『古事記の邪馬台国』の感想

面白いですね、15日に発売された竹内睦泰氏の『古事記の邪馬台国』。
誓約で生まれたとされる五柱の神のうちオシホミミを除く四柱はオシホミミとアマテラスの息子であるとしているんですね。
すると神武はアマテラスの孫になってしまいます。
しかも賀茂別雷神と神武は同母異父兄弟であるとしています。

この竹内氏が継承した口伝が本当かどうかはわかりませんが、これによってオオトシ(オオモノヌシ)の系図も圧縮しなければならなくなります。
これまではオオトシの息子オオヤマクイが丹塗り矢でその子がツミハヤエコトシロヌシとしていましたが、オオヤマクイがツミハヤエコトシロヌシと同一人物である可能性が出てきます。
同時に賀茂別雷神は鴨王ことクシミカタと同一人物と言うことになります。
クシミカタの父親とされる火雷神はオオヤマクイであると同時に鴨都味波八重事代主ということになるわけですね。

すると、ミゾクイミミとかスエツミミと言われているのは、タケチヌツミことタケツノミということになりますが、タマヨリヒメがミゾクイの娘だとすると、世代が合わなくなってしまうんですね。というのも、タケツノミがアマテラスの孫に当たるからです。
竹内氏の口伝では、タマヨリヒメはタケツノミの娘ではなく、妻であったといいます。しかも神武の育ての親である乳母であるともしています。これなら確かに何とか可能です。

そこで考えられるシナリオとしては、神武の乳母である、琉球の王女タマヨリヒメとタケツノミは結婚したが、そのとき既に火雷神ことオオヤマクイの子(別雷神)を宿していたというのが一つ。ただしこの場合、二人目のイスズヒメはタケツノミの子か、オオヤマクイの子かという問題が出てきます。

次の可能性としては、タケツノミがオオトシの養子となって、オオヤマクイとかスエツミミ、山末の大主神、ツミハヤエコトシロヌシなどと呼ばれたというのが二つ目。

そして、最後のシナリオとしては、タケツノミはタマヨリヒメと形式的に結婚(偽装結婚)したが、実際はタマヨリヒメとツミハヤエコトシロヌシとの間にクシミカタとイスズヒメが生まれた。そこでタマヨリヒメはタケツノミの養女ということにした。

この三つくらいのシナリオが考えられます。
果たして口伝が正しいのか、神のみぞ知る神の話ではありますね。

ナガスネヒコが徐福の子孫で、日ノ本将軍と呼ばれていたという話も面白かったです。
その徐福の血を引くミカシキヤヒメとオオトシの子孫が、開化天皇であり崇神天皇であり、私が陰の祭祀王と呼ぶヒコフツオシノマコト、そして武内宿禰に続いていくわけです。
今回初めて竹内一族の事務局長さんの名前まで出ていて、興味深かったです。
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ナガスネヒコとミカシキヤヒメ

ニギハヤヒが降臨したという奈良・白庭には、ナガスネヒコの根城(拠点)があったとみられています。
現在の生駒市白庭台に行くと、「長髄彦(ナガスネヒコ)本拠」と書かれた碑があります。

IMGP0178-1.jpg

奥に見える丘が矢田丘陵の端ですね。
この丘陵の左奥の山中ににニギハヤヒの墓の碑があります。

そのニギハヤヒの墓から南東に二キロほど離れた、生駒市上町の田んぼの中には、人知れず「夫婦塚」の碑があります。

IMGP0181-1.jpg

奥に見える丘陵がニギハヤヒの墓のある矢田丘陵です。
で、この夫婦塚が誰の塚かというと、ニギハヤヒの妃となったミカシキヤヒメ(御炊屋姫・別名トミヤビメ)だとされています。

ただし、いずれも推測です。
でも当たらずとも遠からずというところでしょうか。

本当はどこにあるかは、もしかしたら物部氏の末裔の方なら知っているかもしれません。
なにしろミカシキヤヒメは物部氏の祖神ですからね。

ニギハヤヒとミカシキヤヒメの間に生まれたウマシマヂの直系が崇神天皇の母親(イカガシコメ)であり、開化天皇の母親(ウツシコメ)でもあります。
また、ヒコフツオシノマコトの母親もイカガシコメ。
ヒコフツオシノマコトのひ孫(あるいは孫)が武内宿禰です。
武内宿禰にもナガスネヒコ一族(ミカシキヤヒメ)の血が流れていることになりますね。
そのことは、『古事記』にも「穂積の臣の祖」として、ちゃんと書かれています。
ここに私は三輪山の「和」の精神を見るわけです。
(続く)

隠し味は「うまし」

これまで見てきたように、基本はスサノオの直系であることを何とかして隠すことです。
オオトシを天火明にして日向族の系図に取り入れたのはいいのですが、天火明と結婚した妃の本当の名前を入れてしまっては、オオトシが天火明であるとばれてしまいますよね。だからカグヨヒメ(香用姫)とは書けなかったわけです。
そこで『先代旧事本紀』では天道日女という別名を当てました。
記紀に至っては、アメノカグヤマ(天香山)の母親の名前さえ、記していません。
それだけ隠したかったわけですね。

ところが天香山と大香山が同一人物であることが推定されますから、香用姫と天道日女が同一人物であることがわかり、同時にカグヨから賀夜(香具夜)が導かれ、さらに賀夜奈流美姫から、高照姫が連想されていくわけです。
高照姫も、本名を出してしまうと、スサノオの直系(宗像三女神のタキツヒメの娘)であることがわかってしまいますから、出せなかったんですね。

で、先日、コトシロヌシの母親がタキツヒメであるという説を否定しましたが、もし宗像三女神の末娘タキツヒメが、スサノオの末娘であるスセリビメのことであるとしたら、コトシロヌシの母親がタキツヒメであっても矛盾しないことになるとだけ付け加えておきます。あくまでも可能性の話ですけどね。

スサノオの直系であることを隠すと同時に、記紀編纂者がもう一つ隠さなければならない系図がありました。
それがナガスネヒコ一族の血統です。

昨日のブログで、天香山がミカシキヤヒメ(!)の娘ホヤヒメ(穂屋姫)と結婚したと書きました。
なぜ穂屋姫がミカシキヤヒメの娘であることがわかるかというと、『先代旧事本紀』に天香山は異母妹と結婚したとあるからです。
「異母妹」だけでは、穂屋姫の母親が誰であるかわかりませんよね。
ところが、新潟の弥彦神社に行けば、穂屋姫が誰の娘であるかわかるようになっているんですね。

弥彦神社の主祭神は天香山です。
ところが摂社を見て歩くと、そこに天香山の妃神を祀った神社があることに気がつきます。
妃神の名前は、熱穂屋姫と書いて、ウマシホヤヒメとなっています。
「熱」と書いて「ウマシ」とは、食べ物を火で熱すると美味くなるから「うまし」と読ませるんでしょうか。
それはともかく、ウマシと聞けば、ウマシマヂですよね。
つまりウマシホヤヒメは、ウマシマヂの妹か姉であることが推察されるわけです。
父は天火明ことオオトシ。母はミカシキヤヒメ。
まさに天香山の異母妹になるわけですね。

神社には本名が記されていますが、記紀や本紀で本名を書いたら、ウマシマヂと兄弟関係にあることがバレてしまいますよね。
だからわざと「ウマシ」という文字を外して、穂屋姫と書いたわけです。
このように、神社に行ったら、摂社をお参りすることも非常に大事なことがわかってきます。
神社の摂社にはだれが祀られているか、どうしてその神が祀られているかを見るわけです。
すると、記紀では知りえないような神々の親戚関係や系図がわかってくるんですね。

記紀に隠された古代日本の王たちの系図

記紀に隠された”暗号”のような「古代日本の王たちの系図」を読み解くために覚えておくべきことは何か。
実は非常に簡単です。
その系図の秘密を読み解くカギは、スサノオの直系であることがいかに隠されているかを知ることです。
既に一部は『竹内文書の謎を解く2』や『誰も知らない世界の御親国日本』で書きましたが、スサノオの息子であるオオトシは、三輪山の神、オオモノヌシ、櫛玉(奇魂)、ニギハヤヒ、天火明という名前に変えられて、スサノオの直系であることが隠されました。
同じくスサノオの(宗像三女神の)直系であるアヂスキタカヒコネは、喪屋を切り倒して姿を消した後、タケツノミ、八咫烏に名前を変えて再登場します。
オオヤマクイも同じです。オオヤマクイという名前を使うとスサノオの直系であることがバレてしまうからです。
スセリビメはカムヤタテヒメに変えられた上に、実子コトシロヌシがヤエコトシロヌシにすり替わりました。
スサノオはその神名すら変えられています。

ではなぜスサノオの直系を隠さねばならなかったのか。
簡単に言ってしまうと、高天原を追放されるようなことをした「大逆人」だったからです。
大逆人と言っても、あくまでもアマテラスの属する日向族にとって大逆人であったという意味です。
記紀を読むと、おそらく日向族の巫女を手籠めにして、政略結婚によって娶ったアマテラスを激怒させたという理由が高天原追放の理由です。アマテラスの前夫・天忍骨命を殺害した許せぬ仇・敵でもありますから、まあ大逆人と言えば大逆人ですね。
もちろんその背景には、政略結婚によって男の子が生まれなかったということもあります。
生まれたのは女の子ばかりの宗像三女神。
「誓約」で負けたのは果たしてどちらだったのか。

次の本では、こうした古代日本の王たちの系図を可能な限り詳らかにします。
オオヤマクイは何と言う名前の神に変えられたか。
その子の名前は何か。
オオタタネコとは何者か。
これらの謎を解くヒントはすべて、記紀と、神社の由緒や古い社名に書かれています。
今日はちょっとだけ次の本のさわりをご紹介しました。

番外「七高山と近江富士には不可思議な関係」

本書『竹内文書と平安京』を書いている時、遊びで近畿地方の七つの霊山である「七高山」についても「タカミムスビの法則」が適用できるかどうか調べたことがあります。
そうしたら、見事にタカミムスビで説明できたんですね。
紙幅の関係で省略しましたが、ここでそれを簡単に紹介しましょう。

「七高山」とは、比叡山、比良山、伊吹山、愛宕山、神峰山(かぶさん)、金峰山(きんぷせん)、葛城山のことです。
七高山は、役行者ともゆかりの深い修験霊場の山で、必ずしも単独峰を指してはいません。
そこでまず、測量点探しから始めました。
たとえば、吉野山とその南方の山上ヶ岳を含む霊場を包括している金峯山は、吉野山にある金峯山寺と山上ヶ岳を測量点としていると考えられるわけです。
神峰山は、神峰山寺の北にある裏山(標高273メートル)を測量点とし、ほかの五山は最高峰(たとえば比良山なら武奈ヶ岳、比叡山なら大比叡)を測量点としたと考えました。

まず全体的な七山の配置で特徴的なのは、伊吹山を先端とする鋭い鋭角の矢印のような形になっていることです。
これは二上山―三上山―三上山(近江富士)―白山のラインとほぼ同じエネルギーの流れを指していることになりますね。
つまり「炎」と「勇」が合体した第三の地流気の導線です。

次に愛宕山が、伊吹山と金峯山寺のある吉野山から等距離(80・7キロ)にあることに注目しました。
また、愛宕山から武奈ヶ岳を結んだ距離(32・9キロ)は山上ヶ岳と葛城山を結んだ距離(32・8キロ)とほぼ等しく、愛宕山から大比叡と葛城山をそれぞれ結んだ直線がなす角度はほぼ90度となっています。
そのことから、愛宕山が三角測量の基準点であったことは間違いないと思われます。

大比叡は愛宕山と金峯山寺をそれぞれ結んだ直線のなす角度がぴったり90度であり、葛城山も伊吹山と金峯山寺をそれぞれ結んだ直線のなす角度もほぼ90度です。
神峰山と葛城山を結んだ距離49・8キロは、伊吹山と武奈ヶ岳を結んだ距離49・3キロにほぼ等しくなっています。
つまり、まるで距離と方角がきちんと測量されたかのように七高山が配置されていることがわかるんですね。

これだけでも七高山が近畿地方の測量に関係した山であることがわかるのですが、この七山の測量点に、近江富士こと滋賀の三上山を加えると、測量山としての色彩が飛躍的に強まるんですね。
たとえば、神峰山から山上ヶ岳と近江富士にそれぞれに引いた直線のなす角度はほぼ完璧な90度となります(誤差わずか3分、すなわち0・05度)。
また金峯山寺から大比叡と近江富士までの距離はそれぞれ77・4キロと完全に一致し、その誤差は何とわずか18メートルです。
この誤差も金峯山寺の測量点(建物の中央付近を測量点とした)を50メートルほど東南東方向に動かせばまったく解消される計算です。

また愛宕山と近江富士を結んだ直線は武奈ヶ岳と金峯山寺を結んだ直線とほぼ直角で交わり、武奈ヶ岳と近江富士を結んだ直線も伊吹山と愛宕山を結んだ直線とほぼ直交します。
そのときできる伊吹山、武奈ヶ岳、近江富士、愛宕山の菱形の配置図は、大和の三輪山、耳成山、天香久山、畝傍山の配置図をそのまま拡大したような位置関係になっているんですね。

さらに加えて見事なのは、七高山と近江富士の間の距離の関係であります。
近江富士と大比叡を結んだ距離は18・6キロ。その約2倍が近江富士と愛宕山の距離36・8キロとなり、そのさらに2倍が近江富士と葛城山の距離73・5キロとなっているんです。
そのほか18・6キロの5倍が愛宕山と山上ヶ岳を結んだ距離93・9キロにほぼ等しく、6倍が武奈ヶ岳と山上ヶ岳を結んだ距離112・3キロにほぼ一致することを考えると、近江富士と大比叡を結んだ線分は三角測量の基線となったことは間違いないと思われます。

つまり七高山は、近江富士を中心とする測量兼光通信のネットワークであったかもしれないわけですね。
七高山と近江富士には不可思議な関係がありそうです。
地図も書いたのですが、見つかりませんでした。
いつか地図が出てきたら、地図を使って再度説明いたしましょう。

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