限らずアメリカの大学では新学期が始まると、まず「ショッピング」をする。ショッピングといっても、何かを買うのではなく、面白そうな講座に顔を出して、その講座が「買う」に値するかどうか、自分に向いているかどうかなどをチェックするのだ。大学側はショッピングの日を二日間設けていて、学生はなるべく多くの授業に出て、「物色」する。

取りたい講座のショッピング時間がバッティングする場合は、友達との情報交換が役に立つ。宿題が楽なクラスがないかとか、グレード(成績)の付け方が厳しいかどうかとか、そういった情報も積極的に交換する。

教授もそうしたショッパーたちのために、その講座の目的や、スケジュール、宿題の多少や必要読書量、成績の付け方(たとえば、成績の判断として討論への参加度20%、中間試験20%、期末試験40%、クイズや宿題の出来20%など構成比が細かく決まっている)などについて書かれたコースのレジュメを配ったり話したりすることになっている。

面白いのは、マサチューセッツ州にあるハーバード・ケネディスクールとビジネススクール、ロースクール、マサチューセッツ工科大学、タフツ大学フレッチャースクールのそれぞれの学生は、自由にお互いの大学院の授業をとることができるシステムになっていることだ。実際、私の友人もフレッチャーの授業やビジネススクールの授業を受けていたし、逆に私が取っているクラスにビジネススクールの学生が参加したりしていた。

私も、他大学院で教えている著名な日本学者エズラ・ボーゲル教授(『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著作で有名)のクラスをショッピングした。非常に温和な方で、講義内容も面白そうだったが、私が取りたいと思っていたクラスと時間が同じだったため断念した。『文明の衝突』で有名なサミュエル・ハンチントン教授なども他大学院におり、そうした著名教授のクラスを好んでショッピングする学生もいた。

私がショッピングでいちばん頼りにしたのが、以前にそのクラスを取った学生による評価やコメントを記された冊子「スチューデント・コース・エバルエーションズ」。宿題量は適当だったかどうか、授業はわかりやすかったかどうかなど細部にわたり、教授やクラスに対する評価(五段階評価で最高が5)が書かれている。各授業の最後に学生に配るアンケート結果をまとめたものだ。

ただし、わざと、つまり次に取る学生がもっと苦労するように、「宿題の量が足りなかった」(もちろん本当は足りすぎていた)などと記入し、実際とは逆の評価を下す意地悪な学生もいる。実際、私の友達も、すべてのコースで「宿題の量が足りない」にマルをつけたと言っていた。

このように「だまされ」て、学生たちはそれぞれのコースを選ぶわけだ。

17日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その19)
グッドニューズ! コムズカシイGDPの話は本日で一応終わりです。
輸出(Exports)と輸入(Imports)
これまで話した政府購入(G)、消費(C)、投資(I)はいわゆる内需(国内需要)の話だが、今回は外需にかかわる話だ。日本はかなり外需に依存しているとして、アメリカから「日本は内需を拡大しろ」といつも批判される。貿易大国ニッポンとしては痛いところだ。ただしその貿易大国の称号も、いずれは中国に譲ることになりそう。
(X-Im)とは、輸出売上額から輸入支払額を引いた貿易収支のこと。輸出の増加はGDPにプラスに働き、輸入の増加はGDPにマイナスとなる。ということは、国内経済を成長させるためには、輸入制限や高率の関税で輸入を抑制し、輸出奨励金など補助金を使って輸出を拡大すればいい。しかし、各国が同じようなことをしたら、貿易戦争が世界中で起きる。世界貿易機関(WTO)では、そうした閉鎖的な貿易をしないよう政策調整や仲裁を行っている。
補助金や輸入制限といった露骨な貿易黒字拡大策ではなく、間接的に貿易黒字を増やす方法もある。自国通貨の価値を下げればいいのだ。そうすれば自分たちが輸出する製品の値段が相対的に下がり、他国の製品に比べ価格面で有利になる(輸出競争力が増す)。
通貨価値を下げるためには、中央銀行が貨幣供給量を増やす方法が手っ取り早い。お金が市場に余計に出回れば、カネの価値が相対的に下がるからだ。その貨幣供給量を増やすには、中央銀行が公開市場操作(open market operation)をする方法が効果的だ。中央銀行が市場から国債を買う(買いオペレーション、略して買いオペ)と、その代金が市場に出回るため流通している現金通貨量が増大する。逆に中央銀行が手持ちの国債を市場で売ると(いわゆる売りオペすると)その代金が中央銀行に入るため、市場に流通する現金通貨量が減る。すると、通貨価値が高くなる。
こうして貨幣供給量が増大すると、自国の通貨価値は下がるが、すぐに貿易黒字が拡大するわけではない。為替レートが下落しても、最初のうちは輸出数量が増えず、逆にレートの下落で輸入金額が上昇するからだ。貿易の売買契約が三カ月後とか四ヵ月後のレートで決算する場合があり、必ずしも現時点でのレートで決算しないというタイムラグもこの現象の一因になっている。このように通貨価値の変動が、最初は貿易黒字の拡大や縮小とは金額的に逆の方向に動き、やがて本来動くべき方向へと変化していくことを、Jの字に似ていることからJカーブ効果と呼んでいる。
さて、以上がGDPの話。難しいところもあったかもしれないけれど、この恒等式を知ってマクロ経済の記事を読めば、理解度が進むはずだ。実質GDPと名目GDPの話はまたの機会にします(なお、ここで記したGDPの説明や構成要素の定義などについては、ハーバード・ケネディスクールでマクロ経済の教科書として使ったGregory Mankiw(グレゴリー・マンキュー)の『Macroeconomics』を参照にしています。邦訳『マンキューマクロ経済学』(東洋経済新報社)も出ておりますので、興味のある方は読んでみてください。結構判りやすく書かれており、お薦めです)。

16日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その18)
今日はGDPの恒等式のI=Investment(投資)の話。
投資とは将来のために購入されるモノのこと。企業による新工場建設や新設備の購入のほか、個人による新築住宅の購入なども含まれる。厄介なのは、中古の家やマンションなどを買った場合は投資とはみなされないこと。もちろん買った人から見れば、中古のマンションであろうと投資だ。だが、売った人から見れば投資をやめることになり、相殺される。このため経済学者はこれを投資とは認めない。
これに対し大工に頼まず自分で新しい家を建てたら、これは立派な投資。なぜなら新しい家という財産を創り出したからだ。同様に、市場に出回っている株を購入することも投資とはみなされない。ただし、企業が自社株を売り、その売却代金を工場建設資金にするのは立派な投資とみなす。
消費刺激と同じ原理だが、投資を刺激するには、金利を下げることだ。単に借金返済の負担が軽くなるだけでなく、カネが借りやすくなり、もっと投資しようと思う人や企業が増えるからだ。
では誰が、金利を下げてくれるのか。その主役が各国の中央銀行(日本の場合は日銀)。公定歩合(中央銀行が市中銀行に貸し出すときの金利)など政策金利を動かしたりして、市場金利に影響を与える。政策金利が下がれば、それだけ市中
銀行はカネを借りやすくなり、したがって市中銀行が個人や企業に貸し出す金利も下がり、個人や企業もカネが借りやすくなる。すると、企業による新たな設備投資や個人の新築住宅購入が増加し経済が活性化するという仕組み。逆に政策金
利が上がると、カネが借りづらくなり、経済活動は抑制される。
 ただし、金利がきわめて低い状況では、利下げ効果は著しく低下することがある。一時期の日本がそうだったといわれているが、これを「流動性のわな」と呼ぶ。
こうした金融政策はタイミングが勝敗の分かれ目となる。日本は80年代後半、長期間にわたり低金利を続けたため、バブル経済を生み出してしまった。今の低金利も必要以上に長く続けると、バブル経済が再来する?

15日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その17)
消費=Consumption
引き続きGDP:Y=G+C+I+(X-Im)の話。
昨日はGの政府購入の話を書いたが、今日のテーマはCの消費。この場合の消費
とは、一般家庭(いわゆる消費者)がモノやサービスを購入することをいう。で
は消費はどうやったら増えるのだろうか。その一つの方法が減税だ。減税は各家
庭の可処分所得を増やす。家計に余裕が生まれれば、自動車や高級家電、ブラン
ド物のバッグなど買いたかったものを買おうとするかもしれない。
これに対して、減税は消費に結びつかないという学説もある。いま減税をして
も、その分を補うために将来増税することが予想されるため、消費は拡大しない
のではないかという考えだ(ロバート・バローの中立性命題)。確かに減税分がすべて消費に回るとはかぎらない。将
来に備えて貯蓄に回る可能性も大きい。
おそらく減税が消費拡大につながる場合というのは、将来に対する不安が払拭さ
れたときだろう。景気が上向きはじめ、将来リストラもされず自分の給料も上が
ると感じられるようになったとき、減税の効果は上がるだろう。
消費を増やすもう一つの方法が金利の引き下げだ。金利が低くなると、貯蓄して
おいても利回りを期待できなくなる。銀行にお金を預けておいてもうまみがない
(利子が少ない)とわかれば、モノを買おうとする人も増える。金利が下がれ
ば、借金もしやすく(ローンも組みやすく)なり、車など高級品を買おうとする人が増えるわけだ。ただ
し、貯蓄や年金で暮らしている高齢者にとっては厳しい生活となってしまう。ま
た、将来に対する不安が大きいとたとえ金利が下がっても消費は増えないだろ
う。日本で一時期(あるいは今も)、金利が低くても消費が伸びなかったのはこ
のためだ。

13日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その15)
GDPって何?
昨日の日記で国内総生産(GDP)について触れたので、ついでにマクロ経済を
学ぶうえで基本中の基本とされるGDPの恒等式について紹介しよう。ハーバー
ドでもマクロ経済の授業を取れば、必ず最初の頃の授業で教わることになる。だ
が、ご安心を。それは極めて簡単だ。覚えておいて損はない。
GDPとは、ある国の経済の規模を測る尺度の一つだ。その伸び率がわかれば景
気の状態も知ることができる。
GDPをYとすると、
Y=G+C+I+(X-Im)
という恒等式が成り立つ。これがマクロ経済学の真髄だ。つまりその国の経済規
模は、政府購入(G=government purchases)、消費(C=consumption)、投資
(Investment)、それに輸出(X=exports)から輸入(Im=imports)を引いた純輸
出の合計で決まるということだ。景気とは結局、このYが増えるかどうかの問題
にすぎない。
政府購入とは何かなど個々の項目やどうやったらYを増やすことができるかにつ
いては今後の日記で紹介していくが、まずこの単純化された等式さえ覚えればマ
クロ経済学など怖くない!
 ちなみに今日(13日)の朝日新聞朝刊11面の経済欄のGDPの記事1行目
に、「国民総生産(GDP)」と書かれていますが、「国内総生産(GDP)」
の誤りです。国民総生産はGNP。GNPとGDPの違いは、GDPがあくまで
も日本国内の経済活動を対象にしているのに対して、GNPが日本の国籍を持つ
人が海外でモノやサービスを「生産」した場合の金額も合わせて集計されるこ
と。経済記者も時々うっかり間違えるので、朝日新聞になり代わり、お詫び申し
上げます。実は私も、昨日午前の日記で最初「国民総生産(GDP)」と書いて
しまいました。夜にはちゃんと訂正しましたが・・・。

14日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その16)
政府購入=Government Purchases(引き続きGDPについて)
GDPは、政府購入(G=government purchases)、消費(C=consumption)、投
資(Investment)、それに輸出(X=exports)から輸入(Im=imports)を引いた
純輸出(net exports)の合計だと昨日書いたが、では政府購入とは何だろうか。
それは簡単に言えば中央政府や地方政府による消費だ。政府がモノを買ったり、
サービスに対する代価を払ったりすればそれは政府購入となる。政府が景気対策
として道路を建設するなど公共事業を増やすのもこのためだ。どこかの大国のよ
うに武器を買うなど軍事支出を増やして自国の景気を向上させようとする不届き
な国もある。しかも他国に一方的に戦争を仕掛けて破壊し、その国の復興事業ま
で自国(チェイニーらにとっては自社や自分)の利益にしてしまおうという、と
てもまともな人間とは思えない冷酷・非情さ。放火殺人犯が自分で放火した家を
消火してカネを取るようなものだ。私だったら、そんな国のモノやサービスは極
力買わないようにする(たぶんに無理な部分はあるが、現在密かに「単独不買運
動」を実施中)。
さて景気対策のための政府の支出といっても、政府が何でも出費すればいいとい
うものでもない。残念ながら政府から個人へと資金が移動するだけの社会保障や
福祉関連支出は入らない。こうした支出は資金移動であって「購入」ではないか
らだ。
また、政府支出を増やしすぎると、財政赤字という「負の遺産」も残す。その赤
字を埋め合わせるために国債を大量に発行すると、利回りをよくしないと国債を
買わなくなる。その結果、市場金利の上昇を招き、民間投資を抑制するという
「クラウディングアウト(追い出し効果)」を引き起こしてしまう(金利上昇で
投資資金の調達コストが上がるうえ、本来なら投資に向かうはずの資金が利回り
のいい貯蓄に回ってしまうから)。
景気対策としての政府支出に限界があるのはこのためだ。

12日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その14)
景気後退の定義
一九八〇年の大統領選で共和党のロナルド・レーガンと、民主党のジミー・
カーターが争ったとき、カーターの経済政策を攻撃したレーガンが景気について
の絶妙の定義を披露した。「景気後退とは、あなたの隣人が失業するとき。不況
とは、あなた自身が失業するとき。そして景気回復とは、ジミー・カーターが失
職するときだ」
こうした政治的ジョークはさておき、景気後退の定義は以外とあいまいな点が
多い。ハーバードなどアメリカの大学では国内総生産(GDP)の伸びが四半期
二期連続でマイナス成長の場合、景気後退とみなし、二年連続でGDPがマイナ
ス成長の場合不況とみなす、などと教えているが、別に国際的に認められた定義
があるわけではない。ただ分かっているのは、景気は、好況、景気後退、不況、
景気回復を繰り返すということだ。
 今日発表された日本の国内総生産(7~9月)は前期比で〇・一%増、年率換
算で〇・三%増の伸びにとどまった。数字上はまだ好況といえるだろうが、これ
まで続いてきた好景気の波にもやや減速の兆しが見られるようになってきたこと
は確かだ。

ハーバード経済日誌(その28) 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

ミッドキャリア

ハーバード・ケネディ行政大学院には社会人になってから入る学生が多い。私が取った修士課程も、ミッドキャリア(mid-career=つまり社会人)のための行政学修士号のコースだった。社会人として約10年以上のキャリアがある人を対象としたものだ。

大学を出たばかりの若い人が取得する修士号と違うところは、彼らが2年で卒業するのに対して1年で卒業できること。高額な授業料(年約2万ドル)のことを考えると、「半額で卒業できるのでバーゲンみたいなものだ」と冗談を言う同級生もいた。

その同級生だが、世界中から集まってきている。平均年齢は36~38歳。大臣経験者も少なくとも三人はいた。ウガンダの国務大臣、アルゼンチンの文部大臣、それにコロンビアの大臣(何大臣だかは忘れてしまった)だ。局長経験者や外交官、国連職員も多い。私のようなジャーナリストも、米国人が3人ほど、韓国から二人、フィジーから一人来ていた。中国から逃れてきた核物理学専攻の学生もいた。

先の日記にも書いたが、二〇〇〇年の大統領選で暗躍した(マイノリティーへの選挙妨害など不正のかぎりを尽くしたといわれている)悪名高いフロリダ州務長官キャサリン・ハリスも、残念なことに私のクラスメートだった。当時ハリスは共和党下院議員で、週末はよく自分の選挙区であるフロリダに帰っていたようだ。ハリスがあのような悪辣なことをするのがわかっていたら、あの時いじめておくのだったと後悔するばかりだ。

日本からは、役人が80%ぐらいを占め、大蔵省、通産省、防衛庁、運輸省(いずれも当時)の出身者がいた。後の20%ぐらいが、ソニーやNTTといった民間企業の社員や私のようなジャーナリストだ。日本の役人の授業料や生活費はすべて我々の税金(血税)から出費されている。「ああ、私の税金も彼らの授業料を払うために使われていたのか」とぼやきたくなる。

日本の役人にとっては、どちらかと言うとこうした留学は「ご褒美」のようなもの。彼らの言う「滅私奉公」を何年かした後、あるいは主計局など激務の職場を経験した後、その苦労に報いるシステムの一環として留学制度があるようだ(もちろん当局は否定するが)。その間、ちゃんと給料ももらえて、私から見れば至れり尽くせりのように見えた。私の場合は、授業料も生活費もすべて自分で稼いだ金(血と汗)をつぎ込んだ。

さて、ミッドキャリアは人生の途上という意味でもある。私たちの間で流行っていたのは、「ミッドキャリア・クライシス」という言葉。人生の途上で、自分がこれから何をやっていけばいいかわからなくなり、パニックを起こすといったような意味だ。人生の危機とも訳せる。会社や役所から派遣されている学生と違って、私は会社を辞めてボストンに来たので、危機感はもっていた。これから私がどうなるかは「神のみぞ知る」だった。しかし、人生の一時期をハーバードで過ごしたことは、いろいろな意味で非常に価値があった。

これとは別に流行った言葉に「ミッドナイト・クライシス」というのもあった。これは明日までにやらなければならない宿題やペーパーが一向に進まず、真夜中になってパニックを起こすといった意味だ。こちらのほうは、すべての学生が多かれ少なかれ味わう危機感・焦燥感だろう。

11日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その13)
ニクソンショック
 「ニクソンメモ」などの著述で知られるハーバード大学ケネディ行政大学院のマービン・カルブ教授はリチャード・ニクソンに会ったときのことを次のように話していた。「ニクソンはすべて自分を中心に考える。自分の妻を紹介するときも、これは私の妻と言わず、これはニクソンの妻であると話すのだ。ニクソンの家、ニクソンの書斎、ニクソンの娘、ニクソンのホワイトハウス、ニクソンのアメリカ」ー。

 アメリカ政治史上、ニクソン大統領ほど興味深い人物はいない。ウォーターゲート事件で一躍悪名を馳せたダーティーな政治家としての一面と、中国との国交回復、ヴェトナムからの地上軍撤退などの外交政策を進めた決断力ある政治家としての面、それに経済史的にも後に変動相場制への移行につながった金・ドル交換停止を決めた国際金融に大きくかかわった大統領としての面があり、研究対象として興味が尽きない。

史上初めて現職の大統領が辞任に追い込まれたウォーターゲート事件をここで紹介するのは省くが、経済史上に残る金・ドル交換停止については触れないわけにいかない。
 一九七一年七月、ニクソン大統領が金・ドル交換停止と輸入課徴金の導入を発表した背景には、アメリカの競争力低下、国内インフレ、それに続くドルの価値下落があった。ブレトンウッズ会議で西側世界の盟主になったアメリカだが、やがてヨーロッパ諸国や日本が復興し、経済発展を遂げると、相対的にアメリカの競争力が低下した。さらに追い打ちをかけたのが、ケネディ、ジョンソン両政権時代にケインズ経済型の大型財政支出を実施したためインフレを招いたことだ。特にジョンソン大統領は、既にケネディ政権時代の減税や財政支出増加策によってアメリカの完全雇用状態といえる失業率四%を達成していたにもかかわらず、さらに大規模な福祉政策を実行したため社会保障費が急増、インフレに拍車を掛けた。一九六五年以降はヴェトナム戦争拡大で戦費が膨らみ、その歳出増大を補うための増税も議会の反対で大幅に遅れ、財政状況が悪化した。

 競争力低下を背景にアメリカの貿易収支も黒字幅がどんどん縮小、一九七一年にはついに二十三億ドルの赤字に転落した。それ以前、アメリカは基軸通貨国としてドルの増発を実施したが、これがドルの信認喪失につながった。その矢先、アメリカのドル垂れ流しやヴェトナム政策を批判したフランスが手持ちのドルを金と交換したことから、アメリカからの金の流失が続き、一九六八年にはロンドン金市場が閉鎖されるなど金・ドル本位制が崩れ始めた。

ニクソン大統領はこうした窮状を脱するため、金・ドル交換停止と輸入課徴金の導入を決めた。これはブレトンウッズ体制の事実上の崩壊と保護主義貿易の台頭を意味していた。
 まず、ブレトンウッズ体制の支柱ともいえる固定相場制が、この金・ドル交換停止とその後のスミソニアン合意でのドル切り下げなど為替調整により崩壊、新たな固定相場制(スミソニアン体制)を誕生させた。それでもアメリカの貿易収支は一向に改善されず、とう
とう一九七三年二月、ドルが再切り下げされたのを契機にして、翌三月、主要通貨は一斉に変動相場制に移行した。
次に、ニクソン大統領の経済政策は、自国の経済利益保護を最優先したものだった。関税と貿易に関する一般協定(ガット)違反であった輸入課徴金賦課のほかに、一九七四年通商法は、ガットのセーフガード(緊急輸入制限)の発動条件を一方的に緩和してガット枠内で保護貿易措置をとれるようにしたものだった。特に対米貿易黒字が突出している日本に対しては、繊維、鉄鋼、テレビ、自動車、半導体、自動車部品などの分野で輸出自主規制や市場秩序維持協定などによる管理貿易的な政策がとられた。

 こうしてニクソン大統領は、良い悪いは別にして、投機的資本移動により乱高下する変動相場制への道を開いただけでなく、各国が貿易シェアをめぐり戦略的な管理貿易をするという貿易摩擦、あるいは貿易戦争の口火を切ったのだ。

10日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その12)
為替問題:固定相場制と変動相場制
 固定相場制であれば、為替リスクは存在しない。将来、一万ドルが必要になっ
たとしても、一ドル=一〇〇円であれば、手数料は別にして、いつでも日本円で
一〇〇万円あれば十分だ。ところが変動相場制であれば、どうなるだろう。将
来、一万ドルが必要になったとして、たとえば、一ドル=一〇〇円が将来、一ド
ル=一二〇円と円安になれば、一万ドルを得るために一二〇万円が必要になって
しまう。逆に将来、一ドル=八〇円と円高になれば、八〇万円で一万ドルが手に
はいるわけで、得した気持ちになるだろう。
 では、何故リスクのない固定相場制から変動相場制へと移行したのか。答えは
固定相場制が機能しなくなったためだ。
 一九四四年のブレトンウッズ会議で決まった固定相場制は、他国との通貨の交
換レートを維持するため、各国の中央銀行が通貨を売買する義務を負っていた。
アメリカは外国政府及び公的機関が保有するドルについて、純金一トロイ・オン
ス=三五ドルで交換することを約束した。日本は一九五二年八月に加盟、一ドル
=三六〇円に設定された。
 さて、仮に日本が貿易黒字を出したとしよう。この場合、日本の製品が他の国
で人気があり、たくさん売られているわけだから、円で代金を払う動きが強まり
円高になりやすくなる。しかし、決められた交換レートを維持しなければならな
いので、日本は円の値上がりを防ぐため円を市場に放出し、替わりに外国通貨を
買う羽目になる。問題は円を市場に放出すると、インフレになることだ。インフ
レを避けるために金利を上げれば、円高要因になってしまう。逆に、米国が貿易
赤字を出したとしよう。この場合、先ほどと同様の理由で今度はドル安になりや
すくなる。
国内政策と矛盾する傾向が強いため、結局、固定相場制を維持することができな
くなってしまうのだ。

9日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その11)
ブレトンウッズ
 ハーバード大学のあるマサチューセッツ州から車で北に二時間ほど走ると、山に囲まれた森林地帯に出る。湖水が点在する静かなこの地は、カナダとの国境も近いニューハンプシャー州。その州にあるアメリカ東部で最も高いワシントン山の麓に、あの有名な保養地ブレトンウッズがある。
ブレトンウッズは、一九四四年七月、戦後の国際経済体制の枠組みを決めるために開かれた会議の開催地だ。当時使われた、落ち着いたヨーロッパ風の赤い屋根のホテルは今でも、観光客が頻繁に訪れるリゾートの中心的なホテルとして使われている。ホテルの部屋もケインズ、ホワイトなど当時会議に出席した閣僚や代表者の名前が付いている。 
 さて、そのブレトンウッズの会議では、国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行、つまり世界銀行(IBRD)の誕生が決まった。しかし、それ以前に、この会議では、かつての盟主国イギリスと実質的に新しい盟主国となったアメリカの間で激しい主導権争いが演じられた。
アメリカの代表は国務長官ホワイト。一方、イギリスの代表は経済学の巨星、ケインズ。
 ホワイトの案は、金本位制を基本にしながら為替の安定を重視するもので、国際収支の不均衡は国内政策を通じて是正されるべきであるとした。そのため、国際収支赤字国に対する融資は小規模にとどめるよう主張した。貿易についても、多角的で無差別の自由貿易を求めた。
 これに対しケインズ案は、かつて金本位制への復帰で金流出やデフレを引き起こした苦い経験から金本位制には基本的に反対の立場をとった。それよりも戦争で疲弊したイギリス経済の建て直しと成長促進を最重視し、国際収支調整のための低利の大規模融資を求めた。そのため、「バンコール」という国際通貨準備を用いた引き出し権を各国が持つ、大規模な国際清算同盟案を提案した。自由貿易にも懐疑的で、輸入数量制限や高関税といった差別的貿易政策を容認した。
この対立の背景には、大戦後は当然、最大の債権国となるアメリカと、同様に債務国になるのが必至のイギリス、それぞれの思惑の違いがあった。なるべく多額の融資を諸外国から得ようとする債務国の代表イギリスとしては、アメリカなど債権国が国際準備をため込んだまま、債務国への投融資を渋り、同時に債務国に対し失業増大やデフレにつながる緊縮的な財政政策を押し付けるのではないかとの懸念を抱いていた。一方、債権国としてのアメリカは、過度の財政負担を避けるため、海外への投融資に条件をつけるなど何らかの歯止めを掛けたかった。しかし、そのアメリカ政府内部でも、財務省は雇用問題を中心とする各国の国内経済事情を重視するという点では、ケインズ案に賛成だった。
 結局、国際経済の安定と国内雇用の安定を両立させるという観点から妥協点が見出された。ただ、実質的にはアメリカ側がケインズ案を退けた格好になった。このブレトンウッズの地で、アメリカを中心とする国際政治、経済秩序への足場が築かれたのだ。

ハーバード経済日誌(その27) 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

成績1

大学院を卒業するだけの成績を取ることは、そんなに難しいことではない。ケネディ・スクールの場合、Aが4、Aマイナスが3・67、Bプラスが3・33、Bが3、Bマイナスが2・67、Cプラスが2・33、Cが2などと計算して、そのグレードポイントアベレージ(平均点)が3以上であればいい。一年コースの場合、秋と春の二学期制でそれぞれ4単位(教科)づつ年に計8単位取り、その平均点がB(3・0)でいいということだ(二年コースの場合、16単位で平均点B)。つまり、Bマイナスを一つ取ってしまった場合、Bプラスを一つさえ取れば、残りがすべてBでも卒業できる。

秋学期は九月一〇日前後に始まり、一〇月中旬には中間試験がある。最初は学生もどれだけ勉強すれば、どれだけのグレードがもらえるのかわからないため、中間試験までは死に物狂いで勉強する(もちろん、猛勉強しない学生もいる)。中間試験の結果、「これだけやれば、こういうグレードがつくのか」という感触がつかめるため、人によっては手を抜いたり、また人によっては顔が青ざめたりするわけだ。

グレードは相対評価だから、大学側はAをとる人がいれば、Bマイナスをとる人もいるようにばらけるようなグレードを好ましいと考えているようだ。みんながBプラスを取るような付け方はしない。その結果、90点取ってもAを取れない場合もあれば、85点でAの場合もある。平均点をかなり下回れば当然Cもつく。

成績の分布図を見ると、だいたいBプラスとBの中間ぐらいに平均点が来るようにしているようだ。ということは、普通に勉強している学生なら、BかBプラスを取れるということでもある。

さて、私も最初は、久しぶりの学生生活を乗り切れるかどうか不安だったので、中間試験までは全力投球した学生の一人だった。

結果は? 

私は1単位多い、5単位を取っていたが、顔の5分の3は笑顔で、5分の2は少し青ざめていたかもしれない。

ハーバード経済日誌(その26) 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

論文・ペーパーの書き方

英語の速読法に続いて、英語の論文・ペーパーの書き方についても触れておこう。

一番陥りやすい悪い論文・ペーパーの例は、イントロダクションでこれから書くことについて書き、本論に入ってイントロで触れたことについて書き、結論部分ではこれまで書いたことをまとめる、といったパターンだ。これでは何も言っていないに等しい。

一言でイントロといっても、ただ漠然とこれから書くことを紹介すればいいというものではない。まずイントロでは、なぜこのテーマを撰んだのかといったテーマの意義付けのほか、必ずその論文の主題を書くことになっている。論文の主題はイントロの最後に来る場合が多い(昨日の速読法2を参照してください)。

具体的に言うと、たとえばブッシュ大統領の問題点を論文のテーマに取り上げた場合、ブッシュの愚かな言動がいかに世界に影響を与えるかと言った意義付けを最初のパラグラフで書く。そしてイントロの締めとしては「ブッシュは史上最悪・最低の米大統領である」とか「ブッシュほど頭の悪い大統領は今後人類には誕生しないだろう」とかいった主題が必要になるのだ。

主題は主張のあるセンテンス(文章)でなければならない。「ブッシュの大統領としての器について書く」とか「ブッシュとキリスト教原理主義について書く」といったような主張のない文章ではいけない。だから何なのかまで踏み込まないと主題のセンテンスを書いたことにはならない。たとえば「ブッシュの狭量さが、人類を危険な世界へと導いている」とか「ブッシュの狂信的な言動の源は、キリスト教原理主義から来ている」といった趣旨の主張を明確にするわけだ(必ずしも断定的に書く必要はない)。

ボディの部分(つまりイントロ後の本論の部分)では、イントロで挙げた主題に向かって、具体的な論述を展開する。ブッシュがいかに無能で邪悪であるか、いかに地球にとって危険な人物であるかを具体的な例を挙げて説明するのは、そう難しいことではないだろう。ブッシュの無能、邪悪ぶりを分析・分類しながら話を進める手もある。ブッシュの無能、邪悪ぶりを生い立ちなど歴史的観点から論ずるのもいいだろう。

しかし、ここで気をつけなければいけないのは、一方的にブッシュを批判するだけでは論文は成り立たないということだ。必ず、カウンター・アーギュメント(つまり反論)を想定した部分が求められる。自分の主張とは異なる意見を紹介し、それについて論駁することが求められるのだ。たとえば、ブッシュはまれにみるバカだが、そのバカさ加減がなければ、リビアのカダフィ大佐は核開発計画を放棄しなかっただろう、とか、ブッシュの戦争主義のおかげで中東に民主化が進むのだといった自分とは異なる意見を紹介したうえで、それがいかに事実と違った評価であるかを、実例を挙げながら論駁していくのだ。

こうしてボディ部分が終われば、いよいよ結論部分である。これはあくまでも一例だが、イントロで示した主題がいかに正当な主張であったかを別の観点から論じる。たとえば「このように地球にとって危険な人物をこのまま放置しておくと、テロは根絶どころかますます増え、温暖化はますます進み、地球の住民は恐怖におののくことになるだろう」といった今後の展開について触れるのもいい。歴史を遡り、ブッシュのようなやり方がいかに悲劇を招くかなどに言及するのもいい。最後に、自分が選んだ主題の広がりを示して終わる。

英語で書く論文の大体の構成は以上のとおりだ。では私自身は、いい論文を書いていたのかと聞かれれば、時々できの悪い論文・ペーパーを書いていたことは認めざるをえない。ケネディ・スクールではAは一度しか取れなかった。それも報道記者出身のマービン・カルブ教授のメディア論だけ。つまり、新聞記者を14年も経験した学生ならAを取るのは当たり前といえば当たり前のテーマだった。他の授業に関して言えば、Aマイナスが多く、Bプラスのペーパーもあった。

明日はその成績について書きます。

8日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その10)
消費は美徳か?
現代のアメリカ(もちろんアメリカだけでなく日本も)では、政府は干渉せず、すべて市場に任せるべきだとするアダム・スミス型自由放任主義と、政府は積極的に経済に介入すべきだとするケインズ型経済管理主義が混在している。
スミス型が、資本の蓄積が生産を向上させる原動力になるとして消費よりも節約を重んじたのに対し、ケインズ型は、消費(需要)こそが経済を引っ張っていく原動力になると主張した。もちろん、いずれもある条件下では正しい主張なので、別に優劣をつけるつもりは全くない。消費が美徳であると同時に、節約もまた美徳であるのだ。節約が美徳であるときがあると同様、消費が美徳のときがあるといった方がいいかもしれないが。
アメリカは概して消費は美徳の世界だ。心の優しい私の友達は、太ったアメリカ人を見るたび(見つけるのはそう難しいことではない)に、アメリカの過消費社会の犠牲者であると気の毒がる。とにかくアメリカ人は消費する。雑誌などのメディアを使った大量な広告や刺激的なテレビのコマーシャル、それにどこからともなく大量に送られてくるダイレクトメールの山が消費者を誘惑する。食料品店やショッピングモールへ行けば、バーゲンセールのオンパレードだ。つい買い物袋が一杯になるほど買い漁ってしまう。買い物に疲れると今度は食欲が消費を刺激する。顎の骨がはずれそうなほど大きなハンバーガーをいくつもほおばり、百科事典のように分厚いステーキをペロリと平らげる。そして気が付けば、まるでベルトコンベアーで大量生産されたように、いつの間にか巨大なお腹を膨らませたアメリカ人が次から次へと誕生する。
私の友人はさらに、日本をはじめアメリカに商品を輸出している国はそうした太ったアメリカ人に感謝すべきだと指摘する。なぜならこのアメリカの大量消費社会がなければ政界貿易は成り立たなかったからだ。
 現在の大量消費の歴史は第二次世界大戦直後にまで遡る。大戦でヨーロッパ経済は疲弊し、唯一アメリカだけが国力に勢いがあった。アメリカは他国の経済を助けるため、必要な投資をするとともに、内需主導で他国から製品を買ってやらなければならなかった。アメリカは一九四四年のブレトンウッズ会議で主導権を握ると、マーシャルプランでヨーロッパに対する救済に乗り出す。それ以降、ほぼ間断なく経済援助や軍事援助を惜しまず世界経済を引っ張ってきた。そしてその牽引力となったのが、アメリカの大量消費社会だったのだ。そして、その社会は今でも健在で、アメリカ国内経済はもとより他国の経済をも押し上げている。
 では、日本は何型の社会だろうか?戦後の復興期から高度成長期にかけては、節約を美徳とするスミス型社会が幅を利かせていた。資本社会の発展段階では、生産が需要に追いつかないため、常に生産力の増強を求められる。その生産力増強を図るには、節約による貯蓄、つまり資本の蓄積が不可欠だった。資本の蓄積は投資を生み、その結果、生産力が高まるからだ。しかし、高度成長が続き、資本主義社会が高度に発展した段階になると、生産が需要を追い越し、内需を拡大する必要が出てくると、消費は美徳だとする考えが台頭した。やがてその風潮はバブルを生み、アメリカ並みか、あるいはそれ以上の無秩序な消費時代に突入した。節約は美徳から消費は美徳へと一八〇度転換したわけだ。そしてひずみが生じ、バブルは崩壊した。
 バブル崩壊で消費は美徳という風潮は消え去った。一方で、九〇年代の日本経済は停滞し、ケインズ型の大型財政支出をしなければならない状態が続いた。その最中、橋本首相は財政再建を優先し、九七年に消費税率を引き上げた。つまりスミス型の政策をとった。節約は美徳の政策だ。根拠は九六年の国内総生産がプラス成長だったからだが、これが大誤算だった。九六年がプラス成長でも、これはケインズ型経済対策で公共投資を中心に財政支出を大幅に増やした一時的な成長だったからだ。日本経済を真に支える消費マインドが回復しているわけではなかった。結果、消費税の増税はさらに消費を冷え込ませ、日本経済を本格的な不況に転落させてしまった。もちろん、財政再建は必要不可欠ではあるが、時期が悪かった。このため、不況から脱出するために再び、大規模な財政支出を迫られ、余計に財政を悪化させてしまった。
経済を回復させるため、ケインズは財政均衡を崩してでも財政支出をすべきだとした。しかし、将来の財政状態を考えた場合、財政均衡を保つ必要がある。今日の日本経済にある矛盾は、景気テコ入れのため消費は美徳につながる内需拡大を求める一方で、人々が既に消費は美徳だとは考えなくなった点にある。太ったアメリカ人を見るたびに憐れむべきなのか、感謝していいのか、複雑な気持ちになるのは、このためだ。

7日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その9)
ケインズ経済学
経済史の中でスミス、リカード、マルサスなどの学者を古典派としているが、ジョン・メイナード・ケインズは別の学説を主唱、ケインズ経済学を確立した。見えざる手の力によって小さな政府を目指すのではなく、むしろ国家介入を支持、政府による積極的な景気刺激策を推奨した。
ハーバード大学で経済学を教えていたトッド・G・バックホルツ教授はケインズ経済学を自動車の運転になぞらえた。すなわち、国の経済が弱まれば財政支出の増大や減税というアクセルを踏む。逆に過熱した場合は支出の削減、増税というブレーキを踏む。このように政府が主体となって経済運営をやっていくべきだとケインズは主張した。
 ケインズの経済理論は一九二九年十月のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発した世界大恐慌を脱出する過程で脚光を浴びた。古典派経済学では需要と供給が一致しないと、直ちに市場価格が変化して需要量と供給量が調整されるとした。これに対してケインズは、需要量が供給量を決定(有効需要の原理)するとした。供給が需要を上回っても労働者の賃金が下方に硬直的であるため賃金や価格が下がらない。そのために失業が生じる。その失業を減らすためには、生産物などに対する需要を高め、供給量(雇用)を増やす必要がある。ケインズは一九三三年、当時の米大統領フランクリン・D・ルーズベルトに手紙を書き、自由放任主義の経済を脱却し、巨額の公共支出計画を実施することが必要だと訴えた。それというのも、ルーズベルトが三三年に大統領になる以前の大統領は、「何もしない政府こそ最良の政府」(クーリッジ大統領=在任期間一九二三ー二九年)「神の恩寵により、アメリカ経済が再び回復しますように」(フーバー大統領=在任期間一九二九ー三三年)などと神の見えざる手の完全な信奉者だったからだ。アメリカの国民総生産(GNP)は二九年から三三年までの五年間で千三十一億ドルから約半分の五百五十六億ドルに下落、失業者は三三年には、三人に一人の割合に相当する約千四百万人に達した。
ケインズの"提案"は功を奏した。ルーズベルト大統領はニュー・ディール政策を打ち上げた。米政府は失業対策としてテネシー渓谷開発法(TVA)、農業調整法(AAA)、全国産業復興法(NIRA)などを立法化、連邦政府の権限を拡大し積極的な財政支出策を実行した。それまでの市場の自立性を重視する自由放任主義から転換し、国家の積極的な経済管理を通じて市場を補完、有効需要を創出するという、この政策は成功し、ケインズ理論は広まっていった。
ケインズの理論はルーズベルトの後も脈々とアメリカ政治の中に生き続けた。一九六〇年代のジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン両大統領の時代には、サミュエルソンらケインズ経済学派の学者がブレーンとして経済政策に影響を与え、積極的な財政出動によって失業率が低下、経済成長率も高い伸びを示した。
かつてケネディ大統領は何故減税するのかと記者に聞かれて、「君は一〇一を取ったことはないのか?」と逆に聞き返したことがあったという。この一〇一とは、ハーバード大学で習う経済の基礎コースのことで、現在でもケネディ・スクール経済授業のコース番号になっている。
 ケネディ暗殺後、六〇年代後半に入ると、ベトナム戦争による戦費拡大や社会福祉費の増大で財政支出が拡大し、ケインズ経済学は七〇年代には、インフレを招くとして勢いを失った。しかし、その理論は特に景気停滞期に力を発揮することから、今でもケインズ経済学はキラ星のごとく輝いている。

6日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その8)
トマス・マルサスの悲観論とインターネット
ハーバード大学で授業を取る祭、聴講する学生がどれだけいるかということは、授業を取る決め手になりうる。もちろん多いか少ないかで授業を取るか取らないかの判断は人によって違う。他の学生の間に隠れて、宿題をあてられたり、発言を求められたりするのを避けようとする人は受講学生が多いクラスを取ろうとするだろう。逆に教授と討論をするのが好きで、宿題が大変だが密度の濃い授業を好む学生は少人数のクラスを取ろうとするだろう。
 おそらく前者は、フランス革命の時代に「人口の増加は社会全体の幸福を増大させる」と主張したイギリスの思想家ウィリアム・ゴドウィンやフランスの政治学者マルキ・ド・コンドルセの思想の流れを汲み、後者は「人口の増加は世界的な貧困を招く」としたトマス・マルサスの思想の流れを汲むのかもしれない。
 アダム・スミスの経済理論の流れを引き継いだ経済学者の中で、一番最初に人口問題を取り上げたのがトマス・マルサスだ。
 学生の数が多いとどうなるか?教授の注意が学生全般に行き渡らず、授業の質が低下する。また、あまりに多くの学生がいることから学生同士のおしゃべりに夢中で授業に身が入らないこともあるだろう。つまり物理的に限られた教室には、それに見合った学生数があるわけだ。それを超えて過剰になると、効率面で学生数と授業のアンバランスが生じると考えてもおかしくない。
 マルサスはそれと同様なことを人口と食料について考えた。しかも人口問題はもっと深刻だった。何故なら人口は、大学各学部の意図で制限できる学生数と違い、二倍、四倍、八倍、十六倍などとネズミ算式に増えていくのに対し、食料はせいぜい一,二,三,四,などと算術的に増えるだけだからだ。
 マルサスはアメリカの人口に関するデータを使い、人口は二十五年ごとに二倍になると信じた。それによると、仮に現在一億人の人口が今から二十五年経つと二億人になり、二百年後には二百五十六億人に増える計算だ。これに対し食料は、そう簡単には増えない。仮に現在コメ百万トンの収穫があるとしよう。コメの収穫は二十五年ごとに百万トンしか増えないと考える。すると二百年後のコメの収穫は九百万トンとなる。人口一人当たりで計算すると、最初一人十キロの割り当てがあったのが、二百年後には一人〇・三五キロと約三〇分の一に激減してしまう。マルサスが悲観的になるのも無理はなかった。
 しかし、心配ご無用。マルサスの推論には弱点がいくつもあった。一つは移民の多いアメリカの統計を使ったことだ。マルサスはうかつにも、移民の増加もアメリカで生まれた赤ん坊と同様に扱ってしまった。だから二十五年間で倍になったというのも、すべて出産により増えたのではなく、ヨーロッパからの移民によるところが多かった。二つ目にマルサスは産業革命や農業革命といった技術革新により生産が飛躍的に伸びることも見逃した。さらに、豊かな社会になるほど子供の数が少なくなることにも気付かなかった。統計上、工業化が始まり社会が発展段階にある間は、衛生状態の改善などで段々死亡率が低下し、見かけ上出生率が上がる。やがて都市化が進み、教育も充実してくると、自分の生活をエンジョイしようという気持ちが高まると同時に避妊が行き渡るようになり出生率が低下する。マルサスはこうした人口の変動を見通すことができなかった。
さて現代は技術革新が進んだインターネットの時代だ。もはや一教室に何人学生が適当であるといった議論は必要ないかもしれない。教授が学生一人一人と家庭のコンピュータを使って授業を進めるインターネット型クラスも既に始まっているという。インターネット授業で学生の"人口問題"も克服できるようになったのだ。

5日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その7)
デービッド・リカードの法則
ハーバードといわず、どの大学でも貿易論を勉強すると必ず出てくるのは、デービッド・リカードの比較優位の法則だ。
リカードは英国ロンドンに生まれ。ユダヤ人移民の証券業者の息子で、早くから独学で株や債券で儲けて一財産を築き上げた。二十七歳でアダム・スミスの「諸国民の富」を読んでからは、ロンドンの学界と政界に飛び込み、英国経済についての鋭い洞察とその理論を論文などとして発表するようになった。その理論の一つが比較優位の法則だ。
 アダム・スミスが、ある種類の製品が自国より優れている場合はその国と貿易すべきで、あらゆる製品で自国より劣っている国とは貿易する必要がない、とした絶対優位の法則を打ち立てたのに対し、リカードはあらゆる製品で自国より劣っていても、その国と貿易をするべきだということを証明した。「生産費などの点で、ある国が他の国に比較して優位であることで、これにより国際分業が成立する」ということなのだが、もっと簡単に言うと、「何でもできる人(国)が何でもやってしまうのは有効ではない」ということだ。
 分かりやすい例を挙げよう。ある隣接する二つの国、阿国と伊国があり、阿国の人は魚を一匹釣るのに一時間かかり、ラジオを一台つくるのにも二時間あれば事足りる。ところが、伊国の人は魚を一匹釣るのに一時間半かかる上、ラジオ一台つくるのも四時間半かかってしまう。魚もラジオも多いほど両国の生活は豊かになる。アダム・スミスの理論から言えば、阿国の方が伊国よりも絶対優位の立場にいるため、阿国の人は両方をやり、伊国と仕事を分け合う必要がないことになる。ところがリカードはそうは考えなかった。両国が仕事を分担した方がずっと経済効率がよく、生活は豊かになると主張したのだ。
仮に両国が、魚釣りとラジオの製造に時間を均等に使ったとする。阿国の人は一日の労働時間十時間のうち五時間を魚釣りに、五時間をラジオの製造に使うと、一日で五匹の魚を釣り、二・五台のラジオをつくることができる。十日間ではそれを十倍して魚五十匹が釣れ、ラジオ二十五台ができる計算だ。伊国は一日の労働時間十八時間(伊国の人は仕事が好きで労働時間が長いことで知られている)のうち九時間を釣りに、九時間をラジオ製
造に使うとすると、一日で六匹、十日で六十匹の魚を釣り、ラジオも一日で二台、十日で二十台製造することができる。合計すると、両国は十日間で百十匹の魚を釣り、四十五台のラジオをつくることができることになる。
 それではリカードがいうように阿国、伊国それぞれがどちらかに特化した場合、どうなるだろうか。阿国が一日十時間をすべてラジオをつくることに専念し、伊国が一日十八時間をすべて魚釣りに専念したとしよう。十日間では阿国は五十台のラジオを製造することができ、伊国は百二十匹の魚を釣ることができる。つまり両国の人は全く同じ時間作業しても、特化した場合の方が魚で十匹、ラジオで五台も、多く釣ったり製造したりすることができるのだ。当然、両国が交易すれば人々の生活は豊かになる。
では、阿国が魚釣りに、伊国がラジオ製造に特化した場合、どうなるのか。結果は、魚が百匹、ラジオが四十台と両国全体の漁獲・生産高が低下する。これは、阿国は漁業、ラジオ製造とも伊国に比べて優れているが、伊国が一匹の魚を釣るのに一台のラジオをつくる三分の一の時間でやってしまうのに対し、阿国は二分の一も時間を費やしてしまうからだ。逆に阿国は一台のラジオをつくるのに一匹の魚を捕る時間の二倍でやってしまうのに対して、伊国は三倍もかけてしまう。別の言い方をすると、阿国はラジオ一台をつくるのに魚二匹をあきらめればいいのに対して、伊国はラジオ一台つくるのに魚三匹も犠牲にしなければならない。ならば伊国は魚を捕った方が阿国に比べて犠牲が少ないということになる。つまり、阿国は伊国に対してラジオをつくることに関して、伊国は魚を釣ることに関して、それぞれ比較優位の立場にいる。その国が比較優位にある産品に特化すれば、生産高が向上するというのが比較優位の法則なのだ。
 リカードはこの法則を用いて十九世紀初頭のイギリスとポルトガルの貿易の必要性を主
唱した。ポルトガルは毛織物(ラシャ)とワイン両方においてイギリスよりも生産性が高いが、ポルトガルは毛織物よりもワインをイギリスより効率的に生産できる。このことからポルトガルはワインに、イギリスは毛織物に特化した方が経済効率がよくなることを説明した。リカードの国際分業論は、アダム・スミスの自由放任主義の主張を受け継ぎながらスミスの理論を修正・補強することによって自由貿易主義を推進、十九世紀後半のイギ
リスにおける貿易理論の主流となった。
 ハーバード・ケネディスクールの学生生活でも、この法則が非常に活きてくる。授業ではグループで作業することが多いからだ。クラスでの発表でも、何かの宿題でも、四,五人のグループで担当を分担して行う。一人がコンピュータをつかったグラフづくりが得意ならその人がそれを担当、もう一人が文章を書くのが得意ならその人が文章を仕上げる。データ分析の得意の人はデータ集積から解析まで責任を持つといったようにだ。すると、とても一人ではできない分量の課題や宿題もあれよあれよといううちに出来上がってしまう。
 もっとも問題点も大いにある。まず最初にグループとしてのテーマ・課題や方針を決めるのに"膨大な時間"がかかる上、いざ決まってからも、皆が皆、勤勉な学生ばかりではないからだ。自分の分担をやらない不届き者も必ず現れる。その場合、アダム・スミスの絶対優位の法則が懐かしくなってくる。

3日の日記 「経済がわかる!(36)」

ハーバード経済日誌(その6)
「授業」
アダム・スミスの見えざる手(その一)
 アメリカ人と日本人を観察すると、一般的にアメリカ人は日本人ほど信号を守らない。アメリカ人は信号が赤でも、安全だと確認すればすたすたと歩いて歩道を渡ってしまう。
車の運転でも、仮に信号が赤でも安全を確認して右折(日本の場合で言えば左折)することが許される場合が多い。これに対し日本人は、すべて杓子定規に信号に従う人が多いようだ。しかも驚いたことに、信号が青になると、安全も確認せずに横断歩道を渡ろうとする人がいる。
ボストンでは冬、大雪になると雪の重みで木が倒れるなどして送電線が断たれ停電になることがある。停電で交差点の信号機が故障することもしばしばだ。日本でもしそんなことが起これば、おそらく利己心と利己心がぶつかり合って衝突や渋滞が起きるだろう。ところがボストンの人は交互に譲り合いながら信号機が点灯していない交差点でもスイスイ
と運転してしまう。つまり、さすが自由主義経済の国アメリカ、政府の規制(信号機)がなくとも、"見えざる手"の力が働いてうまくいってしまうのだ。
 アメリカに来て戸惑うことの一つに、料金が一定でなく、時間が経つに連れどんどん変化することが挙げられる。
 一番端的な例が航空運賃。需要が多いほど値上がりする。逆に需要が少ないと安売りだ。日本でも早めに予約すれば料金が安くなる制度があるが、アメリカの場合、それが徹底してる。たとえば、ワシントンDCとボストンを結ぶ航空運賃は早めに予約した場合、二百ドル程度で済むが、出発日の直前に買うと七百ドル近くすることがある。実に三・五倍の料金格差だ。しかも面白いことに、平日のフライトほど高くなる。日本では週末の方が需要が多いので料金が高くなると思いこみがちだが、アメリカでは週末を利用した便の方が安くなるのだ。これは平日の利用客がビジネス客が多いことに起因している。というのも、ビジネス客であれば、会社が航空運賃を払うため、料金を高くしても比較的利用客の抵抗が少ないからだ。また、旅行客と違って、商売上どうしても、いついつまでにどこどこへ
行かなければならないため、運賃が高くついてもチケットを買わざるを得ない場合が多いのだ。高い料金を払ってでも利用しようという需要があるのだから、航空会社は運賃を高
く設定する。
 全米プロバスケット(NBA)の試合チケットも同様だ。シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンが出る試合は三十ドルのチケットも二百ドルに上昇するのが常だった。しかも高値で売ってもそれは違法ではない。そういうチケット市場がちゃんとできている。
 日本では法律違反となるダフ屋が米国では半ば公認となっているのも、実はこうした需要と供給のバランスを米国が重視しているからにほかならない。つまりそれだけの金を払う人がいるのだから、その値段で売ればいいという自由市場の発想だ。そしてこの自由市場の発想こそ、かの有名な経済学者アダム・スミスが主張した"神の見えざる手"から来ている。
 この見えざる手とは何なのか。自由競争市場において、生産者(供給者)は見えざる手の力によって消費者(需要者)の望む量を消費者が評価する価格で売ることにより需要と供給を調和させる。その根底にある思想は、政府は産業への保護や干渉を極力少なくし小さい政府を目指す一方で個々人が利己的利益の増大を追求すれば、社会全体が繁栄すると
いうものだ。
そんなに自由放任にしたら大混乱になるのではないかと心配になるが、天文学を学んだこともあるアダム・スミスは、惑星の一つ一つが勝手な軌道を描いても太陽系全体では調和がとれているのと同様に、市場の調和も保つことが可能であると主張した。
 ハーバード・ケネディスクールで学ぶ経済学もやはり、この見えざる手による需要と供給のバランスを理解することから始まる。競争市場では、価格は与えられたものとして、消費者は予算制約のもとで効用が最大になるような行動をとり、生産者は技術的な制約のもとで利潤を最大にするよう行動する。こうした利己的な行動により実現した均衡は、他の誰の効用をも下げずに誰かの効用を高めるような余地のない状態(パレート効率)を作り出すのだ。
 おそらく日本とアメリカ経済の違いはここにある。政府の規制をなるべく排し市場の見えざる手に委ねようとするアダム・スミスの自由市場精神がアメリカに生きているのに対して、日本では政府が市場に介入したがるケースが多いようだ。もちろん自由市場の精神とは自己責任の世界でもある。たとえ日本では信号のせいにするケースであっても、信号
がなくても事故を起こさないようにするのは運転者の責任だ。もちろん、信号はあった方
がいいのは確かだが、信号機を盲信すると痛い目にあうということも覚えておくといいだ
ろう。
 もっとも自由市場精神ゆえに痛い目に遭うこともある。痛い目に遭うと言うより足下を見られると言った方が適切かもしれない。せっぱ詰まっていたのでボストンーワシントンDC間の航空チケット代として七百ドル払ったのも、また、マイケル・ジョーダンがワシントンDCでプレーをするおそらく最後の試合だからという理由で三十ドルのチケットを二百ドルで買ったのも、すべて私の実際の体験に基づいている。

30日の日記 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

ハーバード経済日誌 その2
エール大学 vs ハーバード大学

 審判が試合終了の合図をすると、大歓声とともに観客がスタンドからグランド
になだれ込む。もみくちゃになる深紅色のジャージーを着た選手たち。グランド
のあちこちで「勝ったぞ」の声ー。まるでサッカーのワールドカップで優勝した
ような騒ぎだが、これは毎年11月恒例のハーバード大学とエール大学との間で
行われるアメリカンフットボールの試合終了場面だ。日本でいえば野球の早慶戦
みたいなものだろうか、学生だけでなく普段はスポーツなどとは縁遠いような教
授もスタジアムに駆けつけて熱狂する。ハーバードからみれば「あの宿敵エール
をやっつけろ」というわけだ。それほど両校は強いライバル意識を持っている。
 このライバル意識はもちろんスポーツに限ったことではない。ハーバードで生
活しているとむしろ日常会話の端々にも現れるから面白い。NBCやCBSの元
記者でハーバード大学教授のマービン・カルブが授業中、ある人物の話になった
ときに「あいつはあの下の方(Down there)の出身だからな」と床の
方をさして軽蔑したように言い放ったことがあった。我々がきょとんとしている
と、間髪置かず「エール出身だよ。あの下の方のな」と再び床を指さした。確か
にマサチューセッツ州にあるハーバードからみればコネチカット州のエール大学
は下(南)の方ということになるのだが、わざわざ「下」を強調するところが、
ライバル意識をよく表している。
 エールではハーバードのことを何と言っているのか。まさか上の方(Up t
here)と言わないことだけは確かだが、その一端を知る機会が間もなく訪れ
た。ハーバードを卒業後、ワシントンDCのあるパーティーで自己紹介をしたと
ころ、一人の米国人が私に歩み寄って来るなり「お前はハーバードを出たのか。
あんなひどい大学でよく勉強できたな。信じられない」とハーバード批判を始め
た。私が呆気にとられていると、その米国人は「実は俺はエールの出身なんだ」
と打ち明けた。
 もちろん誤解されることの無いように念を押すが、両校がお互い悪口を言うの
は、ライバルと認めていることの裏返しのようなもので悪意や本当の軽蔑がある
わけではない。お互い高いレベルで競い合い、切磋琢磨していこうとの意識があ
る。ところで、冒頭の私が見た試合、ハーバードが追撃するエールを振り切り2
6対21で辛勝した。この結果、ハーバードはアイビーリーグ8校中7位の2勝
5敗、エールは最下位の1勝6敗となった。
 何のことはない。ことスポーツに関しては、かなり低レベルの競り合いといえ
そうだ。

2日の日記 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

ハーバード経済日誌(その5)
ハーバード大教授の給料は?
ハーバード大学の教授となれば高給取りに違いないと学生なら誰もが思うに違いない。それというのも、授業料が飛び抜けて高いからだ。年間の授業料は私が在席した一九九六年度の時点で既に二万ドルを超えていた。ケネディ・スクールだけでも四、五百人の学生がいるのだから、単純計算で八百万ドルから千万ドル(約十億円)の授業料収入がある。教授の数は約四〇~五0人。それから類推して「年収二十万ドルはもらっているはずだ」「いやもっともらっている」など私の友達の間でも話題になったが、誰も確証を持っているわけではない。
 誰が猫に鈴を付けるか。あまり好まれる質問ではないことは承知しなからも、あるパーティーの席上、某教授に給料のことを聞いてみた。その教授は「そうだな。クリントンより少なくて、ヒラリーよりも多いかな」とのたまった。つまり、当時大統領として数十万ドルの年収があるクリントンほどもらっていないが、大統領夫人として無給のヒラリーよりはもらっているよ、というアメリカ人がよく使うジョークがその教授の返答だった。
しかし、ハーバードで教えている教授、準教授、助教授でも実は、テニュアーを持っているかどうかで給料にも大きな差が出てしまう。一説によると、テニュアーを持たない助
教授クラスで、持っているクラス数で違うが、五万ドルー八万ドルの年収だという。ところがテニュアーを取った教授になると、その額が二十万ー三十万ドルに跳ね上がる。だから各助教授、準教授ともにテニュアーを取ろうと必至になる。
 ではどうやったらテニュアーを取れるのか?まず、学生に人気があることが挙げられる。その上で、授業を持ちながらも、自分の研究を進め、優秀な論文を書き続けることだ。
 学生の間で人気があるかどうかの判断材料だが、最近では日本の大学でも導入しているところが出てきたが、ハーバードには学生が教授を評価するシステムが定着している。学生は学期末になると、自分たちの取ったコースを振り返って評価を下す。コースのテーマははっきりしていたかとか、教授の教え方は適切だったか、分かりやすかったかとか、宿題の量が多すぎたかどうかなどを五段階で細かく評価する。その結果は公表され、一冊の「学生のコース評価」という冊子になる。いわば教授に対する通信簿だ。
 たとえば、私が取ったジム・ハインズ 教授の「応用経済分析一〇一」というコースは非常に人気が高く、コースの総合評価は五が最高の五段階評価で四・六七。そのコースを取った学生七十二人のうち実に四十九人が最高の五の評価を付けている。そのほかレクチャーの有効性やクラス討論の質といった項目もそれぞれ四・六九、四・三三とまずまずの評価。ハインズ 教授自身に対する評価も全体的に四・八七と高く、事前準備の程度四・八六、学生の思考を刺激する程度四・六九などと優れた評価になっている。もちろん一回きりの評価で教授が首になったり、コースを降ろされることはまずない。"通信簿"をもらった教授は、その評価をもとに自分で授業を改善することが要求されるのだ。しかし、いつまで経っても改善されない場合は大学の方からその教授に三下り半を突きつけることもあるという。
学生の間で人気があるだけでは、実はテニュアーを取るのに十分ではない。自分の研究発表をさぼっている教授はまずテニュアーをとるのは無理だろう。学生に人気があってもハーバードを去らなければならない教授はたくさんいる。それでもハーバードで教えた経験があれば、別の大学でテニュアーを取ることも容易に予想される。それにハーバード大学で教えている教授レベルになると、おそらく給料を気にする必要はない。一冊本を書けば、印税が続々と入ってくる。特に自分の授業で自分の本を使えば効果てきめんだ。意地悪い見方をすれば、きっと学生の数がお金に見えてくることもあるに違いないなどと思ってしまう。

1日の日記 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

ハーバード経済日誌 その4
ハーバードの教授法(その2)
 ハーバードの授業でよく驚かされるのは、米国人学生の討論のうまさだ。もち
ろん全員が全員うまいわけではないが、とにかくだれもかれもよくしゃべる。
「自己主張をしない人は見向きもされない」というアメリカ文化を反映している
のか、中には、人の議論などお構いなしに自分の持論だけを延々としゃべり続け
る学生もいる。それぞれがかってに目立とうと自己主張するから大変だ。ハー
バードで教え方に定評のある教授がよくコンサートの名指揮者にたとえられるの
も、自己主張の強い「トランペット奏者」や「バイオリニスト」をうまくコント
ロールし、討論にある種の調和をもたらす能力があるからだ。ケネディー行政大
学院(ケネディ・スクール)でいえば、国際開発のコースを教えているメリ
リィー・グリンデルなどが名指揮者といえよう。
 こうした「討論に基づく学習」は、ハーバード教育の特徴のひとつに挙げられ
る。それはひとえに同教育が討論から多種多様な考えを学ぶことがいかに大切か
を主眼においているからだ。アメリカは人種のるつぼである。その多様性を認め
ることなしに、国は成り立たない。
ハーバードはまた、世界中から学生が集まってくる。その文化や慣習から、も
のの考え方・見方、論理の展開、暮らし方まで千差万別であるところが面白い。

31日の日記 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

ハーバード経済日誌 (その3)
「新学期」
ハーバードの教授法(その1)

 ハーバード、エールなど米国東部の伝統ある名門私立大学八校を、ツタのから
んだ古い伝統ある校舎の意から「アイビーカッレジ」、そのスポーツ連盟を「ア
イビーリーグ」という。ただ一口にアイビーカレッジといっても、その校風や教
授法は全く異なるというのがもっぱらの評判だ。私はハーバードの校風しか分か
らないが、次のようなたとえ話がある。プリンストンでは、教授たちは君たち学
生にどこにスイミングプールがあり、どうやって泳ぐかを教えてくれる。エール
では、君たちをプールに突き落とし、君たちが泳ぐのを監視するだろう。では
ハーバードではどうか。教授たちは君たちが泳ごうが沈もうが全く気にしないの
さ。
 ちょっと極端な話のような気がするが、それでも少なくともハーバードの校風
はよくたとえられている。当然のことだが、勉強するしないはすべて自分の責任
である。クラスの討論に参加するしないも個々人の自発性に委ねられる。ただ
コースによっては、討論に参加するクラスパーティシペーションがそのまま成績
になるような授業もあるから、うかうかしていられない。しかも討論に参加する
には大量なリーディングの宿題をこなさなくてはならない。
 もっとも最近は自由放任の校風も少し変わってきたのかもしれない。又聞きな
ので確証のある話ではないが、一昔前、ハーバードビジネススクールであまりに
も厳しい勉強と学生間の競争で自殺者が出たため、果たして学生を死に追い詰め
るようなシステムを教育といえるのかという議論が起き、もっと学生の面倒を見
るようにした、という話だ。つまり、沈みそうな人は助けよう、ということだろ
う。
 私の在籍したケネディー行政大学院も心のケアーを含めた学生のためのサービ
スは充実していた。たとえば、単位を落として落第しそうな学生がいると分かる
と、カウンセラーが担当の教授にその学生が何をすれば単位を落とさずにすむ
か、ある程度、掛け合ってくれるそうだ。年に何人かはそのお世話になるらし
い。幸いにも私はカウンセラーのお世話にならずにすんだが、リーディングの宿
題やペーパーの作成に埋もれ、おぼれかかったことが一度ならずあったことは事
実だ。
 

ハーバード経済日誌(その25) 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

速読法2

速読の決め手は、いかに短時間で筆者の趣旨を間違いなく理解するかだ。だから最初から最後まで順番に漫然と飛ばし読みしても拉致があかない。要所々々を締めるような読み方が求められる。

では要所とはどこか。まず当然のことだが、タイトルと目次。これは構成を知るための要所だ。次に前文(イントロダクション)を集中して読む。そして真ん中部分をいっさい読まずに、あとがきや結論部分を集中して読む。イントロと結論部分という要所を読めば、少なくとも筆者が何を言いたいのかが、誤ることなく理解できるはずだ。

次に、各章やセクションの初めと終わりのパラグラフ(一段落だけ)をしっかり読む。これにより、各章やセクションの流れがわかる。さらに理解を深めるためには、飛ばして読まなかったパラグラフの初めと終わりのセンテンス(一文章だけ)を読む。つまり、最初を読んで終わりを読み、最後に真ん中を読むというパターンを基本的に繰り返すのだ。そうするだけで、驚くほど作者の言いたことが理解できるだろう。これで終わり。この読み方で論文や本を読めば、おそらく二分の一ぐらいの時間で、完読したのとほぼ同じぐらい内容を理解することができる。

なぜ、そのようないい加減な読み方で済んでしまうのか。それは英語の書き手(著者)がそのような構成で書く習慣を身に着けているからだ。基本的に書き手(あくまでも英語の場合)は、各パラグラフの最初と最後のセンテンスにかなり重要な文章をもってくる。同様に、各章の最初と最後のパラグラフにも重要な段落をもってくる。当然、イントロと結論部分にもその論文の核となる要素をもってくる。とくに結論部分や各章の最後には、筆者は全精力をつぎ込み、核となるアイデアを入れようとする。要するに読者は、その重要なアイデアや部分だけを集中して読めば、あとの細かい部分は飛ばして読んでも支障が出てこないわけだ。

私も最初は半信半疑だった。だが、学期が進むうちに読書量が私の能力を超えてきたので、この速読法に頼らざるを得なくなった。「要所」だけを集中して読む。そして読みながら、各章や各パラグラフの最重要センテンスと思われる文章を書きとめておくようにした。これは後に論文やペーパーを書くときに引用が楽にできるからだ。慣れてしまえば、こうした方法は意外に簡単で、その後の大学院生活でも多大な効力を発揮した。

とにかく一教科だけなら、リーディング・アサインメント(つまり論文を読む宿題)をこなせるかもしれないが、四教科のリーディングをこなすのは、私たちのような「外国人留学生」にとっては不可能に近い。リーディングをしてこないと、次第に授業にもついていけなくなる。私は速読法を使って何とかこなすことができた。学期末の一番忙しいときに、六〇〇ページものリーディングの宿題を三日で終わらすことができたのも、この速読法のおかげだった。

ハーバード経済日誌(その24) 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

速読法1

昨日書いた夏季コースで、もっとも実用的に役立ったのが速読法だった。とくに私たちのように英語を母国語としない学生には、出口の見えない絶望的な砂漠の中でオアシスを見つけたようなものだった。夏季コースの講師いわく、「どうせ(ネイティブスピーカーではない)あなた方はリーディング・アサインメントの資料を全部熟読するのは無理でしょうから、速読法を教えましょう」ということで教えてもらった。

その速読法について書く前に、ハーバード行政大学院(ケネディスクール)の読書量にも触れておこう。おおよその分量は一クラスにつき一回の授業で70~100ページ(しかも内容の濃い学術書や論文ばかりで、なかなか読み進めない)。最低4クラス週2回(一回90分)の授業を取らなくてはならないから、単純計算すると最大週700~800ページも本や資料を読まなくてはならなくなる。はっきり言って、これはシンドイ。

もちろんリーディングが少ないクラスもあるので、学生たちはうまく学科を組み合わせて息抜きのクラスも作る。といってもリーディングの少ないクラスは、「クイズ」などの宿題やグループディスカッションや研究発表などのアサインメントが多く出るので、本当に生き抜きできる学科などはない。しかも学期末になると、このリーディングのほかにファイナルペーパーの提出やら何やら大忙しになるので、速読法はサバイバル・テクニックの中でも最も重要なものだと言っていいだろう。

明日の日記では速読法の「奥儀」を伝授しよう。(ちょっと思わせぶりですが、これを書くと長くなりそうなのでここで切ります。今日の午後は秩父宮にラグビー早慶戦を観戦に行くこともあり、ご了承ください。)

ハーバード経済日誌(その23) 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

夏季コース

今日から再びハーバード・ケネディスクールでの学生生活の話に戻ります。

社会人になって14年も経ってから学生に戻るとなると、そのギャップが大変だった。まるで浦島太郎状態。ハーバードなど各大学院はそうしたギャップを埋めるために、社会人新入学生向けに夏季コースを実施している。

そのなかで数学は面白く、ためになった。なにしろミクロ経済学をやるために、20年ぶりぐらいに微分や積分をやらなければならなくなったのだから。私は文系で大学ではフランス文学を専攻していたから、数学を最後に習ったのは高校二年の数2Bだった。微分のやり方もとっくに忘れていた。

それでも数学に関して言えば日本の学生は優秀で、クラス分けをすると、必ず最上級クラスには日本人か、イスラエル人、インド人、あるいは理系を専攻した人が集まった。アメリカ人の数学の実力は本当に低く、大学院の入るために必要なGREやGMATの中にある数学のテストも、日本の中学レベルの実力があればまず満点が取れるような内容になっている(もっとも数学で満点近く取らないと、日本人が「合格点」を取るのはむずかしい)。数学に関して日本人は自信をもっていい!

夏季コースでは、こうした数学のほかに英語での発表の仕方や論文の書き方についても習うほか、模擬授業などをやり、学生として求められるテクニックなどを教えてくれる。学生生活ではリーディング(本や資料を読むこと)の宿題も多いことから、速読の仕方も習った。こうして夏の間に、学生生活を生き残るためのサバイバル・テクニックを学ぶわけだ。

29日の日記 「アメリカ生活のあれこれ・・・(31030)」

ハーバード経済日誌(その一)

「冬」
暗い感謝祭

 ハーバードの学生生活は素晴らしい。おそらく経験しただれもが「もう一度来たい」と思うのではないか、ただしもう一つ付け加えるとしたら「あの冬だけはごめんだけどね」となるかもしれない。確かにボストンの冬は厳しい。その冬の厳しさと、勉強の厳しさが重なって精神的に参ることもある。ルービン米財務長官(当時)が九六年冬、ハーバードに講演に来たときも「ここに来ると学生時代の冬の重苦しさ、特に11月末のサンクスギビング(感謝祭)の時のペーパーの締め切りに追われた、ずっしりとした暗い気持ちを思い出すよ」と言って、学生たちを笑わせた。それほどハーバードの冬は学生にとって寒さと勉強の忙しさが身にこたえる。
そういう暗い気持ちを吹き飛ばしてくれるのが、友人のジョークだ。感謝祭の休暇が終わり、私が宿題や期末試験の準備に忙殺されカフェテラスで落ち込んで(少なくとも周りからはそう見えたらしい)いると、国連から一年間ハーバード大学に勉強に来ているシンガポールのクラスメートがやって来て、「元気を出せよ」とばかりにとっておきのジョークを披露してくれた。以下、そのジョークを紹介する。

(ジョーク1)
 ハーバードでも非常に有名なX教授がいて、学生たちは皆、その名物教授の授業を受けたがる。ところがそのX教授は気難しいのが難点で、ちょっとでも宿題を忘れていたり、予習を十分にやっていない学生がいると、授業を打ちきりにするという評判だ。学生たちはX教授にその素晴らしい授業をちゃんとやってもらえるか気が気でない。X教授の授業の初日、もちろん学生たちは大量の宿題や予習を授業の前までに必死に終わらせていた。
 張りつめた雰囲気の中、X教授が教室に入ってきた。X教授はいきなり学生に聞いた。
 「皆、今日の授業のための予習をちゃんとやってきたかな?」
 「もちろんやってきました。教授」と学生たちは即座に答えた。
 「すると今日授業でやることはクラスの全員が理解したと考えてよろしいかな?」とX教授。
 「そうです。ちゃんと予習をやっていますのでクラスの全員が理解しています」と学生たちは声をそろえて答えた。
 それを聞いたX教授は「では私が教える必要はない」と言ってさっさと教室から出て行ってしまった。
二日後、再びX教授の授業の日がやってきた。気難しいX教授が教室に入って来るや、学生たちに緊張が走った。案の定、X教授は「皆ちゃんと予習をやって理解したかな?」と聞いてきた。
 前回、皆が理解したと答えてしまったため授業を受けられなかった学生たちは今度は「いいえ教授、予習はしましたが、よく理解できませんでした」と答えた。
それを聞いたX教授は急に不機嫌になり「予習をしても分からないようなら、君たちには私の授業を受ける資格がない」と言って、怒って教室を出て行ってしまった。
 三回目の授業の日がやってきた。X教授は同じ質問をした。何とかX教授に授業をしてもらいたい学生たちは策略を巡らし、クラスの半分が理解したが、残りの半分は理解できなかったと答えた。
 するとX教授は次のように言い残して教室を出て行った。
 「ではクラスの半分が残りの半分に教えるように」

(ジョーク2)
試験前の最後の授業。学生たちは何とか試験の傾向をつかまえようと目が血走り、Y教授の言うことを一言一句漏らすまいと意気込んでいた。そこへ意地の悪いY教授がニコニコしながらやって来て、みんなにこう告げた。
 「よい話と悪い話がある。よい話とは今日で授業も終わりで、もう君たちはつらい予習や宿題をしなくても済むということだ」
 Y教授はここで一呼吸置いて続けた。
 「悪い話とは、みなさんには悪いが今まで教えたことの半分は間違いだったことだ」
 驚き、ざわめき立つ学生を後目にY教授はさらに続けた。
 「もっと悪いことに、どの半分が間違っているか分からないのだ。では、試験での健闘を祈る」

徐福伝説の謎 「中国&台湾(43442)」

今日は、昨日東京・銀座で開かれた日本徐福会(早乙女貢会長)主催の文化講演会「徐福論――なぜいま“徐福”なのか」(講師:逵(つじ)志保・愛知県立大学文学部非常勤講師)にちなんで、徐福伝説について書きます。「ハーバード経済日誌」はお休みさせていただきます。

徐福とは今から約2200年前、秦の始皇帝の命を受け、不老不死の妙薬を求めて日本に来たのではないかとされる人物だ。実在したことはほぼ間違いないとみられるが、本当に日本に来たのかは判明しておらず、その部分が伝説として残っている。

徐福については、司馬遷『史記』秦始皇本紀第六に出てくる(訳は逵志保氏)。
始皇帝28年(B.C.219年)
 斉の国の方士徐福(徐市)は始皇帝の命を受け、東海の三神山(蓬莱、方丈、瀛洲)に、童男童女数千人とともに不死の薬を求めて船出した。ところが薬を入手することなく帰ってきた徐福は始皇帝に進言、再び良家の男女子三〇〇〇人と五穀の種や百工(技術者)を用意させた。徐福は渡海し、平原広沢を得て王となり帰らなかった。

ここで妙なのは、始皇帝の命に反して徐福は二度と帰ることがなかったのに、どうして渡海先で王になったことがわかるのかということだ。可能性としては三つぐらいある。司馬遷がただ風説を歴史として書いた、徐福の船団の一部が徐福が渡海先で王となったのを見届けて中国に帰って報告した、そして、後に徐福が王となった国に渡った中国人が帰ってきてそのように伝えた、の三つだ。

歴史を書くからには、情報の出所を書くのが鉄則である。歴史家ではないが、哲学者のプラトンのアトランティス伝説でさえ、エジプトの神官から聞いた話として紹介している。そもそも王となったと書くからには、どこの国で王となったかをはっきりと書いてほしかったが、司馬遷が正確に歴史を記述してくれなかったため、多くの謎と伝説を残してしまった。

お気づきのように司馬遷の記述には、日本へ行ったなどとは一言も書いていない。ではなぜ、日本に行ったという伝説が生まれたのか。昨日の講演では、その点についてよくまとめていたので紹介する。

逵さんによると、「後日談」として徐福が日本へ渡来したことが出てくるのだという。しかし、それは徐福が渡海してからなんと1000年以上も経った958年、釈義楚『義楚六帖』21に出てくる記述で、徐福が日本へ行ったと日本の僧から聞いたのだという。その真偽はよくわからないが、少なくとも一〇世紀には日本で徐福来日伝説が出来上がっていたことになる。

さらに1376年の絶海中津「應制武三山」では、絶海が明の太祖に面会を許されたとき次のような句を交わしたのだという(訳は逵志保氏)。
絶海
熊野の峰前 徐福の祠
満山の薬草 雨余に肥ゆ
只今海上 波濤穏やかに
万里の好風 須らく早く帰るべし

大明太祖高皇帝
熊野の峰高し 血食の祠
松根の琥珀 也た肥ゆべし
当年 徐福 僊薬を求め
直に如今に至るまで 更に帰らず

つまり一四世紀には、日中両国において徐福が熊野に渡ったという伝説が共通の認識としてあったことになる。

逵さんによると、日本の徐福渡来伝承地は熊野を含め、全国に二〇数箇所あるという。このうち熊野の波田須の楠の下には徐福神社があり、そこからは秦の始皇帝の時代の古銭が多数(現存は一枚)見つかったという(発掘状況が不明瞭なため物証にはならないらしい)。

面白いのは、徐福のことを天皇家の祖先である神武だと信じている中国の人が多いということだ。当時の中国の軍事・科学技術力をもってすれば、弥生時代に日本で王になるのも難しくはなかっただろう。ただし表向きには中国の人も「徐福は弥生時代に日本に渡り、日本各地に中国文化をもたらした」としか言わない。

確かに、神武東征の神話では、神武は大和地方のニギハヤヒの軍に一度敗れ、今度は東側から攻めようと熊野から大和に向かったとされており、徐福伝説とダブル部分がある。もっとも、神武は実在したかどうかもわからない人物で、徐福も日本に渡来したかどうかわからない人物だ。伝説と伝説を結びつけても、歴史は生まれないと言われれば、それまでの話かもしれない。

明日は「ハーバード経済日誌」に戻ります。

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